精神分析学 基本概念(フロイト定義)

精神分析学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 10:13 UTC 版)

基本概念(フロイト定義)

理論図式

局所論
意識前意識無意識
構造論
自我超自我イド
心理性的発達理論
口唇期肛門期男根期エディプス期)、潜伏期性器期

自我・エス・超自我

他の部分との関係性を含めた心の仕組みを説明する際には、氷山の比喩がよく用いられる

1923年、フロイトは『自我とエス』という心的構造論を発表し、そのなかで、人間の根源的な欲動を代表する: Es(エス)と、欲動の満足に関して内的な規範としての機能を果たす: Über-Ich(和訳超自我)、さらに上記二つの葛藤を調整し、外界の現実に適応する機能を担うドイツ語: Ich(和訳自我)を定義した。

なお、これらはアメリカで1953年にジェイムズ・ストレイチーによりラテン語: idイド)、super-egoラテン語: egoと訳された。

自我

フロイトは: Ich(和訳自我)という言葉を二つの意味に用いた。一つは人格主体としての: Ich(「私」)である。もう一つは、: Esエス アメリカでラテン語: idとされた)・自我・超自我という心的構造論のなかで、外的な現実に適応するシステムという意味であり、こちらはラテン語: egoと訳される。

前者の「私」としての自我は、1923年に『自我とエス』を公開するまで使われていた用法であり、意識や思考に近い意味で使われていた。しかし意識―無意識という対立構造、局所論を放棄した1923年以後は無意識的防衛をも含む意識の構造と言う意味で自我という言葉が使われるようになった。

自我理想

フロイトは、自分が最も「こうありたい」と思う自己像(self image)を自我理想(ego ideal)と呼んだ。超自我と混同されやすいが、欲動に批判的で罪悪感を体験させる内在化された規範が超自我、この規範に一致し自分がこうあるべき姿として思い描く姿が自我理想とされる。自我理想は超自我の一部として存在している。そもそも自我理想は、フロイトに言わせれば幼少期の頃に完全であった自分自身を反映したものである。自我理想が高いほど、人は苦しむ。

生の本能・死の本能

第一次世界大戦によってヨーロッパが壊滅的な破壊を経験されたのを目撃したフロイトは、なぜ人間が自らの種族保存に不利なはずの戦争のような行為をおこなうのか、ということに興味を持った。その結論として1920年、『快楽原則の彼岸』(: Jenseits des Lustprinzips)において、それまでの性の本能・自己保存本能の二元論から、生の本能エロス:Eros)・死の本能タナトス:Thanatos)の二元論へと転回した。

人間を含め生物はすべて、生の本能によっていっけん物事を作り出し、建設していくかにみえるが、その深層はつねに、それをぶち壊し無に回帰していこうとする死の本能に裏打ちされている。人間という種においては、いわゆる文明が、人間を人間たらしめる創造と破壊の対象である。

臨床的には、死の本能は反復強迫、陰性の治療反応、道徳的マゾヒズムなどのかたちで現れる。

この両者は精神分析学においては一般的には性欲動(リビドー)と攻撃性(アグレッション)という二つの欲動に分類され、フロイトの生きている時代には攻撃性は重要視されていなかったが、フロイト死後のメラニークラインの創設した対象関係論においては良い対象・悪い対象の議論と並行して、攻撃性つまり死の欲動が非常に重視されるようになった。

両価性

同一の対象に対して、愛情と憎しみなど対極的な情緒や態度を示す心的体験を両価性/アンビバレンス(ambivalence)という。ブロイアーは今でいう統合失調症の心性をあらわす語として用いたが、フロイトは神経症や正常な人の情緒のあり方にも使用範囲を広げ、いまでも後者の用い方が一般化している。

