第二次控訴審
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 12:02 UTC 版)
「永山則夫連続射殺事件」の記事における「第二次控訴審」の解説
差し戻し後の控訴審における争点は量刑判断に絞られ、1984年(昭和59年)12月19日に東京高裁第3刑事部(鬼塚賢太郎裁判長)で初公判が開かれた。私選の第七次弁護団は6人(主任:鈴木淳二)で、弁護側は同日に「上告審判決は『差し戻し前の控訴審判決と同じ理由で無期懲役にしてはならない』とするものにすぎない。また量刑判断の前提となる事実を誤認しており、証拠調べも不十分だ。死刑適用基準についても固定化することは危険」と上告審の破棄差し戻し判決を批判する主張をした上で、様々な情状を主張して慎重な審理を求める意見を述べた。また弁護団は第3回公判(1985年〈昭和60年〉4月10日)で大量の証人申請を行い、その中には永山が「権力犯罪の中枢にいた」と主張していた後藤田正晴(事件当時:警察庁次長)・秦野章(警視総監)・土田国保(108号事件特捜本部長)も含まれていたが、情状関係についての証人以外は採用を認められなかった。
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