シカゴ 概要

シカゴ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:16 UTC 版)

概要

19世紀後半から20世紀中盤までアメリカ国内における鉄道航空水運の拠点として、また五大湖工業地帯の中心として発展し、ニューヨークに次ぐアメリカ第2の都市となっていた歴史を持つ。摩天楼がそびえ立つアメリカ型都市の発祥とされ、ダウンタウンの高層建築はシカゴ派として知られ、近代建築史における重要局面をなした。1973年に建てられたシアーズ・タワー(現在はウィリス・タワーに改称)は1998年まで世界一の高層建築であった。マコーミック・プレイスコンプレックスは北アメリカ最大のコンベンション・センターであり、オヘア空港は全米有数の過密な空港として知られる。

2017年にアメリカのシンクタンクが発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界12位の都市と評価された[1]。アメリカの都市ではニューヨークロサンゼルスに次ぐ3位である。2017年3月の調査によると、世界7位の金融センターである[2]2014年都市の経済規模(GDP)では、世界9位となっている[3]

日本語の漢字表記は「市俄古」である。また、シカゴに住む人々は「Chicagoans(シカゴアンズ)」と呼ばれている[4]

「シカゴ」の語源は、この地に先住するアルゴンキン語族インディアンの言葉の、Shikaakwaであると言われており、シカゴ川流域に自生するヒガンバナ科ネギ亜科に属する、日本のギョウジャニンニクに似た植物[5]Allium tricoccum)のこと[6]

歴史

ポンチキの箱を手にするシカゴ元市長ラーム・エマニュエル(右、2006年のイリノイ州下院議員当時)と、元ミシガン州下院議員のジョン・ディンゲル(左)
シカゴの古い町並み
アル・カポネが行った失業者向けのスープキッチンに列をなす人々(1931年)

シカゴはニューヨークが対西ヨーロッパから国際都市、ロサンゼルスが対中央アメリカアジアへの交易窓口として発展したのに対して古くから内陸交通の要衝として発展し、アメリカの産業・文化の発展と共に都市形成が行われてきた経緯がある。また、イリノイ川河口地点は古くからインディアン部族の交易の場として機能していた。一番古い記録では1673年フランス人伝道師が訪れている。

1779年ドミニカの毛皮商が入植し、1803年には軍事拠点としてディアボーン砦英語版が作られるとともに開拓が進み、1833年には人口200人程度だった[7][8]1836年に始まったミシガン湖ミシシッピー川を結ぶ運河建設を発端に、土地投機家が大挙して押し寄せ、一大開発都市に発展する基盤が築かれた。1837年に市に昇格すると人口は急増し、翌年にはガリーナ・アンド・シカゴ・ユニオン鉄道英語版が開通、以後交通の要衝として大発展を遂げる。その後、1848年にはイリノイ・ミシガン運河が開通、1852年にはイリノイ・セントラル鉄道が開通し、内陸交通の要としての地位を更に高めた。その頃の主要産業は農業で、シカゴはとりわけ小麦を東部の都市に送り出す穀物の集散地として発展、1848年には世界有数の先物商品取引所であるシカゴ商品取引所(Chicago Board of Trade、CBOT)が作られた。また、畜産業も発達し、1855年には収容頭数が当時最大のユニオン・ストック・ヤード英語版が設けられた。一方で、優秀な鉄鉱床が点在していたために鉱業も発展し、1860年には人口6万人に増大し、セントルイスシンシナティを追い越し、西部最大の都市になった。同年の大統領選挙ではシカゴを地盤とするリンカーン候補(共和党)が当選し、初めて政治でも主導権を握ると、翌年から南北戦争(1861年-1865年)を開始した。このころには30万都市となっていた[8]

トリビューン・タワー英語版

1871年にはシカゴ大火によって甚大な被害を受けた。一説によればオリアリー夫人が飼っていたランプを倒して大火災になり、炎が燃え尽きるころには街は廃墟になり、ほとんどの公共建築が焼け落ちた。しかし、現在はギャラリーや公式観光案内所になっているシカゴ・ウォーター・タワーは唯一焼け落ちずに残った公共建築物である。被害額は当時にして約2億ドル、家を失った人は10万人に上ったという。しかし、この焼失はシカゴの計画都市化、新都市計画の幕開けになった。被災後に市は木造住宅を禁止し、煉瓦、石造、鉄製を推奨した。そのためシカゴは建築家たちの格好の市場となり、1885年ホーム・インシュアランス・ビル1887年にタマコビルディングが竣工、建築におけるシカゴ派による摩天楼設立ラッシュの先駆となった。このダウンタウン形成時に、その観察に努めた社会学者が膨大な記述を行った。社会学におけるいわゆるシカゴ学派の始まりである。

1873年に始まった大不況 (1873年-1896年)では、1886年5月に合衆国カナダ職能労働組合連盟が統一ストライキを行なったが、ヘイマーケット事件が起こり、1889年第二インターナショナルが国際労働運動のためのメーデーパリで制定すると、1890年にメーデーをシカゴで実行した[9]

