出版状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 15:53 UTC 版)
「トリポッド・シリーズ」の記事における「出版状況」の解説
時系列順とし、オリジナルを優先する。最後に書かれた前日譚が第1巻になるため、第2巻からの記載となる。 英・日での出版状況巻数イギリス(オリジナル)学習研究社(亀山龍樹訳)ハヤカワ文庫(中原尚哉訳)第2巻The White Mountains(1967年) 鋼鉄の巨人(1977年) トリポッド2 脱出(2005年) 第3巻The City of Gold and Lead(1967年) 銀河系の征服者(1978年) トリポッド3 潜入(2005年) 第4巻The Pool of Fire(1968年) もえる黄金都市(1979年) トリポッド4 凱歌(2005年) 第1巻When the Tripods Came(1988年) (刊行なし) トリポッド1 襲来(2004年) ハヤカワ版は前日譚(第1巻)からの発売となっている。
※この「出版状況」の解説は、「トリポッド・シリーズ」の解説の一部です。
「出版状況」を含む「トリポッド・シリーズ」の記事については、「トリポッド・シリーズ」の概要を参照ください。
出版状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 02:52 UTC 版)
「グリーン・レクイエム」の記事における「出版状況」の解説
小説「グリーン・レクイエム」は当初奇想天外1980年9月号に掲載された後、1980年に奇想天外社から「週に一度のお食事を」と「宇宙魚顛末記」の2作とあわせて単行本『グリーン・レクイエム』として刊行、同内容で1983年10月に講談社から文庫版が刊行された。『緑幻想』は当初書き下ろしの単行本として1990年2月に講談社から刊行されている。『緑幻想』刊行後の1990年4月には『緑幻想』と判型・表装を揃え小説「グリーン・レクイエム」のみを内容とした単行本の『グリーン・レクイエム』が講談社から出版された。 2007年2月には出版芸術社から刊行された「色」をテーマにした新井素子の自選作品集『窓のあちら側』に収録され、同年5月には日本標準からシリーズ「本のチカラ」として児童書形式で刊行されている(いずれも小説「グリーン・レクイエム」のみ収録)。また同年11月には「グリーン・レクイエム」と『緑幻想』が合冊された1巻本が東京創元社の創元SF文庫から刊行された。
※この「出版状況」の解説は、「グリーン・レクイエム」の解説の一部です。
「出版状況」を含む「グリーン・レクイエム」の記事については、「グリーン・レクイエム」の概要を参照ください。
出版状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 14:51 UTC 版)
『西方の音』は、1969年(昭和44年)にそれまで連載した記事に追加・割愛編集され新潮社で刊行(表紙はベートーヴェン)。『天の聲-西方の音-』は、1976年(昭和51年)に新潮社で刊行(表紙はワーグナー)。 1980年(昭和55年)4月に、五味が歿し間もなく「オーディオ巡礼」、および『西方の音』、『天の聲』全篇に、月刊誌「潮」などに発表した音楽記事を追加した再編文庫が刊行。クラシック音楽関連は『五味康祐 音楽巡礼』新潮文庫、1981年(昭和56年)オーディオ機器関連は『五味康祐 オーディオ遍歴』新潮文庫、1982年(昭和57年)。のち各 オンデマンド版・Kindle版 『五味康祐 オーディオ巡礼』(ステレオサウンド・選書版、1980年、改訂復刊2009年)、続編の遺著で、1967年(昭和42年)から季刊誌『ステレオサウンド』に長期連載した音楽随想『いい音 いい音楽』(読売新聞社、1980年/中公文庫、2010年、解説山本一力)。遺著で、最晩年に連載した「一刀斎オーディオを語る」を軸にした『西方の音 音楽随想』(中公文庫、2016年、解説新保祐司)
※この「出版状況」の解説は、「西方の音」の解説の一部です。
「出版状況」を含む「西方の音」の記事については、「西方の音」の概要を参照ください。
出版状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/17 15:40 UTC 版)
『胡堂百話』は1959年(昭和34年)、角川書店より書き下ろし単行本として出版された。判型はB6判で、箱入りの体裁であった。その後しばらく絶版状態が続いたが、1981年(昭和56年)に中央公論社より文庫判で再版され、今日に至っている。
※この「出版状況」の解説は、「胡堂百話」の解説の一部です。
「出版状況」を含む「胡堂百話」の記事については、「胡堂百話」の概要を参照ください。
出版状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 14:28 UTC 版)
『風眼抄』の単行本は1979年(昭和54年)、六興出版より新書判で出版された。装訂は田村義也が担当。山田は出版にあたり、作品選択を出版社に一任し、六興出版編集部にて48篇が選ばれた。山田は本書のあとがきで、「もし長期入院などの事態が起こったら、高名の作家の随筆に加えて、自分のこの平凡な随筆を持ってゆくことになるかも知れない」と述べており、自分が編集に関与していないにもかかわらず、その出来ばえに満足していたと思われる。『風眼抄』は、下記の文庫判で出版され、山田の代表的な随筆集となった。
※この「出版状況」の解説は、「風眼抄」の解説の一部です。
「出版状況」を含む「風眼抄」の記事については、「風眼抄」の概要を参照ください。
出版状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/07 18:11 UTC 版)
1962年に講談社の「児童文学創作シリーズ」の1点として刊行、以後1969年に復刊、1981年には同社の「青い鳥文庫」、1988年に「スミセイ児童文庫」から刊行されている。 依光隆/絵 講談社、1962年 たにとしひこ/絵 講談社青い鳥文庫、1981年4月、ISBN 978-4-06-147065-1
