語りもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/04 04:47 UTC 版)
語りもの芸能
「音楽でない語りもの」には、中世には唱導があり、それ以後は講談その他の芸能が生まれた[5]。
唱導は、仏法を説いて衆生を導く語りの芸能で、平治の乱のとき惨殺された信西の子で天台宗の僧澄憲は、その名手として知られた[注釈 5]。澄憲の子の聖覚も唱導の名人で、聖覚が安居院に住したことから彼の家系は安居院流として唱導の本宗の地位をしめた[12]。鎌倉時代後半の13世紀末葉には『普通唱導集』が編まれた[注釈 6]。
講談は戦国時代から安土桃山時代に生まれた語りもの芸能で、天明(1781年-1788年)年間以降さかんになって、江戸末期から明治時代にかけて全盛期を迎えた。享保(1716年-1735年)期に江戸町奉行として活躍した大岡忠相の裁判に題材をとった「大岡政談」などが特に著名である。明治末期には立川文庫など講談の内容を記載した「講談本」が人気を呼んだ。
「語りもの」の東西比較
1941年(昭和16年)に『仏蘭西中世「語りもの」文芸の研究』(白水社)を著したフランス文学者の佐藤輝夫は、中世フランス文学の研究とりわけ『ローランの歌』の研究成果を『平家物語』との比較考察により、1973年(昭和48年)、『ローランの歌と平家物語』(中央公論社)として発表した。この著作により佐藤は学士院賞を受賞している。
脚注
参考文献
- 黒田俊雄『日本の歴史8 蒙古襲来』中央公論社<中公文庫>、1979年1月。
- 山本吉左右「平家物語-中世世界の発見」『朝日百科日本の歴史 4中世Ⅰ』野上毅編集『朝日百科日本の歴史 4中世Ⅰ』朝日新聞社、1989年4月。ISBN 4-02-380007-4
- 吉川英史「語りもの」山川直治編集『日本音楽の流れ』音楽之友社、1990年7月。ISBN 4-276-13439-0
- 薦田治子「平曲の旋律-〈卒塔婆流〉」山川直治編集『日本音楽の流れ』音楽之友社、1990年7月。
- 高山茂「幸若舞」小学館編『日本大百科全書』(スーパーニッポニカProfessional Win版)小学館、2004年2月。ISBN 4099067459
関連項目
注釈
- ^ 「語る」ことは、事件や事象を聴く人にわかるように伝達することを目的とし、そこに説得力が必要であるのに対し、「歌う」ことは感情を表現することを主目的としている。また、「話す」は日常の言語表現の行為であるのに対し、「語る」はまとまった事柄や物語を改めて伝える行為であり、さらに、「読む」が文字を媒介とし、聞き手の存在を前提にしないのに対し、「語る」は必ずしも文字を前提とせず、逆に、聴衆を前提とする点が異なる。吉川(1990)p.38-40
- ^ 吉川英史によれば、通常は「語りもの」には含めない民謡のなかにも、佐渡(新潟県)の相川音頭や滋賀県の江州音頭など、内容的に「語りもの」と称すべき演目があり、いずれも、長い物語を数楽句の同一旋律で繰り返し歌唱するものである。ただし、こんにちでは演奏様式上「歌いもの」の様式に近づいている。吉川(1990)p.40-41
- ^ 革命家宮崎滔天は、同時に桃中軒雲右衛門門下の浪曲師でもあった。
- ^ この名称由来譚は、江戸時代に成立したものと考えられる。高山(2004)
- ^ 能弁で清朗な澄憲の美声は人びとを惹きつけ、多くの聴衆の感涙をさそったといわれる。黒田(1979)p.239
- ^ 昭和初年に東大寺で発見された唱導のテキスト。1298年(永仁6年)ころに良季という僧によって作成された。黒田(1979)p.240
参照
「語りもの」に関係したコラム
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