大使たちとは? わかりやすく解説

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たいしたち【大使たち】

読み方:たいしたち

原題、(ドイツ)Die Gesandtenホルバイン絵画。板に油彩。縦207センチ、横209.5センチフランスから英国派遣され大使描かれる手前の床に浮かぶ細長い物体アナモルフォーシスの手法で描かれており、向かって右側の斜め下から見ると頭蓋骨であることがわかる。ロンドンナショナルギャラリー所蔵


大使たち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/25 14:41 UTC 版)

『大使たち』
ドイツ語: Die Gesandten
英語: The Ambassadors
作者ハンス・ホルバイン
製作年1533年
種類油彩
寸法207 cm × 209.5 cm (81 in × 82.5 in)
所蔵ナショナル・ギャラリーロンドン

大使たち』(たいしたち、: Die Gesandten)は、ドイツの画家ハンス・ホルバインにより1533年に描かれた絵画である。

この二人の「大使たち」は、ヘンリー8世ローマ・カトリックからの離脱を思いとどまらせようと、フランスからロンドンへ送られた外交官ダントヴィル(画面左)とその友人の司教セルヴ(右)である[1]

『ジャン・ド・ダントヴィルとジョルジュ・ド・セルヴの肖像』[2][3]、『外交官たち』[4]とも。ロンドンにあるナショナル・ギャラリーに収蔵されている[5]

本作は、イングランド王であるヘンリー8世の命令で描かれた[6]

作品

画面の左側に立っているのは、ポリジー (fr:Polisy) の領主、ジャン・ド・ダントヴィル (en:Jean de Dinteville) であり、 右側に立っているのは、ラヴォール司教、ジョルジュ・ド・セルヴ (en:Georges de Selve) である。ダントヴィルにとって、このときが3度目のイギリス訪問であったのに対し、ド・セルヴにとっては、このときが最初のイギリス訪問であった。2人の当時の年齢は、ダントヴィルについては、彼が手にしている短剣の柄に、ド・セルヴについては、彼が右ひじを置いている書物の側面に入れられた書き込みから、それぞれ29歳と25歳であるとされている[7]

ニコラウス・クラッツァーの肖像

2人の間にある棚には、様々な道具類が並べられている。上段の左端には、天文学あるいは占星学のための天球儀が置かれており、これには、動物の図柄とともに、いくつかの星座の名称がラテン語で記されている。その右隣には、円筒状の日時計が立てられており、この状態では、4月11日もしくは8月15日を示しているとされる。これと同様の日時計は、ヘンリー8世付きの占星学者であったニコラウス・クラッツァー (en:Nicholas Kratzer) の肖像(ルーヴル美術館所蔵)の中にも確認することができる[7]。その右隣にある象限儀や、その右隣にある多面体の日時計についても、ニコラウス・クラッツァーの肖像の中に同様のものが確認できる。

下段の左端には、地球儀が置かれており、これは、ニュルンベルクで1523年に発表されたヨハネス・シェーナー制作のものを写したものであるとされる[7][8]。その前の方で半開きになっている書物は、天文学者であり地理学者でもあったペトルス・アピアヌスによる “Kauffmanns Rechnung” (1527年)である[7]

その右隣で両開きになっている書物は、ヨハン・ワルター作曲の讃美歌集 “Geystlich Gesangk Buchleyn” (1524年)である。讃美歌集には、マルティン・ルターの讃美歌および十戒のパラフレーズが写されている。その付近には、11本の弦のうち1本がなぜか切れてしまっているリュートの他に、フルートのケースとおぼしきものが置かれている[7]

画面の左方から鋭角的に見ると頭蓋骨であることがわかる

これらの道具類は、いずれも数学音楽地理学、天文学のどれかに関係しており、これらの4つの学科は、クワドリウィウム (quadrivium) を構成するものであり、2人の人物の高度な教養もしくは知性を表現するために、数々の道具類が描かれたものと考えられる[7]

画面左上には、キリストの磔刑像が、カーテンの後ろに半ば隠れるようにして見えている[1][9]。2人が立っている床のモザイク模様は、ウェストミンスター寺院の内陣のそれを模写したものであるとされている。その床面の上には、長細い形状をした物体が描かれているが、これは、アナモルフォーシスという画法が用いられており、画面の右方もしくは左方から鋭角的に見ると、頭蓋骨であることがわかる[7][10]。頭蓋骨は、死の象徴である。若くて可能性に満ちあふれていたとしても、死はいつ訪れるかわからない、という深刻なテーマが織り込まれているのである[11]

解釈

山形大学教授の元木幸一は、「深刻なテーマを、形の遊戯性で緩和しているのだ。それゆえに、これも苦笑いを誘発する絵画ということになるのだろうか」[11]と述べている。

脚注

参考文献



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