ロシア国民解放軍時代とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ロシア国民解放軍時代の意味・解説 

ロシア国民解放軍時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 08:45 UTC 版)

カミンスキー旅団」の記事における「ロシア国民解放軍時代」の解説

1942年1月8日隊長のヴォスコボイニクが任務パルチザン殺害され当時隊長代理の職にあったカミンスキー市民軍指揮引き継いだこの頃主な活動は、ドイツ軍共同での占領地警備任務等であった1942年末までに市民軍は、約10000名の兵力擁するようになったカミンスキーは、この市民軍に公式の名称としてロシア国解放軍」という名称を付け戦闘部隊としてドイツ軍協力することを申し出たドイツ側はこれを受け入れ、かつ一層の協力報酬として赤軍から鹵獲した野砲36門及びT-34戦車24両を与えた。これにより解放軍戦力大きく増強された。 1943年7月4日から開始されツィタデレ作戦解放軍は、ドイツ軍補給ラインを守る戦い参加する一方この頃からパルチザン掃討パルチザン協力者摘発任務に就くようになっていた。隊長カミンスキーは、徹底した反共産主義者であったことからパルチザンに対して徹底した態度臨んでおり、ドイツ軍連絡要員は、解放軍本部の外の絞首台ぶら下がっている遺体見たことを本部報告している。 その後ツィタデレ作戦失敗ソビエト連邦政府による恩赦等をちらつかせた宣伝工作により、解放軍からの脱走者が相次ぎ解放軍維持不可能と思われる状況になり、ついには第2連隊長がパルチザンへの寝返り画策した。これは事前に暴露され事なきを得たが、事情知ったカミンスキー連隊本部直接赴き、第2連隊長を彼の部下目の前で処刑し解放軍崩壊防いでいる。 解放軍は、構成員多く脱走により失ったため、後方地域移動したが、その地域パルチザン側の勢力地域であったため、かえって激し戦い巻き込まれている。このため1944年初頭にはさらに後方地域移動、この時、強制的に集められベラルーシ人補充受けている。

※この「ロシア国民解放軍時代」の解説は、「カミンスキー旅団」の解説の一部です。
「ロシア国民解放軍時代」を含む「カミンスキー旅団」の記事については、「カミンスキー旅団」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ロシア国民解放軍時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロシア国民解放軍時代」の関連用語

ロシア国民解放軍時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロシア国民解放軍時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのカミンスキー旅団 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS