効果の具体例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:16 UTC 版)
巡洋艦以上に対する効果 特攻機が撃沈したとされるアメリカ海軍の護衛空母は3隻であるが、セント・ローはフィリピン上陸作戦、オマニー・ベイはフィリピン攻防戦、ビスマーク・シーは硫黄島上陸作戦において撃沈されている。空母は特攻作戦の全期間を通じて最重要目標とされたが、その理由は日本軍守備隊への最大の脅威が航空攻撃であったためであり、護衛空母は攻略目標近傍においてCAP(戦闘空中哨戒)を形成し、アメリカ軍の地上部隊の援護を行うため特攻機の目標とされた。碇泊中のアメリカ軍機動部隊への奇襲も計画され、3月11日、第五航空艦隊の「銀河」24機(7機故障脱落)・二式飛行艇3機(誘導)の梓隊がウルシー泊地の空母ランドルフを中破させた。 しかし、特攻機が撃沈できた正規空母や戦艦などの主力艦は1隻もないとの指摘もあり、その事が特攻の成果に対する低評価につながっている。 特攻により、巡洋艦以上の主力艦が沈まなかったことには、以下の要因が挙げられる。 大戦後半期のアメリカ海軍艦艇は、卓越した対空能力と戦訓により進化したダメージコントロール技術により撃沈が困難になっていた。太平洋戦域で1944年以降終戦までに特攻以外の航空通常攻撃で撃沈したアメリカ軍水上艦(除潜水艦)は、特攻より攻撃機数が多かったにも関わらず(詳細は#有効率の1945年2月14日から菊水十号作戦〈6月22日〉までの、日本海軍航空隊の出撃機数を参照)下記の通りわずか8隻に過ぎない。また、通常航空攻撃も含めた特攻以外の戦闘(天候要因や事故を除く)で失った水上艦は軽空母1、重巡1、護衛空母1、駆逐艦8、戦車揚陸艦1、輸送艦4、その他小型艦艇8 合計24隻で、特に大戦末期の沖縄戦で特攻以外で沈んだ水上艦は、駆逐艦ロングショウ(陸上砲撃)艦隊掃海艦スカイラーク(魚雷艇)の2隻に過ぎない、特攻の沖縄戦での戦果は、駆逐艦(各用途の駆逐艦の合計)17隻、戦車揚陸艦1、中型揚陸艦5隻、輸送艦3隻、その他艦艇6隻、合計32隻(水中・水上特攻を含む)と特攻の戦果が上回っている。 1944年以降通常航空攻撃で撃沈されたアメリカ軍艦艇 沈没日艦名艦種場所1944年10月24日 プリンストン 軽空母 フィリピン 1944年11月5日 PT-320 魚雷艇 フィリピン 1944年11月17日 オーガスト・トーマス リバティ型輸送船 フィリピン 1944年12月6日 アンソニーソーグレイン リバティ型輸送船 フィリピン 1944年12月28日 LST-750 戦車揚陸艦 フィリピン 1944年12月29日 パーマー 掃海駆逐艦 フィリピン 1944年12月9日 ホバート・ベイカー リバティ型輸送船 フィリピン 1945年1月7日 ホーヴェイ 掃海駆逐艦 フィリピン 合計 8隻 アメリカ海軍の正規空母の飛行甲板の装甲防御や、艦内のレイアウト等のダメージコントロールのノウハウが日本軍との戦闘を通じて飛躍的に向上していた。特に艦に致命的な打撃を与える火災への対応については、現役の消防士を教官とした消防学校が各海軍基地に設立され、ダメージコントロール要員は繰り返し訓練された。水を霧状に細分化できる消防ホースや、泡沫による消火システムや、艦内が停電しても使用できるガソリン駆動の移動式ポンプや、ダメージコントロール要員が着用する耐火服などの防火装備一式など、現代並みの消火設備を各艦に装備させた。アメリカ軍は戦前よりダメージコントロールに熱心であり、開戦時には応急班員(予備員を含む)をヨークタウン級航空母艦各艦に約350名を準備させていたが、これは日本軍の加賀の56名、蒼龍の40名と比較すると圧倒的に多く、この応急人員の差がアメリカ海軍艦船の頑強さに直結したが、それでも実戦により想定を上回る損傷を被り沈没艦が相次いだため、エセックス級空母ではさらに応急班員を増加させて700名としていた。 大戦後半は、アメリカ海軍が制空権・制海権を握っていたため、甚大な損傷を被っても曳航退避が可能だった。例えば南太平洋海戦で沈んだホーネットは、アメリカ軍が絶対的な制空・制海権を把握していなかったため、日本軍機の反復攻撃と水上艦艇の追撃により、曳航を断念して放棄された。 特攻は攻撃の性質上、艦艇の上部構造物は破壊できるが、喫水線以下に大きなダメージを与えることが困難であり、中型以上の艦艇を沈没まで至らせるほどの効果があるのか当初から懸念されていた。