大戦後の計画中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 08:41 UTC 版)
1939年9月に始まった第二次世界大戦を受け、アメリカ海軍は1940年に「二大洋海軍 Two Ocean Navy」建艦計画を成立させ、7隻の戦艦の建造予算を承認した。この内の5隻はBB-67からBB-71として承認され、筆頭艦に命名された“モンタナ”の名を取って「モンタナ級戦艦」と総称された。1番艦から5番艦までの建造予算は1940年7月19日に承認され、9月9日にはアメリカ国内の三つの造船所に発注された。モンタナ級が5隻が完成し、同時に承認されたアイオワ級2隻の追加建造も合わせれば、アメリカ海軍は17隻の新型戦艦を保有することとなり、これは他国に対しての大きな利点となると考えられていた。また、日本海軍の新型戦艦(大和型)に対抗しえる艦となるはずであった。 しかしながら、この時点でも「BB-67」となったモンタナ級戦艦の案は固まっていなかった為に建造開始の承認は無く、建造中であったアイオワ級戦艦の建造が優先された。1941年3月には最終案「BB-67-4」が海軍上層部に承認を受けたものの、12月に太平洋戦争が始まり、アメリカが第二次世界大戦に参戦すると、戦局は航空母艦、揚陸艦艇、輸送船、潜水艦及び対潜水艦用の各種護衛艦艇を緊急に必要とするようになった。モンタナ級の起工は低優先度事項とされ、1941年中には起工されなかった。1942年に入って戦訓を取り入れた改設計も行われるものの、同年4月にはルーズベルト大統領からモンタナ級の建造計画の中止命令が下された。その後、海軍からは「アイオワ級2隻の追加建造を取り止めてモンタナ級を建造すべきだ」という声も上がったが決定は覆らず、1943年7月21日には1隻も起工されないまま建造計画はキャンセルされることとなった。 1番艦であるモンタナの艦名は、1921年のダニエルズ・プランで計画されたサウスダコタ級戦艦の3番艦に命名される予定であったが、翌年のワシントン海軍軍縮条約で同級の建造は中止されたためキャンセルされたものを改めて採用したものである。本級もキャンセルされたことで、モンタナ州はアメリカ合衆国の48州(当時)の中で主力艦に命名がなされなかった唯一の州となった。 なお戦時中の日本でもモンタナ級については一般に知られており、大和型戦艦については「新造戦艦」としか報じられていなかった日本国民には大きな脅威と受け止められていた事が当時、出版された書籍の記述から確認出来る。
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