精神分析から自己探求・自伝へ
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「ミシェル・レリス」の記事における「精神分析から自己探求・自伝へ」の解説
一方、『ドキュマン』誌に寄稿していた1929年から1930年にかけて、レリスはバタイユに勧められて、アドリアン・ボレル(フランス語版)による精神分析治療を受け始めた。ボレルは1920年代にバタイユ、レリスら多くの作家の精神療法医であったが、レリスにとっては治療というよりカタルシスであり、この経験から、ボレルに対して告白したように、内心の苦しみや記憶、生活の諸相を書いて行こうという考えが生まれた。これは自伝的小説『成熟の年齢』において語られていることであり、本書は1939年刊行だが、書き始めたのは1930年のことである。治療(告白)のきっかけとなったクラナッハの貞女ルクレティアと娼婦ユディットの裸体画、そのエロティシズムに関する記事は、同年に書かれ、『成熟の年齢』に収められることになり、初版の表紙に掲載されたのも、この2対の裸婦像である。こうした自己探求はこの後生涯にわたって書き継がれる『ゲームの規則』においてさらに深まって行く(後述)。
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