コロンブスの新大陸「発見」400周年を記念して開かれた1893年シカゴ万国博覧会では、ウェスチングハウス交流電源による実演など、ヨーロッパをついに凌いだアメリカの工業力と先進性を誇示する技術が多数披露され、白を基調とした建物群から「ホワイト・シティ」と呼ばれた壮大な万博会場を造り上げ、国際的な地位を高めるとともに文化都市として脚光を浴び成功を収めた。それと同時にオーケストラホール、図書館博物館公園などの文化施設の建設ラッシュとなった。1882年から1905年にかけて電力産業が乱立すると、1912年サミュエル・インサル英語版の提唱で公益事業の価格統制制度が導入され、低料金の電気が普及した。人口は1900年に170万人に達し、ニューヨークに次ぐアメリカ第二の大都市になった[8]

しかし、それらはいわゆる富裕層によって生み出された文化であり、肥大する経済発展とは裏腹に新たな社会問題も生まれた。それが貧富の差の拡大で、20世紀に入るとウェストサイドでスラム化が進行した。またかつて奴隷として、アメリカ建国時に農業などの労働を担っていたアフリカ系アメリカ人が、1914年から1950年にかけてアメリカ南部から次々に移入した(アフリカ系アメリカ人の大移動)。彼らは法律上・表面的には奴隷の身分を解かれてシカゴにやって来たが、人種差別などから低賃金重労働以外に就くことはほぼ不可能であり、新天地での生活も相変わらず苦しいものだった。暴動は日常茶飯事となり、とりわけ1919年暴動英語版は過去最悪となった。更に腐敗政治の蔓延などで市街は無法地帯となり、その時多くの住人が市街地を去った。

1927年の市長選挙でウィリアム・ヘイル・トンプソンが勝利すると、トンプソンはシセロにあるナイトクラブの常連となってギャング(シカゴ・アウトフィット)と癒着し、アル・カポネが裏社会を支配した。1929年世界恐慌の影響で、市の財政も大幅な赤字となった。同年、聖バレンタインデーの虐殺を契機に、トニー・アッカルドサム・ジアンカーナ等、1940年代から1960年代の次世代を担うギャングが台頭した。トンプソン政権は、1931年市長選で敗北するまで続いた。

1920年にも建築ラッシュは続き、トリビューン・タワー英語版リグリー・ビル英語版、戦後には世界一の高さを誇っていたシアーズ・タワー(現ウィリス・タワー)などが建設され、今日に見るようなダウンタウンが形成されていった。シカゴ学派第三世代の中でもルイス・ワースはシカゴのマイノリティグループの社会層とセグリゲーションについて記述し(アーバニズム[10])、そこから旧市街地、工業地、新興住宅地と同心円状に都市が形成されるモデル(同心円モデル)を打ち立てた[11]ことで有名である。

1958年頃に旧来の白人中心のギャングだけでなく、ブラック・P・ストーンズヴァイス・ローズ、1968年にはギャングスター・ディサイプルズといった黒人によるストリートギャングが誕生し、1960年代より1970年代にかけてギャング同士の抗争が発生し、治安が悪化した。

1950年から1970年にかけてその職にあった民主党リチャード・J・デイリー英語版市長は、様々な有力者の支持を受け、市街地再開発治安の改善、賃金格差の是正などに努め、市政を建て直した。ニューヨークやボストンなどが経済発展に陰りが見え始めた頃に、シカゴは比較的堅調な経済情勢を維持できたのも、この市長の善政のおかげだったといわれている。

シカゴの人口は、1950年に362万人となり最高を記録した。以後、周辺部を含めた都市圏の人口は現在まで増加傾向が続いているが、市域内の人口は伸び悩む傾向が続き、市域人口は1980年代前半にロサンゼルスに抜かれている。これは五大湖近辺の市街地老朽化と製造業の衰退によるものと見られており、また、西海岸諸都市の経済発展を受けて、アメリカ国内におけるシカゴ経済の地位は、20世紀半ばまでの時期に比べて相対的に低下した。ただし近郊では、半導体電子機器・輸送機械などの産業が発展し、シカゴは現在もアメリカにおける商業金融流通の重要拠点の一つとしての地位を保っている。

街の景観

シカゴのスカイライン、ノーザリー島から西方を向かって、2009年4月
ジョンハンコックセンターから南方へ向かって、2010年8月

シカゴには高さ100m以上の超高層ビルが575棟ある。これは世界でもニューヨーク、香港に次ぐ数である[12]

