4世紀とは? わかりやすく解説

4世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/18 15:00 UTC 版)

千年紀: 1千年紀
世紀: 3世紀 - 4世紀 - 5世紀
十年紀: 300年代 310年代 320年代 330年代 340年代
350年代 360年代 370年代 380年代 390年代
皇帝コンスタンティヌス1世ミラノ勅令によりキリスト教を公式に認め新首都コンスタンティノポリスを造営した。画像はローマのカピトリーノ美術館にある皇帝の巨像(コロッスス)。
背教者・皇帝ユリアヌス。ローマ帝国のキリスト教化が進む中で古来の神々の復興を意図するも早すぎる死によりその計画は挫折した。画像はパリのクリュニー中世美術館フランス語版にある皇帝の像。
最後の統一ローマ皇帝テオドシウス1世。この皇帝の遺詔によりローマ帝国は東西に分裂した。画像は「テオドシウスの銀皿(Missorium Theodosii)」(スペインのメリダ国立ローマ博物館蔵)のレプリカ。
キリスト教修道制の始まり。エジプト大アントニオスらの砂漠の師父により修道生活の基礎が築かれた。画像は大アントニオスを追慕して356年に建てられたエジプトのスエズ県にあるコプト教会の「聖アントニオス修道院」。
アクスム王国の勃興。クシュ王国を滅ぼし現在のエチオピアの地に成立したのがアクスム王国で、最も古くからキリスト教を受容していたことでも知られている。画像はキリスト教に改宗したエザナ王によるオベリスク(石柱)で24mの高さがある。
北アフリカの都市キルタ。現在のアルジェリア北部の都市で帝位争奪戦から荒廃したが、4世紀初頭に再建され皇帝コンスタンティヌス1世の名に因んでコンスタンティーヌとなって現在に至る。画像はキルタ遺跡のモザイクで海神ネプトゥルヌスとアンフィトリテの多神教のモチーフが用いられている。
ゲルマン民族の大移動。ローマ帝国との国境を越えたゲルマン諸族は各地で混乱や衝突を起こした。画像は1920年代に描かれた西ゴート族の王アラリック1世アテナイ入城(395年)の挿絵。
七支刀が所蔵されている石上神宮。ここの七支刀が『日本書紀』神功記に記載のある百済から奉献されたものだと推定されている。この事実は刃に書かれた銘文を介して知ることができる。(泰[和] 四年 十一月十六日 丙午 正陽 造百鍊鐵七支刀 [出]辟百兵 宜 供供侯王□□□□作) 。
朝顔形埴輪円筒埴輪の一種で、基台の上に朝顔のような器がついた形状からその名がある。3世紀の古墳には見られないが4世紀には数多く出現する。画像は布留遺跡出土の朝顔形埴輪と円筒埴輪土師器天理大学附属天理参考館蔵)。
画聖顧愷之。顧愷之は東晋の画家で、画絶・才絶・癡絶の三絶を備えると云われていた人物。画像は代表作「女史箴図」(大英博物館蔵)。
書聖王羲之。王羲之は東晋の書家で「蘭亭序」他の作で知られ、歴代皇帝にも愛好された。画像は宋末元初の文人画家銭選が王羲之を画題として描いた「蘭亭観鵝図」(台湾国立故宮博物院蔵)。
中国最古の仏像。紀元前後に到来した仏教がこの時代に中国の民間にも定着した。画像は五胡十六国の一つ後趙の年号「建武四年(338年)」の記年銘のある金銅仏坐像サンフランシスコ・アジア美術館英語版蔵)。
チャンドラグプタ2世の金貨。チャンドラグプタ2世はインド・グプタ朝の領土を最大に広げ、繁栄をもたらした。
シャクンタラー』。指輪をめぐるシャクンタラー姫の数奇な運命の物語でチャンドラグプタ2世王時代の宮廷詩人カーリダーサによりまとめられたとされる。画像はラヴィ・ヴァルマによる物語絵。
仏歯招来。歴史書『ダータワンサ』によるとカリンガ国の王女へーママーラとその夫ダンタによって仏歯がこの時代のスリランカに秘密に持ち運ばれたと伝える。画像はコロンボ近郊にあるケラニ・ラジャ・マハ・ヴィハーラ寺院にある仏歯招来の場面の壁画。

4世紀(よんせいき)は、西暦301年から西暦400年までの100年間を指す世紀

できごと


300年代

310年代

320年代

330年代

340年代

350年代

360年代

370年代

380年代

390年代

空白の4世紀

中国の歴史文献において266年から413年にかけての倭国に関する記述がなく、ヤマト王権の成立過程などが把握できないため、日本において「空白の4世紀」または「謎の4世紀」とも呼ばれている[2]。三国志の魏志に登場する邪馬台国がそのままヤマト王権へと発展したのか、それとも邪馬台国が別の勢力に滅ぼされたのか、天孫降臨神話とも絡んで、論争の的になっている。

