2007年死刑確定囚(23人)
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「日本における死刑囚の一覧 (2000-2009)」の記事における「2007年死刑確定囚(23人)」の解説
事件名(死刑囚名)判決確定日事件発生日備考(執行日など)長野・愛知4連続強盗殺人事件 (N) 2007年1月11日 2004年1月13日 - 9月7日 1976年(昭和51年)10月22日生まれ。長野地裁(土屋靖之裁判長)で2006年5月17日に死刑判決を受け控訴したが、2007年1月11日に自ら控訴を取り下げ死刑確定。2009年1月29日に東京拘置所で死刑執行(32歳没)。 マニラ連続保険金殺人事件 (MA) 2007年1月30日 1994年12月 - 1996年5月 1954年(昭和29年)6月29日生まれ。下記MKの双子の兄。199412月に宮崎市の元会社員Aの元妻らと共謀し、生命保険の保険金目当てにフィリピン・マニラで被害者Aを殺害した。1995年6月には知人の貿易商Bに共犯(双子の弟MK)を受取人とする旅行傷害保険を掛けた上でBをマニラで殺害したほか、知人C(愛知県尾西市〈現:一宮市〉・旅行代理店社員)のキャッシュカードを奪い、Cを長野県駒ヶ根市の別荘地で殺害した。一連の犯行ではM兄弟と友人Sの計3人が共謀したとされるが、3人とも「被害者は病死した」と主張してマニラの事件を否認。2002年1月30日に共犯者2人とともに名古屋地裁一宮支部(丹羽日出夫裁判長)で死刑判決を受け、2003年7月8日には名古屋高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決。2007年1月30日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。名古屋拘置所に収監されていたが、2016年1月に肺炎のため八王子医療刑務所へ移送され、同月22日に肺炎のため病死(61歳没)。 マニラ連続保険金殺人事件 (MK) 2007年1月30日 1994年12月 - 1996年6月 上記MAの双子の弟。2020年9月27日時点で名古屋拘置所に収監中(現在67歳)。裁判経緯は兄MAおよび共犯者Sと同一。控訴審判決では「(犯行に当たり)最も中心的な役割を果たした」と認定されている。2000年2月に右目の異常を訴え、名古屋拘置所が委託している眼科医の診察を受けたところ、持病の糖尿病が原因で失明するおそれがある「糖尿病網膜症」と診断されたが、名古屋拘置所が専門病院に転院させるなど適切な措置を取らず、同年7月に右目を失明したとして、2005年8月に国家賠償請求訴訟(請求額:1,100万円)を提訴。国側は「医師は適切な措置をした」などと争っていたが、2009年5月27日付で、国側が解決金400万円を支払う形で和解が成立している。 マニラ連続保険金殺人事件 (S) 2007年1月30日 1994年12月 - 1996年5月 1971年(昭和46年)3月9日生まれ。上記MA・MK兄弟の共犯者(裁判経緯はM兄弟と同一)で、2020年9月27日時点で大阪拘置所に収監中(現在51歳)。控訴審判決では「MA・MK両被告人に対し従属的な役割で加担した。矯正可能性は否定できないが罪責は大きい」として同様に控訴棄却判決(第一審の死刑判決を支持)を受けている。2008年11月25日に第一次再審請求。 宮崎連続強盗殺人事件 (M) 2007年2月28日 2001年11月25日2001年12月7日 1968年(昭和43年)2月23日生まれ。2001年11月、宮崎県西都市でスナック経営者の女性(当時53歳)宅に侵入し、女性の胸を包丁で刺し、手で首を絞めて殺害した上で、現金約37,000円などを奪った。また、同年12月には東諸県郡国富町で、雑貨店経営者の女性(当時82歳)宅に侵入、女性を紐などで絞殺し、現金約63万円などを奪った。2003年1月24日に宮崎地裁(小松平内裁判長)で死刑判決を受け、2004年5月21日には福岡高裁宮崎支部(岡村稔裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2007年2月6日に最高裁(那須弘平裁判長)で上告棄却判決を受ける。判決の訂正を申し立てたが、同月22日付の最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)決定で棄却され、その決定書が拘置先の宮崎刑務所に届き、同月24日付で死刑が確定。宮崎県内における事件で死刑が確定した死刑囚は、前年10月に死刑が確定した女性死刑囚I以来、6人目だった。2012年3月29日に福岡拘置所で死刑執行(44歳没)。 宇都宮宝石店放火殺人事件 (S) 2007年3月8日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 2000年6月11日 1951年(昭和26年)3月13日生まれ。公判では第一審から「店員を脅すためにライターに着火したら爆発した」と主張し殺意を否認したが、2002年3月19日に宇都宮地裁(肥留間健一裁判長)で死刑判決を受けた。2003年4月23日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決を受け、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)から2007年2月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を言い渡された。