※この「出版状況」の解説は、「少年オルフェ」の解説の一部です。
「出版状況」を含む「少年オルフェ」の記事については、「少年オルフェ」の概要を参照ください。
出版状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 02:49 UTC 版)
『ヨーロッパ退屈日記』は、俳優時代と同じ伊丹一三名義で、1965年(昭和40年)3月、文藝春秋新社からポケット文春という新書シリーズの一冊として出版された。出版にあたって、伊丹は装訂と挿絵も手がけ、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてもすぐれた手腕を見せた。また、本書の表紙には、山口瞳による惹句が「この本を読んでニヤッと笑ったら,あなたは本格派で,しかもちょっと変なヒトです」と記載されているが、文中の本来読点であるべき部分がコンマになっており、山口の才気がうかがえる[独自研究?]。なお、この惹句は新潮社に出版元が移った現在も引き継がれている。
※この「出版状況」の解説は、「ヨーロッパ退屈日記」の解説の一部です。
「出版状況」を含む「ヨーロッパ退屈日記」の記事については、「ヨーロッパ退屈日記」の概要を参照ください。
出版状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/15 16:34 UTC 版)
「森の精 (管弦楽のためのバラード)」の記事における「出版状況」の解説
蘇演に続くリリースの波があったものの、それ以降『森の精』の録音頻度は他のシベリウス作品と比較して低い状態にとどまっている。世界初録音は1996年にオスモ・ヴァンスカがラハティ交響楽団を率いてBISレコードに行われた。2006年にブライトコプフ・ウント・ヘルテルからJSWクリティカル・エディションが出されるまで音楽的材料の一部に入手できないものがあり、それらはそれ以前の録音には含まれていない。1888年のピアノ伴奏歌曲の版はアンネ・ゾフィー・フォン・オッターが録音を行っている。エーリク・タヴァッシェルナもその他のシベリウスのピアノ編曲作品と共に本作のピアノ独奏版を録音した。ヴァンスカの1996年の録音はメロドラマの世界初録音でもあり、ラッセ・ポユスティ(英語版)がナレーションを務めた。
※この「出版状況」の解説は、「森の精 (管弦楽のためのバラード)」の解説の一部です。
「出版状況」を含む「森の精 (管弦楽のためのバラード)」の記事については、「森の精 (管弦楽のためのバラード)」の概要を参照ください。
出版状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:29 UTC 版)
別の学術雑誌であるサイエンスによると、ネイチャーに掲載されることは、学術界で一定の権威を持つことが知られている。特に論文の頻繁な引用がされやすくなり、昇進や助成金獲得、主流メディアからの注目につながる可能性がある。このような正のフィードバック効果のために、ネイチャーやその最も近い競争相手であるサイエンスのような高水準のジャーナルに掲載するための科学者間の競争は非常に激しい。ネイチャーのインパクトファクターは、トムソンISIによると2015年には38.138であった。ただし多くの他のジャーナルと同様に、ほとんどの論文は、インパクトファクターが示すよりもはるかに少ない回数した引用されない。ネイチャーのジャーナルインパクトファクターにはロングテールの傾向がある。 他のほとんどの専門科学雑誌と同様に、論文は編集者による最初の選別を受け、その後査読(ピアレビュー)が行われる。ネイチャーの場合、話題性のある主題を扱っており、その特定の分野で十分に画期的であると判断された場合にのみ、レビューの段階に進むことができる。そのため、提出された論文の大部分は、レビューされず掲載拒否されることになる。 ネイチャーの最初の信条は、以下の通りである。 It is intended, FIRST, to place before the general public the grand results of Scientific Work and Scientific Discovery; and to urge the claims of Science to a more general recognition in Education and in Daily Life; and, SECONDLY, to aid Scientific men themselves, by giving early information of all advances made in any branch of Natural knowledge throughout the world, and by affording them an opportunity of discussing the various Scientific questions which arise from time to time. これは、後に以下のように改訂された。 First, to serve scientists through prompt publication of significant advances in any branch of science, and to provide a forum for the reporting and discussion of news and issues concerning science. Second, to ensure that the results of science are rapidly disseminated to the public throughout the world, in a fashion that conveys their significance for knowledge, culture and daily life.
