1986年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 14:38 UTC 版)
交通量の増加に伴い、3度架け替えられる事となった。1979年工事開始、1986年12月完成。 表 話 編 歴 石狩川の橋(これより上流は林道のみ) 高原大橋 樹海橋 清瀬橋 ライマン橋 層雲橋 神仙橋 胡蝶岩橋 万景壁橋 白雲橋 日東橋 菊水橋 上川大橋 石北本線第六石狩川橋梁 愛山渓大橋 安足間大橋 寿見江橋 石北本線第五石狩川橋梁 中愛別橋 愛山橋 石北本線第四石狩川橋梁 豊愛橋 愛別橋 愛別大橋 比布大橋 麻布橋 栄園橋 宗谷本線第三石狩川橋梁 東永橋 永山橋 北旭川大橋 秋月橋 花咲大橋 金星橋 旭橋 新橋 旭西橋 函館本線第二石狩川橋梁 近文大橋 江神橋 伊納大橋 神居大橋 神竜水管橋 神納橋 石狩川橋 納内橋 深川橋 深川大橋 向陽橋 妹背牛橋 函館本線第一石狩川橋梁 江竜橋 平成橋 石狩川橋 滝新橋 砂川大橋 奈井江大橋 美浦大橋 月形大橋 みらい大橋(石狩川頭首工管理橋、広域農道) たっぷ大橋 美原大橋 石狩大橋 新石狩大橋 札沼線石狩川橋梁 札幌大橋 石狩河口橋 (石狩湾) この項目は、道路に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:道路/プロジェクト:道の駅/Portal:道路)。 座標: 北緯43度46分56.1秒 東経142度17分23秒
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1986年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 21:11 UTC 版)
旧橋は幅員が狭いため大型車同士の橋上での行き違いが不可能で、モータリゼーションの進展により自動車交通が増加し、橋を通学路としている児童の鞄などに車両が接触するなど橋を通行する歩行者が危険に晒されるようになったため、村は県に橋の拡幅もしくは歩道橋の新設の請願や陳情を繰り返した。1975年(昭和50年)の1日当たりの通行量は5000-10000台にも上っていた。その結果県は交通量のさらなる増加と車両の大型化に対処するため、総工費5億6000万円を投じて今までの橋のすぐ上流側に併行して下り線専用の新橋が、旧橋に似たプラットトラス構造を持つ鋼上路トラスドアーチ橋の1等橋(TL-20)として架橋することとなった。 橋は1977年(昭和52年)より測量や設計、および用地買収に着手され、1984年(昭和59年)夏より橋の施工が開始された。施工は日本橋梁、および三菱重工業(現、三菱重工鉄構エンジニアリング)が行い、深い谷でベント(仮受け台)の設置が困難な場所なため、架設工法としてケーブルクレーンによる斜吊り工法(ケーブルエレクション斜吊り工法とも呼ぶ)が用いられた。橋長149.200 m、総幅員6.500 m、有効幅員5.250 m(車道3.750 m、歩道1.500 m)。最大支間長は99.000 mで、支間割は21.700 m、99.000 m、21.700 mである。なお左岸側でコンクリート橋に接続され、その橋を含めた総延長は159.6 mと旧橋とほぼ同じ長さとなる。ただし、径間長やアーチライズ比が旧橋と異なるため、景観美が損なわれてしまった。 1986年(昭和61年)2月15日午前11時より橋の閉合式が開催され、荒川村長をはじめ地元および工事関係者が出席した。式典では神事のあと、関係者が見守る中ケーブルクレーンで搬送された7.5メートル重さ3.7トンの桁が両岸より伸びる橋桁の隙間に降下させた後結合して、橋が一本に繋がった。役目を終えたケーブルクレーンなどの仮設工は解体撤去され、床版コンクリート打設や橋桁塗装などの工事が行なわれ、橋は1986年(昭和61年)8月完成し、同年9月3日開通した。開通式は午前11時より新橋袂の特設テントにて挙行され、地元選出の代議士や県会議員が来賓として招かれた。式典は祝辞の後、荒川村長らによるテープカットが執り行われ、この後に渡り初めを行う予定だったが、台風崩れの低気圧による大雨のため渡り初めは中止され、二組の三世代家族によるくす玉開披に変更となった。橋は同日15時から一般供用が開始された。 新橋の開通後は旧橋は上り線専用の一方通行の橋として使用が継続されるため、旧橋を一時的に通行止めにして歩道を設置する工事を行ない、川下側に歩道が新設された。また、欄干を高くする工事や橋の塗装なども合わせて行われた。工事の間は新橋で信号による片側交互通行が実施された。また、新橋の完成に合わせて上流側に取り付け道路が新設され、上下線を分離してそれぞれの橋に一方通行で接続する様、取り付け道路が改修された。旧橋にあった親柱(灯柱)は、新橋建設に合わせて川上側の2本が新橋の川上側に移設されている。開通当初は荒川村に架かる橋であったが、2005年(平成17年)4月1日の合併(平成の大合併)により荒川村は秩父市に編入された。
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