1986年の再選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:23 UTC 版)
「1981年の国際連合事務総長の選出」の記事における「1986年の再選」の解説
ハビエル・ペレス・デ・クエヤルの1期目が満了する1986年、国連は財政難に直面していた。アメリカ議会が国連への拠出金を削減した後、ペレス・デ・クエヤルは「レーガン政権が自国の分担金を支払うことに同意するなら、自分はもう1期務める」と語っていた。8月に心臓のバイパス手術を受けたペレス・デ・クエヤルは、「犠牲を払って船と運命を共にする必要はない」と言った。ペレス・デ・クエヤルは、もし人生をやり直せるなら、事務総長ではなくピアニストになりたかったが、「でもそれは、自分の国では女の子だけのものだった」と語った。 10月2日、常任理事国の大使たちはペレス・デ・クエヤルと会談し、再選のための立候補を促した。10月10日、安全保障理事会は全会一致でペレス・デ・クエヤルを2期目の事務総長に選出した(決議589)。ペレス・デ・クエヤルは国連への財政支援の「ヒント」しか受け取っていなかったが、自分の選出を受け入れる義務があると感じていた。選出時の演説でペレス・デ・クエヤルは、「このような状況で辞退することは、国連に対する道義的な義務を放棄することに等しい」と述べた。
※この「1986年の再選」の解説は、「1981年の国際連合事務総長の選出」の解説の一部です。
「1986年の再選」を含む「1981年の国際連合事務総長の選出」の記事については、「1981年の国際連合事務総長の選出」の概要を参照ください。
- 1986年の再選のページへのリンク