また、特攻機は零戦などの小型機が主力であり、搭載爆弾は250kg - 500kg爆弾となるが、主力艦は250kg - 500kg爆弾1 - 2発程度の命中では、積載弾薬や燃料の連鎖的な誘爆でもない限りは簡単に沈むものではなかった。ただし、以上の問題は特攻のみの固有の問題でなく、航空機による艦船攻撃全体についても同じ事が言えた。小沢郁郎が著書『つらい真実―虚構の特攻隊神話』で、特攻の戦果は誘爆に助けられたもので「エビで鯛が釣れた」と記述しているが、これは通常の航空攻撃でも状況は同じであったと言える。下記のように航空攻撃で沈没した主力艦は例外なく、喫水線以下に大ダメージを与える魚雷が多く命中したか、大量の爆弾の直撃を浴びたか、弾薬・搭載爆弾や魚雷・航空燃料が誘爆して沈没に至っている。また誘爆で沈没に至った艦船の多くが、最終的に自軍・敵軍の水上艦により処分されている。真珠湾攻撃で沈んだ戦艦オクラホマには8本の魚雷が命中し転覆、横転中にもう1本命中。戦艦アリゾナは積載していた火薬が誘爆して爆沈した。その際に水平爆撃機が投下した800kg爆弾が装甲を貫通し、弾薬庫が誘爆したという説と、爆弾は貫通しなかったが、黒色火薬庫のハッチが開放されたままで、爆弾で生じた火災が黒色火薬に引火し、その後に砲弾用の無煙火薬が誘爆したという説があるが、結論は出ていない。 マレー沖海戦で沈んだ戦艦プリンス・オブ・ウェールズには日本軍主張7本 イギリス側記録6本 巡洋戦艦レパルスには日本側主張13本 イギリス側記録5本 の魚雷が命中。 セイロン沖海戦で沈んだ軽空母ハーミーズは37発もの大量の250kg爆弾の直撃を受けている。また重巡洋艦コーンウォールとドーセットシャーには2隻で合計46発(イギリス軍側の記録では18発)もの大量の250kg爆弾が命中している。 珊瑚海海戦で沈んだ空母レキシントンは日本軍航空機より爆弾2発魚雷2本の命中弾を受けるが致命的損傷でなく、ダメージコントロールの結果火災は鎮火、一時は7度に達した傾斜も水平に戻り、速度も回復し航空機の発着も可能となり通常作戦に復帰出来るようになったが、攻撃の衝撃でタンクが緩み航空燃料漏れが起こっており、それが気化して大量に蓄積していた。攻撃を受けた90分後に、気化燃料に発電機の火花が散って引火し大爆発、この爆発で発電設備も壊れ消火活動が難しくなり、2度目の誘爆を防ぐことができず、総員退艦命令となった。それでも沈まず駆逐艦の魚雷により処分されている。 南太平洋海戦で沈んだ空母ホーネットは日本軍航空機により、800kgを含む爆弾5発・魚雷3本及び体当たり攻撃2機を受けるも沈まず、更に自沈させようとしたアメリカ軍の魚雷6本、5インチ砲無数を撃ちこまれるも沈まず、放棄された後に追撃してきた日本軍駆逐艦による酸素魚雷3本12.7cm砲24発によりようやく沈没。 レンネル島沖海戦で沈んだ重巡洋艦シカゴには6本の魚雷が命中。 レイテ沖海戦で沈んだ軽空母プリンストンには艦上爆撃機「彗星」の急降下爆撃で500kg爆弾1発命中、第2甲板上の乗組員のギャレーで爆発。損傷自体は軽微であったが、爆発の衝撃で航空燃料の供給パイプを切断され燃料火災が起こったのに対し、プリンストンのスプリンクラーが損傷により作動せず、消火が難航した。軽巡バーミンガム、軽巡リノが消火の支援をした結果、ほぼ火は鎮火したように見えたが、爆撃を受けた5時間後に残った火が弾薬庫に達し、爆弾と魚雷が誘爆し大破炎上、接舷して消火活動を支援していたバーミンガムが巻き込まれて大破するほどの大爆発であった。夜になっても火災が収まらず、日本軍の夜間攻撃の目印になることを懸念した第58任務部隊司令ミッチャー中将の命令で駆逐艦により処分。 機動部隊に対する効果 撃沈に至らなくても、正規空母等の主力艦が特攻により甚大な損傷を受け、修理のために長期間にわたって戦線離脱することがアメリカ軍にとって作戦上の大きな痛手となっていた。海軍反省会においても、元海軍将校の視点より同様な指摘がある。 例えば、アメリカ海軍の主戦力であった主力機動部隊第58任務部隊の所属正規空母・軽空母はほとんどの艦が特攻攻撃を受けて損傷し戦線離脱に追い込まれたことがある。 ※所属は沖縄戦開始時、ただし離脱艦は損傷を受けた時点での所属。 【第58任務部隊第1群】[TG58.1]ホーネット なし ベニントン なし ワスプ 1945年3月19日九州沖航空戦で大破 戦死者101名 負傷者269名 急降下爆撃によるものという説もあり。 