文化

日本では古墳時代前期にあたる。古墳の副葬品として鉄製の農耕具が発見されていることから、鉄器の利用や農耕が行われていたと推測されている。また中国と交易が行われていた。

人物

地中海世界

アフリカ

ペルシア

インド

東アジア

五胡十六国から北魏

西晋・東晋

  • 司馬越(? - 311年) - 西晋の皇族(東海王)・八王の乱を終結させ懐帝を擁し実権を握る・その死とともに永嘉の乱が始まる
  • 郭象252年 - 312年) - 西晋の官僚・思想家・清談に優れ何晏王弼玄学に続き『荘子』に注をつける
  • 王衍256年 - 311年) - 西晋の政治家・八王の乱後の西晋を東海王越とともに支えるが石勒に捕縛され殺害される
  • 陶侃259年 - 334年) - 西晋から東晋の将軍・杜弢の乱や蘇峻の乱の鎮圧に功をなし東晋の安定に尽くす・陶淵明の曽祖父
  • 王敦266年 - 324年) - 西晋から東晋の政治家・従弟の王導と共に東晋の建国に協力・後に王敦の乱を起こす
  • 司馬睿276年 - 322年) - 東晋の初代皇帝(元帝)(在位318年 - 322年)・長安陥落に伴い建康を都として晋を再興
  • 王導276年 - 339年) - 西晋から東晋の政治家・東晋の建国に協力し琅邪王氏の基礎を築く
  • 蘇峻(? - 329年) - 西晋から東晋の軍人・王敦の乱の鎮圧に功があったが不満を持ち蘇峻の乱を起こす
  • 郭璞276年 - 324年) - 西晋から東晋の文学者・卜者・王導に重用され『爾雅』『方言』『山海経』に注をつける
  • 葛洪283年 - 343年) - 西晋から東晋の道教思想家・著作に『神仙伝』『抱朴子』がある
  • 干宝(? - 336年) - 東晋の史官・元帝に『晋紀』を上奏した・志怪小説集『捜神記』の著者でもある
  • 王羲之303年 - 361年) - 東晋の政治家・書家で「書聖」とも呼ばれる・代表作に「蘭亭序」がある
  • 桓温312年 - 373年) - 東晋の政治家・軍人・土断法の実施や軍事的成功により政権を掌握し禅譲を望むが失敗
  • 支遁314年 - 366年) - 東晋の僧侶・老荘思想の概念で仏教を解釈する格義仏教の中心人物・著作に『文翰集』がある
  • 謝安320年 - 385年) - 東晋の宰相・桓温の簒奪の阻止し淝水の戦いを勝利に導く
  • 黄初平328年? - 386年?) - 東晋の道士・金華山で活躍し後年は「黄大仙」として祀られる・「叱石成羊」の故事で有名
  • 王献之344年 - 386年) - 東晋の書家・父の王羲之と並び「二王」と称される・代表作に「中秋帖」「地黄湯帖」がある
  • 顧愷之344年? - 405年?) - 東晋の画家で「画聖」とも呼ばれる・代表作に「女史箴図」「洛神賦図」がある
  • 孫恩(? - 402年) - 東晋の宗教家(五斗米道)・江南の信徒を集め反乱を起こし建康に迫るが敗走し自殺
  • 司馬道子364年 - 402年) - 東晋の皇族・政治家・簡文帝の末子で孝武帝の末弟・政局を壟断するが桓玄の乱で殺害される

