第二次戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/09 17:20 UTC 版)
第一次戦闘の後、グロリオーソはスペインへの航行を続けた。戦闘で受けた損傷のうちいくつかは修理できたが、より厳しい損傷は入港して修理を行う必要があった。それでも、フィニステレ岬が見えた頃にジョン・ビング提督配下の50門戦列艦オックスフォード(英語版)、24門フリゲートのショーハム、20門ブリッグのファルコンが襲いかかってきたときもそれを撃退することができた。3時間の戦闘ののち、イギリス艦3隻ともひどく損傷して撤退した。オックスフォードの艦長カリス(Callis)は後に軍法会議にかけられたが、クルックシャンクスと違って無罪放免となった。グロリオーソは第二次戦闘で船首斜檣を失い、数人の損失を出したが、翌日(8月16日)にガリシアのコルクビョンに入港して積み荷を降ろした。
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