警備任務等
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 07:19 UTC 版)
1948年(昭和23年) 5月1日:海上保安庁発足。 1949年(昭和24年) 12月12日:旧海軍特務艦「宗谷」(後の南極観測船)が海保に編入される。当時の海上保安庁では最大の船であった。当初は灯台補給船、後に巡視船として活躍し、1978年の退役まで海上保安庁を代表する船として広く親しまれた。 1950年(昭和25年) 特別掃海隊が朝鮮半島へ出動。10月17日に、そのうちの掃海艇「MS14」が元山沖で機雷に接触して沈没した。乗員1名が殉職し、2名が重体、5名が重傷、11名が軽傷を負った。この際死亡した烹炊長中谷坂太郎は日本最後の戦死者である。 1952年(昭和27年) 9月24日:明神礁において海底火山の観測を行っていた測量船、「第五海洋丸」が海底火山の噴火に巻き込まれて遭難する。調査員9名、乗員22名が殉職。 1953年(昭和28年) 8月8日:ラズエズノイ号事件発生。北海道猿払村知来別沖において、漁業巡回船に偽装したソビエト連邦工作船「ラズエズノイ」が、日本国内に潜入した工作員を収容するために日本領海を侵犯した現場を、第一管区稚内海上保安署の巡視船「いしかり」「ふじ」が発見。「ふじ」は、停船命令を無視して逃走した「ラズエズノイ」に射撃を行い、船体に命中。「ラズエズノイ」を強制的に停船させ乗組員全員を検挙した。ソ連は正式に陳謝した。 1954年(昭和29年) 4月21日:竹島に接近した巡視船3隻、独島義勇守備隊から攻撃を受け、損傷被害を受ける。 1956年(昭和31年) 11月8日:巡視船「宗谷」による南極地域観測支援業務を開始。翌年1月に東オングル島に昭和基地を建設し日本の南極観測事業の礎を築く。その後1962年までに通算6回の観測支援業務を遂行。 1959年(昭和34年) 日本赤十字社、列車、船舶などを爆破するために侵入しようとした韓国工作員の上陸を阻止した(新潟日赤センター爆破未遂事件)。 1962年(昭和37年) 4月17日:巡視船「宗谷」、第6回南極観測事業を終え東京港日の出桟橋に帰投。以後宗谷は南極観測を海上自衛隊の「ふじ」に引き継ぎ日本近海で巡視船として活躍する。 1979年(昭和54年) 5月17日:尖閣諸島魚釣島に仮設ヘリポートを設置するため、第一管区海上保安本部釧路海上保安署所属の巡視船「そうや」を派遣。仮設ヘリポートは、後に中華人民共和国の抗議があったため撤去された。 1992年(平成4年) 11月7日:フランスから日本へプルトニウムを輸送するため、プルトニウム輸送船「あかつき丸」がシェルブール港を出航。横浜海上保安部所属の世界最大の巡視船「しきしま」の護衛をうけ、約60日間かかって無事海上輸送が行われた。「あかつき丸」には特殊警備隊SSTの前身部隊が13名乗り組んでいた。乗り組みの事実は当時、秘密であったが、後に判明する。 1996年 5月11日:特殊警備基地の設置及び特殊警備隊 (SST) が創設される。 1999年(平成11年) 3月23日:能登半島沖の日本領海内に北朝鮮のものとみられる不審船が侵入する事件が発生。巡視船に特殊警備隊の隊員も乗船して追跡を行ったが、船速の違いから追跡を断念、海上自衛隊に追跡任務を引き継ぐ。(能登半島沖不審船事件) 8月30日:東ティモールでインドネシアからの独立を問う住民投票が行われる。住民投票後の暴動に備え、邦人保護の名目で名古屋海上保安部所属の巡視船「みずほ」をディリ沖に派遣。特殊警備隊SSTが上陸し、残留邦人を警護しながら「みずほ」に避難させたとされているが、海上保安庁は本件に関して公式には発表していない。 2000年(平成12年) 5月1日:緊急通報用電話番号「118番」運用開始。 2001年(平成13年) 12月22日:九州南西海域工作船事件発生。威嚇射撃したのち不審船の反撃を受ける。銃撃戦の末、北朝鮮工作船は自爆し沈没した。交戦において、巡視艇が被弾して日本の海上保安官3名が負傷した。北朝鮮側の工作員は20数名が死亡した。後に、東シナ海沖の中国のEEZ(経済水域)内に沈没した工作船が引き揚げられた。 2003年(平成15年) 2月1日:海上保安庁公認、日本財団の助成の下、ボランティア自警団海守が発足。 2004年(平成16年) 11月10日:漢級原子力潜水艦領海侵犯事件発生。海上自衛隊と共に中国海軍所属の091型原子力潜水艦の追跡を行い、所属航空機が潜水艦の写真撮影に成功したが、対潜水艦ゆえに海上保安庁の能力では必要な対策が出来ず、海上警備行動の発令となった。 2005年(平成17年) 5月31日:対馬沖の日本の排他的経済水域 (EEZ) を韓国の漁船「502シンプン」が侵犯。第七管区海上保安本部所属の巡視艇2隻が、臨検のため「502シンプン」を停船させたが、当該船は、臨検のために乗り移った保安官2名を乗せたまま韓国側EEZへ逃走。追跡した巡視艇7隻が、韓国蔚山沖で漁船員の引渡しを求めて韓国海洋警察庁の巡視艇6隻と39時間に渉って海上で対峙。