※この「出版状況」の解説は、「ネイチャー」の解説の一部です。
「出版状況」を含む「ネイチャー」の記事については、「ネイチャー」の概要を参照ください。
出版状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 17:57 UTC 版)
『味覚極楽』は連載終了後まもなく光文社から単行本化された。当時の定価は1円80銭。戦時中は絶版となっていたが、戦後、1955年 (昭和30年) から3年間、雑誌「あまカラ」に連載された。かつての新聞記者梅谷は時代小説家の子母澤寛として名を成しており、再連載にあたり取材当時の会見記を書き下ろし、初出時の記事と組み合わせて発表した。「あまカラ」への連載が終了した1957年 (昭和32年) には子母澤の会見記を加えた形で龍星閣から単行本化。以後出版されたものはこの龍星閣版を底本としており、近年においては中公文庫から出版されている。
※この「出版状況」の解説は、「味覚極楽」の解説の一部です。
「出版状況」を含む「味覚極楽」の記事については、「味覚極楽」の概要を参照ください。
出版状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/20 02:26 UTC 版)
その後大地書房は労働争議で野上彰以下50名の社員が退社し、秋田や和田らが別に発足させた日本小説社から第2号(6・7月合併号)を発行。この号には石坂洋次郎の『石中先生行状記』の発端部となる「馬車物語」を掲載するが、この続きは7月に創刊された『小説新潮』に掲載となった。 3号からは坂口安吾『不連続殺人事件』を連載。安吾は日本小説社への応援として原稿料を取らず、さらに読者による犯人当ての懸賞金も払った。この犯人当てで安吾は大井廣介、平野謙、荒正人、江戸川乱歩らの文人を指名して挑戦し、結果は最終回の1948年8月号で発表されて、文人では大井廣介がただ一人4等入選した。 和田は「小説は批評であり、批評家も実作すべきもの」という立場から、評論はいっさい載せず、1947年12月号には亀井勝一郎の小説「亡霊の対話」を掲載。これが批評家による小説執筆の嚆矢となった。 『日本小説』の売り上げは好調が続いていたが、社主の秋田が大地書房に資金をつぎ込むといったことが行われており、和田ら編集部員は1948年6月に大地書房の事務所から分離するが、営業、経営がうまくいかず徐々に売り上げ不振と資金難におちいる。1948年末には新人発掘の「日本小説賞」を構想し、審査員に川端康成、坂口安吾、高見順らの応諾を得たが実現せず、1949年4月号(24号)発行に続いて、資金繰りのために過去の掲載作10篇を再録した『日本小説傑作集』を刊行するが、売れなかった。さらに取次店ブローカーの奨めで、艶笑小説や猟奇読物を集めたカストリ雑誌『ハロー』を刊行するが、これが猥褻容疑で検挙され(不起訴処分)、「日本小説」は廃刊、倒産となる。この後和田は借金に追われて約2年半失踪することとなった。
※この「出版状況」の解説は、「日本小説」の解説の一部です。
「出版状況」を含む「日本小説」の記事については、「日本小説」の概要を参照ください。
- 出版状況のページへのリンク