7月危機、事件の連鎖
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「第一次世界大戦の原因」の記事における「7月危機、事件の連鎖」の解説
1914年6月28日、セルビア人 民族統一主義者がオーストリア=ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナント大公を殺害した。 6月30日、オーストリア外相レオポルト・ベルヒトルト伯爵とオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世はセルビアに対する「忍耐の政策」は終えて、確たる方針で臨まねばならないことに合意した。 7月5日、オーストリア外交官のホヨス伯爵アレキサンダーはドイツの態度を確認するためベルリンを訪問した。 7月6日、ドイツは無条件の支援をオーストリア=ハンガリーに提供した。いわゆる「白紙小切手」である。 7月20-23日、フランス大統領レイモン・ポアンカレは、サンクトペテルブルクのロシア皇帝への公式訪問で、セルビアに対するオーストリアのいかなる手段に対しても妥協なく反対することを迫った。 7月23日、オーストリア=ハンガリーは独自の秘密調査の後、要求を記した最後通牒(オーストリア最後通牒)をセルビアに送付した。履行までの猶予は48時間しか与えなかった。 7月24日、エドワード・グレイ卿はイギリス政府を代表して、ドイツ、フランス、イタリア、イギリスのような「セルビアに直接的権益を持たない国は、平和のために同時に行動すべきだ」と依頼した。 7月24日、セルビアはロシアからの支援を得ることを模索し、ロシアは最後通牒を受け入れないようセルビアに助言した。ドイツはオーストリアの立場を支持することを公式に宣言した。 7月24日、ロシアの大臣会議はロシア陸軍・海軍を秘密裏に部分動員することで合意した。 7月25日、ロシア皇帝は大臣会議の決定を承認し、ロシアの部分動員(110万人)が開始された。 7月25日、セルビアはオーストリア=ハンガリーの外交照会に対して、完全には受け入れない内容で回答し、常設仲裁裁判所の仲裁調停を求めた。オーストリア=ハンガリーはセルビアとの外交関係を断絶した。セルビアは陸軍を動員した。 7月26日、セルビアの予備役兵が偶発的にオーストリア=ハンガリーとの国境をTemes-Kubinで越境した。 7月26日、イギリス、ドイツ、イタリア、フランスの大使たちの間で、今回の危機について議論する会議が設定された。ドイツは招待を断った。 7月28日、オーストリア=ハンガリーは、セルビアからの回答が25日までになかったとして、セルビアに宣戦した。オーストリア=ハンガリーはセルビアに対して動員を開始した。 7月29日、エドワード・グレイ卿は平和を維持するためにドイツの仲裁を求めた。 7月29日、イギリスの駐ベルリン大使Edward Goschen卿はドイツ宰相からドイツはフランスとの戦争を考慮しており、更には、ベルギーを通過させてドイツ軍を送ること望んでいると知らされた。彼は、そのような軍事行動の場合のイギリスの中立を取り付けようとしていた。 7月29日、ロシアが総動員を下令した。 7月30日、ロシアの総動員はロシア皇帝により撤回されたが、その後再度下令された。 7月31日、オーストリアが総動員を下令した。 7月31日、ドイツは戦争準備体制に入った。 7月31日、ドイツはロシアに最後通牒を送付し、12時間以内に軍事的な準備を中止することを求めた。 7月31日、イギリスはフランスとドイツ両国にベルギーの今後の中立を支持するよう依頼した。フランスはこれに同意した。ドイツは回答しなかった。 7月31日、ドイツは、ドイツとロシアが戦争になった場合、フランスは中立を保つかどうかをフランスに尋ねた。 8月1日、フランスが総動員を下令した。配備計画「プランXVII」を選択。 8月1日、ドイツが総動員を下令した。配備計画「Aufmarsch II West」を選択。 8月1日、ドイツがロシアに宣戦。 8月1日、ロシア皇帝はドイツ国王の電報に対して「今日の午後にドイツ大使が私の政府に宣戦の通牒を渡さなかったとすれば、私は喜んで君の提案を受け入れただろう」と述べて返答した 8月2日、ドイツとオスマン帝国は秘密条約に署名して、独土同盟を結んだ。 8月3日、ドイツは、フランスに求めていた中立維持を断られた後、フランスに宣戦した。ドイツは、ドイツ軍がベルギー領内を自由通過することをベルギーが認めない場合、ベルギーを敵とみなすと言明した。 8月4日、ドイツはシュリーフェン・プランから着想を得た攻勢作戦を開始した。 8月4日深夜、ドイツからベルギーの中立を保証する通知がなかったことを以て、イギリスはドイツに宣戦した。 8月6日、オーストリア=ハンガリーがロシアに宣戦した。 8月23日、日英同盟により日本がドイツに宣戦した。 8月25日、日本がオーストリア=ハンガリーに宣戦した。
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