精神分析による人類学・民俗学研究への批判
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「精神分析学」の記事における「精神分析による人類学・民俗学研究への批判」の解説
精神分析を医学以外の分野に応用した際に精神分析の誤りが露呈してしまう事がある。 例えばフロイト自身が『トーテムとタブー』という宗教の起源を論じた本を書いたが、リヴァース、ボアズ、クローバー、マリノフスキー、シュミット、そしてレヴィ=ストロースといった人類学者達はこれを馬鹿げてると公言してはばからなかったし、権威ある宗教学者エリアーデによると、この本は研究書というよりも「手におえないゴシップ小説」で、書かれている事も「気違いじみた仮説」にすぎないと断じた(『オカルティズム・魔術・文化流行』、ミルチア・エリアーデ)。また、フロイト自身もこの本で主張したことが憶測にすぎないことを自覚していた。 また精神分析学者のエーリヒ・フロムやブルーノ・ベッテルハイム等は『赤ずきん』をはじめとしたメルヘンを読んで精神分析的解釈をし、民間伝承や民俗学に関して様々な考察をしたが、これらは間違ったものが多かった。 なぜなら今日知られている『赤ずきん』の話の内容の多くはシャルル・ペローが創作したものであって歴史が浅いので、それを読んでも民俗学的知識が得られるはずがなかったのである。例えば『赤ずきん』に出てくるずきんの赤さをフロムは「月経の血」、ベッテルハイムは「荒々しい性的衝動」と解釈したが、ずきんを赤くしたのはペローのアイデアであった。 また相互に矛盾した解釈も多く、『白雪姫』の中で白雪姫が逃した狩人はベッテルハイムによれば「エディプス期の少女にとっての理想的な父親像」であったが、ビルクボイザーによれば「女性の心中にある男性的性質」であったし、七人の小人はベッテルハイムによれば「白雪姫という太陽の回りをまわる七つの惑星」であるが、ビルクボイザーによれば小人達は「深みに隠れた財宝(=王子)を探す創造的行為」の象徴であった。 メルヘン学者のロバート・ダーントンは彼らを批判し、「精神分析学者のフロム氏は存在しない象徴を超人的な敏感さで嗅ぎとって、架空の精神世界へ我々を導こうとした」と述べた(参考:鈴木晶『グリム童話』。ダーントンの言葉はこの本から引用。)。 さらに、フロイトの継承者を自称し、ポストモダニズムの思想家としても知られるジャック・ラカンは、数学の概念であるトポロジーを神経症と関連づけ、また、虚数と無理数を混同するなどした。このため、それらを全くのデタラメであるとして、物理学者アラン・ソーカルから批判された(ソーカル事件を参照)。
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