1986年の失格騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 22:22 UTC 版)
「ラリー・サンレモ」の記事における「1986年の失格騒動」の解説
「グループB#1986年」も参照 1986年のWRC第11戦として行なわれたラリー・サンレモでは、プジョー・205T16E2が車両規定違反により失格となり、ランチアのマルク・アレンが優勝した。プジョーはこの裁定に対して抗議し、最終結果の判明はシーズン終了後まで持ち越された。 国際自動車スポーツ連盟 (FISA) はプジョーの失格を無効とし、あわせてサンレモのリザルトを無効とした。その結果、アレンの優勝とポイントが取り消され、最終戦でチャンピオンを獲得したはずのアレンはランキング2位に落ち、プジョーのユハ・カンクネンがチャンピオンに認定された。
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