大戦後半
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 14:50 UTC 版)
「リューリク (装甲巡洋艦・2代)」の記事における「大戦後半」の解説
ボスポラスの海戦で旧式の戦列艦パンテレイモンが弩級巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリムとの砲撃戦で勝利を収めたように、リューリクもその個艦優秀を生かしバルト海にて敵艦に勝利を収める可能性はあったが、結局それは実現しなかった。リューリクは本腰を入れて味方の巡洋艦隊を支援しなかったし、多くの場合において事実上失敗と言える戦い方をした。 1915年7月18日 には、第1巡洋艦戦隊の巡洋艦と水雷分艦隊ともにリューリクは戦列艦スラヴァのリガ湾回航を護衛し、危険なイルベ海峡を通過した。 1915年10月28日から10月30日 にかけては、リューリクは戦列艦ペトロパヴロフスクおよびガングート、6 隻からなる第6艦隊水雷艇隊、潜水艦ゲパールト、バールス、3 隻のイギリスE級潜水艦とともに巡洋艦アドミラール・マカーロフ、バヤーン、オレークからなる機雷敷設部隊を掩護した。機雷敷設部隊は、560 個の機雷をゴットランド島南方海域に敷設した。 1915年11月22日から25日 にかけては、リューリク、アドミラール・マカーロフ、バヤーン、ボガトィーリ、オレークからなる第1巡洋艦船体は、戦列艦ペトロパヴロフスク、ガングート、艦隊水雷艇ノヴィーク、および第6艦隊水雷艇隊の掩護の下、ゴットランド島南東海域に700 個の機雷を敷設した。この機雷原にて、12月31日 にドイツの小型巡洋艦リューベックが触雷し、損傷を負った。 1916年にはオーバーホールを受け、主要機関および補助機関を換装し、ボイラーを交換した。加えて前檣と前檣望楼を設置し、操艦用艦橋の儀装を換装した。また、航空機の発達に合わせて艦上に高角砲が設置された。 1916年5月28日から6月1日 にかけては、リューリク、ボガトィーリ、オレーク、第6艦隊水雷艇隊のステレグーシチイ、ストラーシュヌイ、ウクライナ、ヴォイスコヴォーイ、ザバイカーレツ、トゥルクメーネツ=スタヴロポーリスキイ、カザーネツ、ドンスコーイ・カザーク、第7艦隊水雷艇隊のヴヌシーテリヌイ、ヴニマーテリヌイ、ボエヴォーイ、インジェネール=メハニーク・ドミートリエフ、ブールヌイ、インジェネール=メハニーク・ズヴェーレフからなる特務分遣隊は、イギリスの潜水艦E9およびE19およびロシアの潜水艦チーグル、ヴェープリ、ヴォールクの掩護の下、ドイツの護送船団をノーショーピング湾にて強襲した。40 分にわたる戦闘によって、ドイツの仮装巡洋艦ヘルマン と2 隻の武装トロール船、4 隻の輸送船が沈められた。 11月6日、ゴーグラント島南方海域において、リューリクはA・K・ネボリシーン海軍少将の将官旗を掲げた旗艦アンドレイ・ペルヴォズヴァーンヌイと、最後尾の巡洋艦バヤーンとのあいだを進んでいた。旗艦からの指令に従い左舷へ舵を切ったリューリクは、ドイツ軍の敷設した機雷に触れて強い爆発に見舞われた。損傷を受けたものの、自力でクロンシュタットへ帰還した。そして、そこで翌年まで2ヶ月にわたる修繕工事を受けた。この工事の際に、前檣は単檣式であったものから三脚式に変更され、中程に見張り所が設置された。小火器は、高角砲として使用されるヴィッカース式40 mm自動砲1 門と2 門の47 mm砲、それに2 挺の7.62 mm機銃だけに削減された。また、1916年12月18日までに、機関を蒸気タービンに換装する改修計画がV・Ya・ドルコレーンコ技師を中心にまとめられた。その他、多くの改修計画が作成され、それらはすべて技術参謀や建艦総局技術部、それに新しいバルト艦隊司令官A・I・ネペニーン海軍中将の認可を受けた。それらを施工するため、リューリクはレーヴェリへ回航されることになった。1917年1月の時点でリューリクに対し1918年から1919年の越冬時期にオーバーホールを施工する計画となっていた。 1917年1月17日、作業に取り掛かるためリューリクではレーヴェリへの回航準備が開始された。フィンランド湾が厚い氷に閉ざされていることを考慮し、回航は単独ではなく、砕氷船イェルマークとツァーリ・ミハイル・フョードロヴィチを随伴させることになった。回航は第1巡洋艦戦隊長のV・K・ピールキン海軍少将の指揮の下、行われた。1月28日、3 昼夜の航海ののちリューリクは無事にレーヴェリに到着した。2月6日には、艦長のA・M・プィーシュノフ海軍大佐が海軍少将に昇進して第2巡洋艦戦隊長に異動し、その後任として艦隊水雷艇ポグラニーチュニクとイジャスラフの艦長を歴任したV・I・ルードネフ海軍大佐が任官した。
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