連続射殺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:40 UTC 版)
詳細は「永山則夫連続射殺事件」を参照 永山は1968年10月8日ごろ、在日アメリカ海軍・横須賀基地内の住宅に侵入して小型拳銃(22口径)・銃弾50発などを盗み出した。そしてその拳銃を使い、同年10月には東京都港区の東京プリンスホテル(10月11日)・京都府京都市東山区の八坂神社(同月14日)で男性警備員2人を相次いで射殺したほか、金に窮したことからタクシー強盗を企て、10月26日には北海道亀田郡七飯町で、11月5日には愛知県名古屋市港区でタクシー運転手を相次いで射殺した。この連続殺人事件は警察庁により広域重要指定108号事件に指定された。 永山は4件の連続殺人(警備員への殺人事件2件・タクシー運転手への強盗殺人事件2件)を起こして以降、横浜に帰ってしばらくは沖仲仕として稼働したが、その後は東京都中野区のアパートへ移住し、新宿区歌舞伎町の大衆バーに就職した。しかし大衆バーにはなじめず、無断欠勤して退職し、逮捕前には歌舞伎町のジャズ喫茶店「ビレッジヴァンガード」に就職していた。 1969年(昭和44年)4月7日未明、永山は東京都渋谷区内の専門学校事務所に侵入し、発見した警備員に拳銃を発砲する強盗殺人未遂事件を起こし、明治神宮で張り込んでいた代々木警察署(警視庁)の署員により現行犯逮捕された。永山は4件の殺人・強盗殺人を認めたため、身柄を愛宕警察署捜査本部へ移され、東京プリンスホテルにおける殺人容疑で改めて逮捕された。その後、他3件の殺人を含む余罪でも次々と取り調べを受け、(少年事件であることから)5月10日に東京地方検察庁から東京家庭裁判所へ送致される。そして東京家裁(四ツ谷巖裁判官)は同年5月15日付で、永山の少年保護事件について「刑事処分相当」の意見書付きで東京地検へ逆送致し、永山は同月24日に6つの罪名(殺人罪・強盗殺人罪および同未遂罪・窃盗罪・銃刀法違反・火薬類取締法違反)で東京地検により東京地方裁判所へ起訴された。
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