その後、2007年3月8日付で同小法廷が被告人Sからの判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定した。2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)。 名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件 (K) 2007年3月22日 2002年3月14日 1950年(昭和25年)3月12日生まれ。旧姓B(上告中に養子縁組して改姓)。殺人で懲役15年の刑に処された前科あり。第一審・名古屋地裁(伊藤新一裁判長)では2003年5月15日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・名古屋高裁(小出錞一裁判長)で2004年2月6日に一審破棄・死刑判決を受けた。2007年3月22日に最高裁(才口千晴裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑が確定。2013年2月21日に名古屋拘置所で死刑執行(62歳没)。 武富士弘前支店強盗殺人・放火事件 (K) 2007年4月14日 2001年5月8日 1958年(昭和33年)5月19日生まれ。2003年2月12日に青森地裁(山内昭善裁判長)で死刑判決を受け、2004年2月19日に仙台高裁(松浦繁裁判長)で控訴棄却判決を受けた。最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)にて2007年3月27日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、4月3日付で同小法廷に判決の訂正を申し立てたが、2007年4月12日付の同小法廷決定で棄却され、同月14日付で死刑が確定。2014年8月29日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(56歳没)。死刑確定後3度にわたり再審請求を行ったが2014年8月6日に3度目の再審請求の棄却決定が言い渡され、4度目の再審請求の準備に入るところであった。 池袋通り魔殺人事件 (Z) 2007年5月2日(正式な死刑確定日) 1999年9月8日 1975年(昭和50年)11月29日生まれ。2020年9月27日時点で東京拘置所に収監中(現在46歳)。本籍地は岡山県岡山市灘崎町(現:岡山市南区灘崎)。公判では犯行時の責任能力が争点となったが、東京地裁(大野市太郎裁判長)は2002年1月18日に完全責任能力を認定して死刑判決を言い渡した。当時、死者が出た通り魔事件で完全責任能力が認定され死刑判決が言い渡された事例は極めて異例だった。控訴審・東京高裁(原田國男裁判長)でも2003年9月29日に控訴棄却判決を、最高裁第一小法廷(横尾和子裁判長)でも2007年4月19日に上告棄却判決を受け、訂正申し立て期限内に判決への訂正を申し立てなかったため、2007年5月2日付で死刑が確定した。 福山市独居老婦人殺害事件 (N) 2007年5月9日(正式な死刑確定日) 1992年3月29日 1953年(昭和28年)1月13日生まれ。2020年9月27日時点で広島拘置所に収監中(現在69歳)。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件。第一審・広島地裁(1994年9月30日)および控訴審・広島高裁(1997年2月4日)はいずれも無期懲役判決だったが、1999年12月10日に最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)は控訴審判決を破棄して審理を広島高裁に差し戻す判決を言い渡した。2004年4月23日に差し戻し後の控訴審・広島高裁(久保真人裁判長)で死刑判決を、2007年4月10日に最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)で上告棄却判決(死刑判決支持)を受け、同年5月9日付で死刑が確定した。1997 - 1998年の検察上告中、唯一高裁へ差し戻された事例で、最高裁が死刑を求めた検察の上告を認めて無期懲役判決を破棄し、差し戻し後の控訴審で言い渡された死刑判決が確定した事例は永山則夫連続射殺事件以来戦後2件目だった。 大阪姉妹殺害事件(山地悠紀夫) 2007年5月31日 2005年11月17日 1983年(昭和58年)8月21日生まれ。16歳のとき山口母親殺害事件を起こして少年院送致され、その仮退院後に本事件を起こした。2006年12月13日に大阪地裁(並木正男裁判長)で死刑判決を受け、2007年5月31日に自ら控訴を取り下げたため死刑が確定。2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(25歳没)。 太州会内部抗争連続殺人事件 (N) 2007年6月12日 1997年10月 1947年(昭和22年)6月3日生まれ。2020年9月27日時点で福岡拘置所に収監中(現在75歳)。無罪を主張したが、2003年5月1日に福岡地裁(林秀文裁判長)で死刑判決を受けた。2005年4月12日に福岡高裁(虎井寧夫裁判長)で控訴棄却、2007年6月12日に最高裁(上田豊三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。 春日部中国人夫婦殺害事件 (S) 2007年6月19日 2000年9月22日 1973年(昭和48年)8月21日生まれ。中華人民共和国国籍。2020年9月27日時点で東京拘置所に収監中(現在48歳)。