大戦後期の戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:17 UTC 版)
大戦後期の戦闘で挺進部隊は、飛行場を襲撃して敵航空機を地上撃破するための戦力として使用された。レイテ島の戦いでは、第2挺進団(2RB)が高千穂空挺隊と称してレイテ島の飛行場群への空挺作戦を行い、一定の成果を上げた(「テ号作戦」)。沖縄戦でも挺進第1連隊から抽出した義烈空挺隊が、アメリカ軍占領下の飛行場へ強行着陸してコマンド作戦を行った(「義号作戦」)。園田直大尉率いる第2剣部隊(挺進第1連隊の2個中隊)も、海軍空挺部隊と協同でマリアナ諸島の飛行場・原爆貯蔵施設を襲撃する「剣号作戦」に参加予定だったが実行直前に終戦を迎えた。沖縄へのグライダー降下作戦も計画されたが、これも同じく実行前に終戦を迎えた。このほか、正規の空挺部隊ではないが、高砂義勇兵による薫空挺隊がレイテ島で強行着陸を試みており、こちらも義烈空挺隊同様に「義号作戦」と呼ばれている。 残存部隊は通常の地上部隊として配備された。ルソン島の戦いでは2個滑空歩兵連隊を基幹戦力として第1挺進集団が投入されたが、約半数は海上輸送中に失われ、残余はクラーク飛行場群の守備隊として壊滅した。
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