精神力動

心的な力と力の葛藤がくりひろげるダイナミズムを精神力動psychodynamics)といい、のちにアメリカで発展した力動精神医学の基盤となった。フロイトの心的決定論によれば、正常な人も精神病的な人も、幼児も成人も、みな同一の心的法則にしたがって精神活動が営まれており、このことを精神力動連続性の原理という。

心的決定論

フロイトの「心の現象は、すべて無意識の心的な法則にしたがっている」という主張を心的決定論(psychic determinism)といい、これをもとに神経症、失錯行為などの無意識の中での意味が明らかにされていった。

疾病利得

病いであることから得られる利益。フロイトによれば、心的な苦痛を回避するために内的葛藤抑圧し、その結果神経症のような症状へ逃避する第一次疾病利得(primary gain)と、疾病であることで周囲の者や社会から同情・慰め・補償などを得る第二次疾病利得(secondary gain)とに分けられる。精神療法では、これら疾病利得に由来する抵抗を解決し、患者の自我がふたたび現実に立ち戻れるようにすることが治療目標とされる。

治療者の分別

倫理というよりも、精神分析という行為を成り立たせる要件の一つとして、フロイトは治療関係における治療者の分別: arztliche Diskretion)を説いた。治療者の中立性治療契約の遵守、治療内の秘密の厳守、患者を私的な願望や要求の対象にしないこと、患者も治療者も一定の禁欲を互いに守ること(禁欲規則)、患者の自発性と訴えの真実性を最優先すべく治療者の受け身性: Passivity)を維持すること、などがその内容である。

これに対しては、「治療者も一人間なのだから難しい」「科学的でない」といった反論が、フロイトの弟子のあいだからも続出した。一方では、たとえば治療技法を用いれば、治療者の解釈を患者が受け容れない場合、「それは治療抵抗だ」「否認だ」だということによって患者の思想や人生をも操作・支配できることになるので、この概念は重要な臨床上の指標として機能するものである。ただし後にフェレンツィ・シャーンドルなど積極技法を行ったりと、それに従わない人も出てくるようになった。

事後性

精神分析的な治療を成り立たせる重要な概念の一つ。

ある出来事を経験したとき、まだその経験の意味を味わうだけの心の準備が整っていないために、そのとき同時的にはその経験の意味を理解できないことが多い。しかし後になって、その意味を咀嚼する力が培われてきて、過去の出来事の意味を理解することができる。これを遡行作用(deferred action)と呼ぶが、これを可能にしている、さかのぼって過去の出来事の意味を理解する心の作用を事後性(独:Nachträglichkeit)という。これなしでは、自由連想法その他で過去の回想をおこなっても、なんら治療的な力にならない。

心的外傷

その個体が心的に耐えられないほどの破壊や侵襲を受け、そのために生じた心的機能の破綻が、長いあいだ修復されることなく、その結果さまざまな悪影響を心身に色濃く残す場合、破壊や侵襲のもととなった出来事を個体にとっての心的外傷(トラウマ:trauma)という。

フロイトの初期の治療活動では、心的外傷はおおいに注目されていたが、やがて『夢判断』以降には、「こんなに外傷を受けた患者が多いわけがない。これはクライエントの幻想である」といったふうに、フロイトのなかで外傷概念に対する後退が起こった。ジャネが心的外傷の研究を続けたものの、1930年代は精神医学界を含めて、総じて心的外傷というものを集団否認している時代であった。やがて、第二次世界大戦インドシナ戦争から帰還した兵士たちが戦争後ストレス症候群(ASD)などの症状を呈するにいたり、ふたたび心的外傷の研究が行なわれるようになっていった。


  1. ^ a b ハンス・アイゼンク 著, 宮内勝 ほか訳 『精神分析に別れを告げよう―フロイト帝国の衰退と没落』 批評社、1998年5月 ISBN 4826502281
  2. ^ ナルシシズムの導入にむけて(1914)
  3. ^ 島薗進『宗教学の名著30』120頁(ちくま新書、2008年)
  4. ^ 朝日新聞2010年9月19日、書評欄






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