7月下旬に向けた作戦準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/03 17:13 UTC 版)
「剣号作戦」の記事における「7月下旬に向けた作戦準備」の解説
剣作戦は夜間飛行に適した満月に近い月齢の時期に行う必要があり、7月下旬(満月は24日)が実行時期に選ばれた。そして、7月下旬に向けて部隊人員・装備の調達や訓練などの作戦準備が進められた。剣作戦部隊の準備は三沢基地を拠点として行われた。 6月24日のGB電令作93号により指示された剣作戦部隊の兵力は、地上戦闘要員の呉101特と空挺飛行機隊の一式陸攻20機に加え予備5機であった。空挺飛行機隊は第3航空艦隊のほか第5航空艦隊と第10航空艦隊から派出した機体と人員で構成され、27日には搭乗員を増やして実施兵力25機体制に増強された(GB電令作96号)。陸攻各機に陸戦隊員10人ずつが分乗し、計250人を輸送する。 護衛機無し且つ自衛武装無しでの飛行となるため、硫黄島の防空レーダー警戒圏を迂回した夜間行動で迎撃を避ける戦術が採られた。サイパン島までの予定飛行距離は1300海里(約2400km)以上と長く、多数の陸戦隊を乗せた過加重状態のため燃料は片道分ぎりぎりであり、主要行程を推測航法に頼らなければならないなど搭乗員の負担は極めて大きかった。 陸戦用の装備として、吸盤ゴムの付いた手投げ式のB-29破壊用吸着爆雷や、機動力確保のための自転車などが整備された。吸着爆雷は、大西瀧治郎軍令部次長の発案で新たに開発されたものである。攻撃訓練用に、B-29の実物大模型も製作された。 マリアナ諸島の基地の状況を調査するため、三沢基地には捕虜であったB-29搭乗員29人が集められ、取調べを受けた。これによりサイパン島とグアム島の状況は飛行場内部の配置などまで詳細に把握され、模型も製作されている。 出撃予定時期が迫ってきた7月14-15日、アメリカ海軍第38任務部隊が、北日本一帯を激しく空襲した。悪天候のため第一次攻撃目標とされた日本軍航空基地の多くは被害を免れたが、三沢基地は7月14日の早朝から攻撃を受けてしまった。この戦闘で剣部隊用の一式陸攻の大半が破壊され、出撃可能なのは7機だけになってしまった。部隊指揮官の山岡少佐は残存機による決行を主張したが、大本営海軍部は次の月明期である8月18日以降(満月は23日)へ作戦延期を決定した。7月25日に、豊田軍令部総長は昭和天皇に対して作戦延期を報告している。
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