主な超高層ビル

ミシガン湖からシカゴの摩天楼群を望む。左側の最も高いビルがウィリス・タワー(旧シアーズ・タワー)。右端のビルはAonセンター

  1. ^ JLL、世界の都市比較インデックスを分析「都市パフォーマンスの解読」を発表 JLL 2017年10月25日閲覧。
  2. ^ Global Financial Centres Index 21 Z/Yen Group 2017年4月5日閲覧。
  3. ^ Cities Rank Among the Top 100 Economic Powers in the World Chicago Council on Global Affairs 2016年10月28日閲覧。
  4. ^ [1]
  5. ^ 英語でrampと呼ばれる。
  6. ^ Chicago Name Origin” (英語). chicagology. 2021年12月4日閲覧。
  7. ^ Timeline: Early Chicago History Chicago City of Century, PBS
  8. ^ a b c 岩本裕子、「シカゴ万博 (1893) と黒人女性 -アイダ・B・ウェルズとファニー・B・ウィリアムズの場合」 『駒澤史学』 1993年 45巻 p.143-166, ISSN 0450-6928,『駒沢大学歴史学研究室内駒沢史学会』
  9. ^ Foner, Philip S. (1986). May Day: A Short History of the International Workers' Holiday, 1886-1986. New York: International Publishers. pp. 41–43. ISBN 0-7178-0624-3 
  10. ^ 1938: Urbanism As A Way of Life. in: AJS 44, S. 1-24
    高橋勇悦訳「生活様式としてのアーバニズム」鈴木広編『都市化の社会学 増補版』(誠信書房, 1978年)
  11. ^ Park, R. E., Burgess, E. W. & McKenzie, R. D. 1925 The City,
  12. ^ Number of 150m+ Completed Buildings - The Skyscraper Center”. www.skyscrapercenter.com. 2020年2月14日閲覧。
  13. ^ Station Name: IL CHICAGO MIDWAY AP”. National Climatic Data Center. 2013年3月12日閲覧。
  14. ^ a b NowData - NOAA Online Weather Data”. NWS Romeoville, IL. 2011年12月14日閲覧。
  15. ^ “[http://www.crh.noaa.gov/lot/?n=top20events_1900to1999 Top 20 Weather Events of the Century for Chicago and Northeast Illinois 1900–1999]”. NWS Romeoville, IL. 2014年6月16日閲覧。
  16. ^ CHICAGO MIDWAY AP 3 SW, ILLINOIS”. Western Regional Climate Center. 2014年6月12日閲覧。
  17. ^ Station Name: IL CHICAGO OHARE INTL AP”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2013年3月18日閲覧。
  18. ^ Chicago/O'Hare, IL Climate Normals 1961-1990”. National Oceanic and Atmospheric Administration. 2013年5月14日閲覧。
  19. ^ http://factfinder2.census.gov/faces/tableservices/jsf/pages/productview.xhtml?pid=PEP_2011_PEPANNRES
  20. ^ a b c d Chicago (city), Illinois”. State & County QuickFacts. U.S. Census Bureau. 2014年1月17日閲覧。
  21. ^ a b From 15% sample
  22. ^ American FactFinder, United States Census Bureau, http://factfinder.census.gov 2008年1月31日閲覧。 
  23. ^ More Than 60 Shot, 9 Dead in Chicago's Bloody Holiday Weekend ABC News, Jul 7, 2014
  24. ^ Jeremy Gorner & Jonathon Berlin, Carjackings more than double in Chicago during 2020, police say, perhaps as criminals blended in with masked public, Chicago Tribune (January 18, 2021).
  25. ^ Gregory Pratt & John Byrne, Chicago Mayor Lori Lightfoot says spike in carjackings ‘top of mind,’ adding 40 more police officers to carjacking unit and gathering regional mayors, Chicago Tribune (January 27, 2021)
  26. ^ Chicago, Illinois Colleges and Universities”. Free-4u.com. 2017年1月8日閲覧。
  27. ^ The Big Five Orchestras No Longer Add Up(ニューヨーク・タイムズ 2013年6月14日)






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

「シカゴ」に関係したコラム

  • CFDで取り扱うコモディティの一覧

    CFDで取り扱うコモディティは、エネルギー、貴金属、農産物の3つに大別できます。CFDのエネルギーには、原油や天然ガス、ガソリンなどの銘柄があります。WTI原油先物もそのうちの1つで、外国為替市場や証...

  • CFDのスプレッド比較

    CFD業者ではほとんどの銘柄にスプレッドを設定しています。下の図は、GMOクリック証券の「日本225」の注文画面です。これは、8419ポイントで売り注文ができ、8422ポイントで買い注文ができることを...

  • CFDの呼値とは

    CFDの呼値とは、CFDの銘柄の最小の値動きする単位のことです。呼値は刻み値ともいいます。例えば呼値が0.1の銘柄の場合、現在の価格が1235.9ならば、値上がりしたら1236.0、値下がりしたら12...

  • CFDの取引時間

    CFDの取引時間は商品内容や取引国によりさまざまです。一般的には、金や原油といったコモディティ、日本やアメリカ合衆国などの株価指数などはほぼ24時間の取引が可能です。一方、各国の株式や日米を除く株価指...

  • CFD業者のキャンペーン一覧

    CFD業者では顧客獲得のためにキャンペーンを実施することがあります。キャンペーンの内容は、新たに口座を開設した人に対してのキャッシュバック(現金プレゼント)や、既存の顧客に対しての取引高に応じてのキャ...

  • CFDの銀取引とは

    銀取引には、現物取引と先物取引の2つの取引があります。銀の現物取引はロンドン市場で行われ、1日1回、日本時間の21時(夏時間は20時)に価格が決定されます。一方、銀の先物市場は、ニューヨークや東京、シ...

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

シカゴのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シカゴのページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのシカゴ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2022 GRAS Group, Inc.RSS