ベローウッド 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者92名 負傷者56名 サン・ジャシント 1945年4月6日沖縄戦で損傷 戦死者1名 負傷者5名 【第58任務部隊第2群】[TG58.2]レキシントン 1944年11月5日フィリピン戦で中破 戦死者50名 負傷132名(沖縄戦開始時は本土でオーバーホール・改修中) エンタープライズ 1945年4月11日及び5月14日、沖縄戦で損傷と大破、合計戦死者18名 負傷者86名 ランドルフ 1945年3月11日ウルシー環礁で中破 戦死25名 負傷者106名 フランクリン 1944年10月30日フィリピン戦で大破 戦死者56名 負傷者14名(九州沖航空戦1945年3月19日、陸上爆撃機「銀河」の緩降下爆撃で大破、戦死者739名 負傷者264名を出しウルシー環礁曳航中) 【第58任務部隊第3群】[TG58.3]タイコンデロガ 1945年1月21日台湾沖で大破 戦死者144名 負傷203名(沖縄戦開始時は本土で修理中) エセックス 1944年11月25日フィリピン戦で中破 戦死者15名 負傷者44名 ハンコック 1945年4月7日沖縄戦で中破、戦死者62名 負傷者71名 バンカーヒル 1945年5月11日沖縄戦で大破、戦死者402名 負傷者264名 カボット 1944年11月25日フィリピン戦で損傷、戦死者36名 負傷者16名 バターン 1945年4月18日沖縄戦で損傷、戦死者9名 負傷者50名 【第58任務部隊第4群】[TG58.4]ヨークタウン なし イントレピッド フィリピン戦1944年10月30日損傷、1945年11月25日大破、九州沖航空戦1945年3月18日損傷、沖縄戦1945年4月16日大破、戦死者合計97名 負傷者236名 ラングレー 1945年1月21日台湾沖で損傷 インディペンデンス なし 【第58任務部隊第5群】[TG58.5]※硫黄島戦時に編成サラトガ 1945年2月21日硫黄島戦で大破、戦死者123名、負傷者192名(沖縄戦開始時は本土で修理中) 以上の通り第58任務部隊の20隻の正規空母・軽空母の内、特攻で損害を受けたことのない艦はわずか4隻である。 特に以下の艦は甚大な損傷を負っている。 空母サラトガ1945年2月21日に香取基地を飛び立った海軍第二御楯特別攻撃隊より硫黄島沖にて集中攻撃を受けた。4機の特攻機の体当たりと、撃墜された2機の特攻機の爆弾がサラトガの喫水線と舷側に跳弾して命中、最後に特攻機が投下した800kg爆弾が命中し、合わせて2発の爆弾が命中した。搭載されていた艦載機が次々と誘爆すると共に、艦内の航空燃料にも引火して大破炎上したが辛うじて沈没は逃れた。サラトガは本土にて大修理の後に1945年6月3日に真珠湾へ戻り練習空母として復帰したが、戦後に日本軍の戦艦長門などと原爆実験艦として処分された。 空母エンタープライズ1945年5月14日に富安俊助中尉搭乗の零戦がほぼ垂直に前部エレベーターに突入、エレベーターを吹き飛ばした特攻機は、そのまま5層の甲板を貫通して爆弾は艦の奥深くで爆発した。エンタープライズにとって幸運だったのが、爆弾が爆発した場所に弾薬や燃料がなく誘爆しなかったことだが、船体に破孔ができ大量に浸水し船首が一時3m沈下した。その後、修理のためにピュージェット・サウンド海軍工廠に帰還、海軍工廠で修理とオーバーホール中に終戦を迎えた。太平洋戦争をほぼ全期間戦い抜き「ビッグE」という称号で呼ばれたり、日本側より6回も沈没と報じられたため「オアフ島の岸壁を走る幽霊」というあだ名が付けられたエンタープライズをようやく長期間離脱に追いやり、米海軍関係者から、エンタープライズに特攻した富安中尉に対して「これまで日本海軍が3年かかってもできなかったことを、たった一人で一瞬の間にやってのけた。」と称賛の言葉が送られている。エンタープライズはその後、復員船として運用された後に除籍された。 空母バンカー・ヒル1945年5月11日に小川清少尉と安則盛三中尉搭乗の零戦2機が、それぞれ搭載していた500kg爆弾を投下後に突入。甲板上の艦載機が次々と誘爆、また給油作業中の航空燃料ホースにも引火し、大火災となり船体に深刻な損傷を受けて戦線離脱を余儀なくされた。バンカー・ヒルはピュージェット・サウンド海軍工廠で修理を受けた艦船の中では最悪の損傷レベルであり、修理後に復員船として運用された後は退役された。他のエセックス級空母が近代化改装を受け後年まで活躍する中、通常爆撃で大破した同型艦のフランクリンと共に近代化改装されることもなく、埠頭に係留されたまま電子実験のプラットフォームなどに利用された後に解体された。
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