元筑波大学大学院生。被害者・加害者とも中国人留学生。被害者夫は新越谷外国語会話教室中国語講師で埼玉大学大学院生、妻は筑波大学大学院生。2002年2月22日にさいたま地裁(川上拓一裁判長)で死刑判決を受け、2004年1月23日に東京高裁(白木勇裁判長)で控訴棄却判決。2007年6月19日に最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定。事実誤認・量刑不当を主張。 自殺サイト殺人事件 (M) 2007年7月5日 2005年2月19日 - 6月 1968年(昭和43年)8月8日生まれ。2007年3月28日に大阪地裁(水島和夫裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2007年7月5日に自ら控訴を取り下げ死刑確定。2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)。 三重連続射殺事件 (H) 2007年7月21日 1994年7月19日(鈴鹿市の事件)1994年11月20日(伊勢市の事件) 1960年(昭和35年)4月10日生まれ・会社役員。2020年9月27日時点で名古屋拘置所に収監中(現在62歳)。本籍地は三重県度会郡南伊勢町、住居は三重県松阪市下村町。三重県鈴鹿市と伊勢市で、回転弾倉式拳銃を用い、男性2人を相次いで射殺。2人の死体をそれぞれ久居市(現:津市)の造成地に埋め、奪った預金通帳などから現金1,227万円を引き出すなどした。無実を主張したが、2002年12月18日に津地裁刑事部(天野登喜治裁判長)で死刑判決を受けた。その後、2004年3月22日に名古屋高裁刑事第1部(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2007年7月5日に最高裁第一小法廷(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け、同月19日の判決訂正申し立て棄却決定を経て、21日付で死刑が確定。共犯者1人(朝鮮籍)は一・二審とも無期懲役を言い渡され、検察官が上告していたが、2005年7月15日付で最高裁第二小法廷(津野修裁判長)が検察官の上告を棄却する決定を出したため、無期懲役が確定している。死刑確定後、2009年8月21日に第1次再審請求をしたが、2014年2月12日の決定(特別抗告棄却)により、再審開始を認めない判断が確定。2015年6月29日に第2次再審請求したが、2017年1月13日に津地裁刑事部(水野将徳裁判長)で請求棄却決定がなされ、名古屋高裁刑事第2部(高橋徹裁判長)も2019年1月31日付の決定で即時抗告を棄却した。 熊谷男女4人殺傷事件 (O) 2007年7月18日 2003年8月18日 1977年(昭和52年)7月20日生まれ。2007年4月26日にさいたま地裁(飯田喜信裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、2007年7月18日に自ら控訴を取り下げ死刑確定。2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(33歳没)。死刑執行命令書に署名した法務大臣自身が歴史上初めて死刑執行に立ち会った。 オウム真理教事件(横山真人) 2007年8月23日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1995年3月20日 1963年(昭和38年)10月19日生まれ。オウム真理教の元幹部で地下鉄サリン事件の実行犯の1人。横山がサリンを散布した車両では死者を出さなかったが、大量殺傷事件の共同正犯として死刑判決を受けた。1999年9月30日に東京地裁(山崎学裁判長)で死刑判決を受け、2003年5月19日に東京高裁(原田國男裁判長)で控訴棄却判決。最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)にて2007年7月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年8月23日付同小法廷の決定で棄却されたため死刑が確定した。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され、同所で第一次再審請求即時抗告中の2018年7月26日に死刑執行(54歳没)。 上申書殺人事件 (G) 2007年10月16日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 2000年7月30日2000年8月20日 1958年(昭和33年)7月24日生まれ。2020年9月27日時点で東京拘置所に収監中(現在63歳)。茨城県水戸市・栃木県宇都宮市で男女5人を死傷させたとして殺人罪などに問われ、2003年2月24日に宇都宮地裁(飯渕進裁判長)で死刑判決を受けた。2004年7月6日に東京高裁(山田利夫裁判長)で控訴棄却判決を受けたが、上告中の2005年10月に「1999年 - 2000年、起訴された事件とは別に3件の殺人事件に関与した」とする上申書を茨城県警に提出した。水戸・宇都宮事件の上告審では最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年9月28日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けた。