精神分析・心理学
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東欧系ユダヤ人(アシュケナジム)の家に生まれたジークムント・フロイト(1856年 - 1939年)は精神分析学を創始して同時代の芸術文化に多大な影響をもたらした。ウィーン大学で医学を学んだフロイトは、同大学で神経生理学の教員を務めたのち1885年に奨学金を得てパリ大学大学院で学んだ。その後、『夢の研究(夢判断)』で名声を得たが、フロイトの精神分析学の運動が大学の外にあって、カルト的性格をおびているように考えられたためにウィーンの医学界はフロイトを公認することを躊躇した。グスタフ・マーラーもフロイトの診察を受けたことがあり、フロイト自身は同じ医学を学んだシュニッツラーの文学作品に親近感をもったという。また、トーマス・マンをはじめとする20世紀のほとんどすべての作家は何らかの形でフロイトの影響を受けているとされる。フロイトは、タロット好きで私生活をことのほか大切にし、散歩を好むなどいくつかの点で典型的なウィーン人であったが、劇場に通わず、音楽をほとんど必要としなかった点ではまったく非ウィーン人的であった。 精神分析学は、精神療法であると同時に、健康であるか否かを問わず、人間の心理を解明しようとする1つの科学として提唱され、さらには「人間とは何か」という古来の哲学的な問いにたいして答えようとする1つの思想でもあった。自由連想にもとづいて無意識のなかに沈潜して抑圧されている過去の記憶をよみがえらせ、それを言葉で言い表すことによって過去から訣別しようとする手法をとり、無意識の欲望の根底にリビドー(性的衝動およびそれを発散させる力)をおいた。フロイトは、アンシュルスの起こった1938年にはロンドンに亡命し、翌年、同地で没した。 やはりユダヤ系のアルフレッド・アドラー(1870年 - 1937年)はフロイトの弟子であったが、師の唱えたエディプス・コンプレックスやリビドーの考え方、また何事も性に還元する手法には賛同できず、むしろ、自らの生きる支えとしての自尊感情に着目し、権力を志向する優越欲求や劣等感の代償作用、帰属感、自己受容など自己に対する価値評価をテーマとする個人心理学(個性心理学)を創設し、人はいかにして心の平安とやすらぎを得ることができるかを探究した。こんにち、メンタルヘルスへの関心の高まりとともに学校や企業の現場であらためて注目されている。
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