伝説・架空のできごと

  • 4世紀 - エジプトのナイル川流域には少なからぬキリスト教の修道士が隠棲し瞑想と修養の日々を送っていた。修道院長パフニュスはこれらの修道士の中でも高い霊性と卓越した指導力で多くの人々の支持を得ていた。ある日パフニュスは、瞑想の最中に若き頃、自分を虜にした舞姫タイスのことを思い出す。多くの若き男性を翻弄したタイスを改悛させるべく、頽廃と悪徳の巷である大都市アレクサンドリアにパフニュスは向かった(アナトール・フランス『舞姫タイス』)。
  • 303年前後 - 皇帝ディオクレティアヌスのキリスト教徒迫害により、ローマ帝国の軍人だったゲオルギオス小アジアカッパドキアに退避する。この地のセルビオス王は毒を吐くドラゴンに悩まされており、王女をドラゴンの生贄に差し出すことになっていた。ゲオルギオスはドラゴンと果敢に戦い王女の救出に成功する(『黄金伝説』ほか「聖ゲオルギオス伝説」)。
  • 314年 - 335年 - ローマ教皇シルウェステル1世による洗礼を受けて、ハンセン氏病が癒えたローマ皇帝コンスタンティヌスは、その感謝の印として教皇に自分と等しい権力を与えて全西方世界を委ねることとし、自分はコンスタンティノポリスに隠退することを表明した(8世紀頃に作られたという偽書コンスタンティヌスの寄進状』)。
  • 325年以前 - 晋の時代に信安郡の石室山へ王質というが分け入ったところ、数人の童子が歌いながらを打っていた。王質は童子にもらった棗の種のようなものを口に入れてそれを見物していたが、童子に言われて気がつくと斧の柄(柯)がぼろぼろに爛れていた。山から里に帰ると、知っている人は誰一人いなくなっていた(初出は虞喜『志林』所収の「爛柯伝説」。他に任昉述異記』が有名)。
  • 376年 - 396年 - 東晋の太元年間に武陵の漁師が桃の花の林に踏み迷い、洞穴を抜けて不思議な村里へ出る。外の世界と隔絶したこの村の人たちは長年の戦乱も知らず平和に暮らしていた。元の世界に戻った漁師たちは再びこの村を訪れるべく探索を重ねるがついに尋ね当てることができなかった。この地はやがて「桃源郷」と呼ばれるようになった(陶淵明の散文『桃花源記』)。
  • 377年 - 仁徳天皇65年のこの年、飛騨国両面宿儺なる異形の人物が出現した。計八本の手足に頭の前後両面に顔を持つという奇怪な姿であるため鬼神であるともされたが、天皇の命に服さず世を惑わしたため、武振熊命に追討させて乱を鎮めたという(『日本書紀』「仁徳紀」では凶賊として扱われるが民間伝承ではこの地の英雄としての伝承もある)。
  • 383年頃 - 南西イングランドにあるドゥムノニア王国の王ドノート(ディオノトゥス英語版)の王女ウルスラアルモリカブルターニュ)のコナン・メリアドク英語版との婚姻を結ぶため、1万1千の処女の侍女たちと共に船出した。婚礼に先立ちローマを含めヨーロッパ全域の巡礼を果たそうと大望を抱くも、途上のコローニュ(ケルン)で暴戻なるフン族に取り囲まれ、その侍女1万1千人とともに、ウルスラは虐殺され殉教を遂げたのである(「聖ウルスラの殉教伝説」)。

脚注

注釈

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、4世紀に関するカテゴリがあります。

4世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/03 05:48 UTC 版)

大致命者」の記事における「4世紀」の解説

光栄なる聖大致命者凱旋ゲオルギイ - 303年致命記憶日4月23日ユリウス暦使用する正教会では5月6日に相当) 聖大致命女マリナ - 304年致命記憶日7月17日ユリウス暦使用する正教会では7月30日に相当) 聖大致命女エウフィミヤ - 304年致命記憶日9月16日ユリウス暦使用する正教会では9月29日に相当) 聖大致命女解繋者アナスタシア - 304年致命記憶日12月22日ユリウス暦使用する正教会では1月4日に相当) 聖大致命者パンテレイモン - 305年致命記憶日7月27日ユリウス暦使用する正教会では8月9日に相当) アレクサンドリヤの聖大致命女エカテリナ - 305年致命記憶日9月16日ユリウス暦使用する正教会では9月29日に相当) 聖大致命者フェオドル・ティロン(英語版) - 306年致命記憶日2月17日ユリウス暦使用する正教会では3月2日に相当) 光栄なる聖大致命者潤膏者ディミトリイ - 306年致命記憶日10月26日ユリウス暦使用する正教会では11月8日に相当) イリオポリの聖大致命女ワルワラ - 306年致命記憶日12月4日ユリウス暦使用する正教会では12月17日に相当) イラクリヤの聖大致命者フェオドル - 319年致命記憶日2月8日ユリウス暦使用する正教会では2月21日に相当) アンティオキアの聖大致命者アルテミイ - 363年致命記憶日10月20日ユリウス暦使用する正教会では11月2日に相当) 聖大致命女エウフィミヤ - 304年致命記憶日9月16日ユリウス暦使用する正教会では9月29日に相当) ゴットの聖大致命者ニキタ - 372年致命記憶日9月15日ユリウス暦使用する正教会では9月28日に相当) イコニヤの聖大致命女パラスケワ - 記憶日10月28日ユリウス暦使用する正教会では11月10日に相当)

※この「4世紀」の解説は、「大致命者」の解説の一部です。
「4世紀」を含む「大致命者」の記事については、「大致命者」の概要を参照ください。

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