ロシア国籍取得の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 00:08 UTC 版)
「ヴィクトル・アン」の記事における「ロシア国籍取得の経緯」の解説
2008年には膝の故障に苦しみ、2010年バンクーバーオリンピックへの出場は逃した。同年には所属していた城南市庁スケートチームが解散し、2011年4月には韓国国家代表選抜戦からも脱落した。所属チームも無くなり、韓国ではピークが過ぎた選手との評価がなされた。また韓国では、兵役特例を受けた選手は5年間該当分野に携わらなければならないため、リハビリを続けながらそれを達成するのは難しかった。アンはこのためスケートに専念できる環境を追い求めるためロシア国籍の取得を決断、2011年12月29日にロシア国籍を取得(帰化)した。ただし、アンと韓国スケート連盟との間には不和があったことも、アンがロシアへの帰化を選択した要因の一つとされる。なお、韓国は二重国籍を認めていないため、アンはロシア市民権取得と同時に韓国国籍を喪失している。なお、アンがロシア国籍を取得した原因は差別や不正、いじめなどによるものである。これに関し韓国の朴槿恵大統領が「安賢洙選手の問題が、派閥主義、足の引っ張り合い、審判の不正などスポーツ界の底辺に根ざす不条理と構造的な乱脈によるものではないか、振り返る必要がある」「ショートトラック選手として最高の実力を持っているが、我が国で自身の夢を広げることができずに他国で選手活動をしている理由は何か」と調査を命じたコメントをしている。そのうえで、「選手を発掘するということにおいて差別する指導者は、立派な人材の力量を死蔵させて韓国の体育競争力を自ら引き下げている」「文教体育部は選手たちが実力どおりに評価されるシステムなど体育不正を必ず根絶できる対策を整えてほしい」と述べた。
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