前身部隊
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第1親衛戦車旅団のもととなったのは第15戦車師団(ロシア語版)と第20戦車師団(ロシア語版)である。大祖国戦争勃発後、ドイツやほかの枢軸国と激戦を繰り広げた赤軍の戦車部隊は僅か2か月足らずで壊滅状態に追い込まれた。とりわけ被害の大きかった第15戦車師団と第20戦車師団は1941年7月の終わりごろには前線での運用がされなくなった。第15戦車師団は、所属していた第12軍(ロシア語版)の指揮官パーヴェル・ポネジェーリンがウーマニの戦いでドイツ軍の捕虜になったことを受けて1941年8月14日に解散。第20戦車師団は第9機械化軍団(ロシア語版)に所属しており、大祖国戦争勃発当初は36両の戦車を有していた。しかし6月24日のクレーヴェンを巡る戦いでドイツの第1装甲軍第13装甲師団(英語版)に敗北を喫し、9月9日に解散した.。
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