復員船として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 02:05 UTC 版)
終戦を別府湾で迎えた後、呉港へ回航。1945年(昭和20年)10月に除籍され、同年12月、特別輸送艦の指定を受け、都合19回の復員輸送に従事。軍人約2,000名、邦人約6,300名の輸送に当たる。 引揚者の輸送実績は以下の通り。 博多~釜山:10回、邦人約3,900名(朝鮮半島方面、昭和20年10月~昭和21年1月) 博多~上海:4回、軍人約2,000名 博多~葫芦島(ころとう、旧満州):5回、邦人約2400名(大陸方面、昭和21年3月~昭和21年8月) 計19回、約8,300名 なお復員船として行動するにあたって、1946年(昭和21年)1月、第一・三番魚雷発射管跡、及び第三居住区上甲板の三箇所に人員輸送用デッキハウスを設置している。復員業務終了後、横須賀港長浦にて繋船した。ここでは、同じく復員業務を終えた鳳翔も繋船されていた。古参の乗組員は「二度と見られまい」と思っていただけに、特に懐かしがったという。
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