10月9日に判決の訂正を申し立てたが、2007年10月16日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した。余罪事件では2009年6月30日に水戸地裁で懲役20年の判決を受け、控訴棄却を経て2012年2月20日付の最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)決定により上告が棄却されたことで確定したが、既に死刑が確定していたため、刑法の規定により懲役刑は執行されない。 オウム真理教事件(端本悟) 2007年11月12日(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日) 1989年12月など 1967年(昭和42年)3月23日生まれ。オウム真理教の元幹部で坂本堤弁護士一家殺害事件・松本サリン事件などに関与。2000年7月25日に東京地裁(永井敏雄裁判長)で死刑判決を受けた。2003年9月18日に東京高裁(仙波厚裁判長)で控訴棄却判決を、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年10月26日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年11月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した。2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(51歳没)。 マブチモーター社長宅殺人放火事件(畠山鐵男) 2007年11月1日 2002年8月5日2002年9月24日2002年11月21日 1943年(昭和18年)4月17日生まれ(旧姓:小田島)。本事件以前にも練馬三億円事件(1990年発生)を起こして懲役12年に処された前科がある。一連の連続殺人(4人殺害)を起こした後、2004年 - 2005年に新聞のお悔やみ記事を見て通夜・葬式で留守の家に押し入る空き巣を繰り返して逮捕され、その後連続殺人への関与が判明した。最初の事件(2002年8月にマブチモーター社長の妻・娘を殺害した事件)は2005年10月に解決し、一連の連続殺人は「警察庁広域重要指定124号事件」に指定された。2007年3月22日に千葉地裁(根本渉裁判長)で死刑判決を受け、2007年11月1日に自ら控訴を取り下げ死刑確定。共犯Mも一・二審で死刑判決を受け、2011年11月に最高裁第三小法廷(寺田逸郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。ノンフィクション作家・斎藤充功と交流していたほか、実名(「小田島鐵男」名義)で2009年に『最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ』(ミリオン出版)を出版した。食道癌のため2017年9月16日に東京拘置所内で病死(74歳没)。 大和連続主婦強盗殺人事件 (S) 2007年12月5日(正式な死刑確定日) 2001年8月29日2001年9月19日 1954年(昭和29年)10月28日生まれ。共犯者は無期懲役判決(求刑:死刑)を受けた。2003年4月30日に横浜地裁(田中亮一裁判長)で死刑判決を受け、2004年9月7日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決。2007年11月6日に最高裁(藤田宙靖裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定(正式な死刑確定日は2007年12月5日)。再審請求中の2019年8月2日に東京拘置所で死刑執行(64歳没)。 横浜前妻一家3人殺害事件 (F) 2007年11月15日 2002年7月31日 1965年(昭和40年)4月7日生まれ。2004年3月30日に横浜地裁(小倉正三裁判長)で死刑判決を受け、2005年5月24日に東京高裁(安広文夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2007年11月15日に最高裁(甲斐中辰夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定。2012年3月29日に東京拘置所で死刑執行(46歳没)。 岡山女性殺害事件 (U) 2007年12月16日 2001年8月9日 1939年(昭和14年)7月29日生まれ。本籍地は愛知県豊田市実栗町。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件。愛知県内で知人女性2人を相次いで殺害し、遺体を遺棄したとして、1980年3月19日に名古屋地裁一宮支部(吉川清裁判長)で無期懲役判決(求刑:同)を受け、同年4月3日付で確定。1999年11月11日に仮出所したが、出所後の2001年8月に金銭トラブルから、岡山県岡山市内で無職女性(当時57歳)を絞殺し、遺体を市内の竹やぶに遺棄した。2003年5月21日に岡山地裁(榎本巧裁判長)で死刑判決を、2004年2月5日に広島高裁岡山支部(安原浩裁判長)で控訴棄却判決を受けた。2007年11月30日に最高裁第二小法廷(今井功裁判長)で上告棄却判決を受け、同年12月16日付で死刑が確定。2008年2月7日に肝門部胆管癌のため、大阪医療刑務所内で病死(68歳没)。この時、法務省は病死した死刑確定者(それまでは氏名・性別を秘匿し病死の事実の未公表)の氏名を初めて公表した。
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