結局、漁船のEEZ侵犯を認める代わりに身柄を韓国側に引き渡されるという灰色決着になった。 12月6日:韓国海洋警察庁が海上保安庁に対し、日本領海における捜査権の譲渡を要求したが、海上保安庁は「捜査権の譲渡は主権侵害にあたる」として拒否した。 2006年(平成18年) 4月14日:海上保安庁は、竹島周辺の排他的経済水域での海洋調査を、国際水路機関 (IHO) に通報した。これは、韓国政府が竹島周辺海域の海底地名を日本名から韓国名に変える発議を同年6月のIHO総会で行う観測が流れたために、対案を提出するために行うというものであった。海上保安庁では4月18日に測量船「海洋」「明洋」を出航させて境港沖に待機させ、工作船事件の教訓から配備されたPL型「あそ」を後詰めとして派遣した。対する韓国海洋警察庁は、竹島周辺海域警備任務の為に導入した6,350トンの軍艦仕様の大型巡視船「参峰(サンボン)号」を始めとして警備艇20隻を竹島周辺に展開させ、特殊部隊である海洋警察特別攻撃隊を投入して拿捕を行うと宣言した。それに対して日本政府は、政府船舶の拿捕は国際法違法であり、拿捕すれば直ちにIHOに提訴するとした。結局、韓国がIHO総会で地名変更の発議をしない代わりに、日本は海洋調査を行わないということで決着になった。 2008年(平成20年) 1月15日:「シーシェパード」が日本の調査捕鯨船の活動を妨害し、酪酸入り瓶を投擲され乗務員が負傷する事件が発生。この事件を受け日本鯨類研究所の調査捕鯨船「第二勇新丸」にエコテロリスト対策として海上保安官が乗船し、警備を担当した。 12月8日:尖閣諸島周辺海域における中国船による領海侵入を初確認。 2009年(平成21年) 3月9日:ソマリア沖に派遣される海上自衛隊の護衛艦に同乗し司法警察職務を行う海上保安官8名からなる派遣捜査隊の任命式が行なわれる。 3月14日:海上保安官が護衛艦2隻に同乗し呉港から出発する。初のソマリア沖海賊の対策部隊派遣。 2010年(平成22年) 8月8日:香川県仲多度郡多度津町佐柳島沖でパトロール及びデモ飛行を行っていた第六管区海上保安本部所属のヘリコプター「あきづる」(ベル412EP型)が墜落し、乗員5名全員が死亡した。(詳細は佐柳島沖海保ヘリ墜落事故を参照) 9月7日:尖閣諸島周辺の領海内で違法操業していた中国のトロール船が巡視船「みずき」「よなくに」に衝突し逃走。8日にトロール船に強行接舷して船長を公務執行妨害容疑で逮捕した。(詳細は尖閣諸島中国漁船衝突事件を参照) 2012年(平成24年) 8月16日:香港活動家尖閣諸島上陸事件が発生。 8月19日:日本人活動家尖閣諸島上陸事件が発生。 9月14日 〜 9月24日9月11日の日本の尖閣諸島国有化を受けて、9月14日に過去最多となる中国の公船6隻が同時に尖閣諸島の領海を侵犯。15日には中国の各都市で過去最大規模の反日デモが発生し、日中のメディアが16日以降に中国の漁業監視船「漁政」が漁船1,000隻を引き連れて尖閣海域で漁をすると報じたことから、海上保安庁は創設以来最大規模となる巡視船(PS以上)50隻体制で尖閣諸島を警備した。50隻は修理中でない稼動可能なPS型以上巡視船の約半数である。18日には中国の公船12隻が接続水域に侵入し3隻が領海侵犯したが、1,000隻の漁船の領海侵犯は起こっていない。以後、中国公船が接続水域を徘徊し続け、24日には2隻の「海監」が領海侵犯した。 9月25日:台湾海巡署の巡視船12隻と漁船約40隻が同時に尖閣諸島の領海を領海侵犯し、これに対して海保の巡視船約30隻が放水をするなどして領海から退去するよう警告した。 12月23日:尖閣諸島上空で領空侵犯している中国国家海洋局所属のY-12航空機を巡視船が視認、航空無線機にて国外退去を要求し、直ちに防衛省へ通報した。(中国機尖閣諸島領空侵犯事件) 2014年(平成26年) 10月末 ~ 12月小笠原諸島と伊豆諸島周辺の日本の領海と排他的経済水域(EEZ)で希少な宝石サンゴを狙う中国の密漁船がこれまでで最多となる212隻確認された。11月21日に該当海域に巡視船を大幅に増勢できたことから積極的な摘発を開始し、12月21日までに10人の中国人船長を逮捕した。このうち4人が外国人漁業規制法違反となる領海内操業容疑であった。(中国漁船サンゴ密漁問題) 2017年(平成29年) 11月 北海道南部の松前町の沖で北朝鮮の朝鮮人民軍第854部隊所属の木造漁船を巡視船が発見し、函館港沖に曳航した。その際に木造船の乗組員は証拠隠滅を図り家電製品などを海に投棄していたが、それは当時無人の渡島小島の小屋などから盗んだものだった。12月8日に木造船は巡視船と繋がれていたロープを切断し函館港沖を1時間余りにわたって逃走したが、追いかけてきた別の巡視船艇が取り囲み阻止した。 2021年(令和3年) 7月〜9月 東京2020大会にて全国から巡視船、巡視艇が選手村や競技会場周辺に集結し警備を実施。
※この「警備任務等」の解説は、「海上保安庁の歴史」の解説の一部です。
「警備任務等」を含む「海上保安庁の歴史」の記事については、「海上保安庁の歴史」の概要を参照ください。
- 警備任務等のページへのリンク