警備上の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 15:11 UTC 版)
「明石花火大会歩道橋事故」の記事における「警備上の問題」の解説
事故後、兵庫県警察の対応や警備計画の問題点が次々と浮き彫りになった。 この花火大会にあたり、明石市と兵庫県警察本部(明石警察署)、警備会社のニシカン(現ジェイ・エス・エス)との間で事前の警備計画の協議が不十分だったことや、7か月前の2000年12月31日に行われた「世紀越えカウントダウン花火大会」の警備計画書をほとんど丸写しにしていたことが判明した。さらにその計画書もコンサートなどのイベント用に設計されたものを流用しており、「世紀越えカウントダウン花火大会」の開催時(約5万5000人が参加)にも同様の滞留が起きて軽傷者が出ていた。約15万人から20万人の参加者が予想されていた本大会には、この問題点が生かされていなかった。 また兵庫県警察が暴走族対策を重視して夜店の配置を集中させ、暴走族対策の警備要員を292名配備していた一方で、雑踏警備対策には36名しか配備されず、雑踏対策が軽視されていた。 ニシカンは、事故直後の新聞に「茶髪の青年が無理に押したので群衆雪崩が発生した」「茶髪の青年たちが歩道橋の天井によじ登って騒ぎ不安を煽り立てた」と証言して責任逃れを図ろうとし、マスメディアの報道ではこの証言を元とした評論も見受けられた。ところが後日の調査によれば、実際はその茶髪の青年たちが歩道橋中央での惨事を通報するため、歩道橋のプラスチック壁を破壊して屋根に登り、歩道橋への群衆流入を阻止しようと惨事を皆に伝え、119番で救急車を要請していたことが判明した。事故当時、電話回線の輻輳により、携帯電話を用いた110番通報はつながらない状態であった。 事故発生当時の明石市長の岡田進裕は、この事故と同年12月30日に発生した大蔵海岸での女児砂浜陥没死亡事故の責任を取って、任期途中の2003年の統一地方選挙前に市長を辞職した。
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