シカゴへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:44 UTC 版)
シカゴでは、最初ジム・コロシモの売春宿でポン引きなどをしていた。この下積み時代に不正事業を組織化して反対派と和解するトーリオの手法を見習ったという。1年と経たないうちにトーリオの犯罪帝国で出世し、賭博場兼売春宿の支配人にもなり、雇われ人ではなくパートナーになると、客引きなどする必要はなくなった。この頃すでに2万5千ドル近い年収を稼ぐ実業家になっていたという。 さらにシカゴに自分名義で家を購入しブルックリンから家族を呼んだ。妻子だけではなく母や兄弟たちも呼んだ。その後、ウィリアム・E・ディヴヴァーがシカゴ市長になると政治改革が続くと考え、事業の本部をシセロへ移した。 ダイオン・オバニオンを暗殺した頃から、自分も暗殺されるのではないかという恐怖から警備が厳重になった。どこに行くにも両脇に2人のボディーガードを連れて行き、外出には必ず車を使った。この時期、自宅以外1人でいることは無かったという。1925年1月12日にハイミー・ワイスとスキーマー・ドルッチとジョージ・モランは最初のカポネ暗殺を企て、アルの車にトミーガンで攻撃した。ボンネットが引き裂かれ、エンジンが壊れるほどの威力であった。運転手は負傷したが、アルは車にいなかったため無事だった。その後トミー・クイリンジョーネという若い運転手が誘拐されて殺害されるという事件があった。
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