剣部隊とは? わかりやすく解説

剣部隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 15:21 UTC 版)

菅野直」の記事における「剣部隊」の解説

1944年12月第343海軍航空隊通称・「剣」部隊)の戦闘301飛行隊新選組隊長着任。剣部隊という名称は、菅野八木隆次の案が公募選出された。菅野景品万年筆加藤種男譲っている。菅野自分紫電改に敵をひきつけるため黄色ストライプ模様描いた。他の隊長もそれに倣った菅野は常に最前線戦い、危ういところへ参入し列機を逃がす間、自身最後までそこへとどまり空戦では故障機に乗った部下をかばいながら戦うこともあった。部下笠井智一怪我をした際には弟に対するように気遣い怪我治るまで復帰認めなかった。 源田実司令によれば菅野勇猛果敢戦術眼もあり、戦闘技量抜群で、三四三空編成する時に真っ先に頭に浮かんだ人物であり、他の飛行隊長である鴛淵孝林喜重兄弟のように仲が良く菅野我慢比べをしてB-29空襲下で退避せずに談笑していたこともあったという。副長中島正中佐は、知将淵、仁将の猛将菅野評する品川大尉343空整備分隊長)は「最初に会った印象傲岸不遜な男といった感じで、後から来た戦闘七〇一飛行隊長大尉戦闘四〇飛行隊長林喜重大尉きわめて紳士的だったのに対し菅野は気に入らなければ上級者といえども上級者とみなさないというようなところがあり、その意味では異色存在だった」と語っている。二番機も務めた田中弘中尉は「頭も腕もいい、短気な面があるがさっぱりしている」と評する田村恒春は「闘志だけでなく緻密空戦がうまく気風もよくて遊び豪快」と評する桜井栄一郎上飛曹は「気さく階級こだわらない人」と語っている。宮崎勇菅野を剣部隊の3人の隊長の中で一番若くやんちゃ豪気であった評している。笠井智一によれば菅野は敵を発見すると、電話で「こちら菅野一番敵機発見!」と知らせたとたん、突っ込んでいくので二番機は苦労しただろうが、勇猛果敢猪突猛進真骨頂で、こんな隊長は他にいなかったという。ところが部下には優しい人で、笠井殴られたことも怒られたこともないという。 菅野司令である源田実大佐心服しており、小島光造中学海兵同期)は「菅野には既存秩序逆らってそれを打ち破ろうとしていたようなところがあった。だから規則にうるさい上司だったら菅野秩序を乱す不届き者として見られ、彼自身くさってしまったかもしれない源田さんはその辺見抜き、とにかく戦闘勝ってくれればよしとして細かいこと一切言わなかった。菅野そうした源田さんの知遇応えて戦闘では抜群働きをした」と語っている。源田菅野失った時は弟を失ったように感じたという。 菅野隊員らが海軍クラブ騒いでいるとやかましいと何度も文句言ってくる者がいるので、菅野は「何がやかましい」と襖を開けると少将何人かの佐官参謀がいた。他の者が青ざめる中、菅野テーブル料理蹴飛ばしその上に座り込んだ少将が「もういいだろ、帰れよ」と嗜めたので帰ったが、翌日その少将基地源田司令談笑しており、源田菅野らを見ると「お前ら昨日は元気が良かったそうじゃの」と声をかけただけでその件は問題にならなかった。また、菅野宮崎勇連れ無断外出をして温泉行った際、源田司令温泉ではち合わせたことがあった。無断外出明らかな違反行為小さくなった2人対し司令は「温泉はいいのう、気をつけて帰れよ」と声をかけ咎めるともなく菅野は「さすがオヤジ源田愛称)だ」と感心した様子だったという。 343空隊員親し今井琴子夫人によれば菅野は「俺にカアちゃん(嫁)を見つけてくれよ」「ゆっくり落ち着ける家庭がほしいな」と言っていたことがあるという。相手いくらでも見つかったが、菅野には自分がいつ死ぬか分からないので、残す妻を作るわけにもいかないという気持ちもあり葛藤しているようであったという。 剣部隊で源田薫陶受けた菅野は「特攻へは行かない」と話すようになり、フィリピン特攻指揮していた中島正副長着任した際、343空特攻使われるのかと不安が漂ったが、菅野源田司令働きかけ中島早々に転任させた。 3月19日343空初陣である九州沖航空戦松山上空戦)で、敵機1機を撃墜直後自身撃墜され、顔にやけどを負い落下傘降下して電線引っ掛かり助かるが、敵と間違われ殺気立った地元民囲まれてしまい、身に着けていた千人針入り日の丸の布を見せてようやく誤解解けた4月15日菅野部下である杉田庄一戦死杉田戦歴の上では菅野よりも先輩であったが、彼の将器に対して深い敬意払っており、菅野悪口を言うものがいれば殴りかかった杉田戦死した時、菅野誰が見て分かるほど落ち込んでいた。源田司令菅野杉田劣らない僚機迎えると約束したが、難航して菅野気を遣い「もういいですよ」と言ったが、司令はそれでは菅野近く死んでしまうと感じ武藤金義編入されることになった武藤司令に「私が来たからには隊長死なせません」と約束して守ったが、7月24日武藤戦死した大型爆撃機 B-29迎撃任務にあっては菅野考案した大型爆撃機戦法部下と共に多数撃墜、敵から恐れられた。しかし、その高い危険性から大尉林大尉からは賛意得られず、林大尉と口論になった。そしてこのやりとりがあった翌日4月21日戦死。その報に接した菅野は「あんなことを言わなければ・・・」と後悔したという。

※この「剣部隊」の解説は、「菅野直」の解説の一部です。
「剣部隊」を含む「菅野直」の記事については、「菅野直」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「剣部隊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「剣部隊」の関連用語

剣部隊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



剣部隊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの菅野直 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS