やなぎや‐こさんじ〔‐こサンヂ〕【柳家小三治】
柳家小三治
柳家小三治の俳句 |
冷奴柱時計の音ばかり |
狐火のやうに嫁いでゆきにけり |
柳家小三治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 21:49 UTC 版)
注釈
- ^ 初代・五代目・九代が柳派の総帥・留め名である「柳家小さん」を襲名した一つ前の名となるからである。
- ^ 七代目立川談志が小三治という名を欲しがっていたというエピソードはよく知られるが、談志は襲名せずに後輩の当代(十代目)が襲名した。
- ^ 歴代小三治の全員が小さんになったわけではなく、廃業し落語協会事務員に転じた者もいるため、「実は小さんにも五厘(寄席の事務員)にもなる名前」とのギャグを十代目が使っていた。
- ^ 小沢昭一『小沢昭一的新宿末廣亭十夜』(2006年、講談社)はその記録である。
- ^ 平成26年 7月18日文化財保護審議会答申。同年10月23日文部科学省告示第157号による認定。
- ^ 15回合格はこの番組の最高記録。その当時はニキビ顔だったため、「年頃亭ニキ助」の高座名を名乗る。
- ^ エッセイ風の落語・随談。『玉子かけ御飯』や『ニューヨーク一人旅』など。
- ^ まくらだけ集めた本やCDも発売されている。
- ^ 圓窓とは芸の上での好敵手であり、私生活では良き友人でもある。扇橋とは好敵手であるとともに、同門(五代目小さん門下)の大親友である。扇橋とは東京やなぎ句会でも行動を共にする。小三治は扇橋との思い出話を高座で語ることも多く、扇橋は小三治への絶賛だけで高座を降りてくることも多数ある。この際の扇橋の演目名は『小三治をよろしく』。扇橋との仲の良さは映画『小三治』でも映し出されている。
- ^ 圓生がこの時真打昇進を極端に絞ったことが「滞貨」を大量に発生させ、真打昇進を巡る対立から落語協会分裂騒動につながった。
- ^ この「17人抜き」は「滞貨」の人数を表している。小三治の前任会長・5代目鈴々舎馬風も「滞貨」の一人であり、入門は馬風のほうが3年早かったが、真打昇進で順番を逆転された。
- ^ 後に文朝は1984年に落語芸術協会を離脱し落語協会へ移籍。同じ五代目小さん門下(内輪)に移ったため、形式的ではあるが兄弟弟子の関係となった。
- ^ 当席は初席のみ三部構成となっており、1991年から2013年まで小三治は最後(第三部)の主任を務めた。先輩の3代目古今亭志ん朝は第二部の主任を務めていた。2014年以降は第三部の主任は小三治の弟子柳家三三に禅譲された。
- ^ 高座に置かれる湯呑み茶碗には、白湯ではなく漢方薬が入っている。
- ^ 小三治に紹介したのは林家木久扇。
- ^ 小三治は若手の時6代目三遊亭圓生に似ていると言われた。実際、小三治はもともと圓生への弟子入りを考えていた。しかし、門下の弟子たちがあまりにも圓生に似すぎており、ここに入ることは圓生のクローンとなるだけではないかと考え、弟子入りを辞めた。圓生の孫弟子・三遊亭鳳楽(5代目圓楽の弟子だが、6代目圓生の下で内弟子修行をした)は、『落語ファン倶楽部 Vol.7』において、他門派でよく稽古に通ってきていたのは小三治と3代目志ん朝で、最も多かったのは小三治であったと述べている。小三治自身も素人時代に圓生が好きで真似ており、師匠・小さんの影響を受けるまでは圓生の弟子と間違えられたとマクラの中で語っている。
- ^ 講談社の著書「バ・イ・ク」のあとがきより。5代目馬風が漫談のネタにしている。
- ^ 小三治が贔屓にしていた喫茶店のマスター。小三治が亡くなった当日も夜食を食べに行く予定であったという[26]。
- ^ エースデュースエンタテインメントよりDVD発売。
- ^ ハピネット・ピクチャーズよりDVD発売。
- ^ VHSビデオテープあり。
- ^ エスピーオーよりDVD発売。
- ^ 各地の映画館を廻り上映された。
- ^ ここでの高座が『落語研究会 柳家小三治全集』(ソニーミュージックエンタテインメント/小学館 MHBL-35-45)としてDVD化されている(ボックスセットのみの発売)。
- ^ 若手大喜利は正規の大喜利とは別の企画で、不定期に開催された。
- ^ コーナー司会(小三治)が「横丁の月番」という設定。アシスタントを務めていたのが真打になる前の春風亭小朝で、「横丁の若様」と自称していた。小朝のキャッチフレーズの発祥である。
- ^ 1994年、番組700回記念大会にもOBチームメンバーとして佐藤陽子とペアで出演した。
- ^ この放送は『プロフェッショナル 仕事の流儀 第V期 噺家 柳家小三治の仕事』としてNHKエンタープライズよりDVD発売。
- ^ 上記「ザ・ヒューマン」からの5分番組。
- ^ 小三治の二つ目昇進から妻との結婚、弟子とのトラブルまでの半生を題材としたもので、朝の連続ドラマとして放送された。ただし、小三治本人は出演していない。
- ^ 当日収録場所に付き添っていた(少し映った)弟子は、柳家三三・柳家三之助。
- ^ 7/31に公演は延期されたが、開催直前にテレビ北海道社員の新型コロナウイルス感染が判明、感染防止のため公演・配信ともに中止となった。
- ^ 加山雄三、宇崎竜童、鳳蘭、小沢昭一、白石かずこ、三上寛、永六輔、戸川昌子、小島美子との対談集。
- ^ 末廣亭2005年6月下席の詳細な記録。小三治は『小沢昭一の小沢昭一的こころ』がどれほど自分の落語のマクラに好影響を与えたかを記している。
- ^ 夫人による著書。
- ^ 弟子柳家喜多八への小三治に関するインタビューを掲載。
- ^ 破門された元弟子の柳家小多けが著した暴露本。
- ^ カレンダー解説によると、橘左近の個人的なつながりによる過去の名人枠での登場。
出典
- ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、157頁。NDLJP:12276264/79。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “柳家 小三治|一般社団法人 落語協会”. 一般社団法人 落語協会. 2017年9月12日閲覧。
- ^ a b c “柳亭市馬 最年少52歳落語協会会長に 副会長に正蔵”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社 (2014年6月26日). 2021年11月4日閲覧。
- ^ a b “落語家の故柳家小三治氏に従五位”. 共同通信. 共同通信社 (2021年11月5日). 2021年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月5日閲覧。
- ^ a b c d e f “略歴|柳家小三治オフィシャルホームページ”. 柳家小三治/オフィス532. 2017年9月12日閲覧。
- ^ a b 佐藤友美(編)「見る目嗅ぐ鼻スペシャル 柳家小三治 人間国宝会見」『東京かわら版』平成26年9月号、東京かわら版、2014年8月28日、16-20頁、2021年11月1日閲覧。 (注)人間国宝認定時の記者会見の文字起こし
- ^ a b 2014 柳家小三治「人間国宝 決定会見」たっぷり(2014年7月)【映像記録 news archive】 (YouTube配信). ANNnewsCH. 2021年10月12日. 2021年11月1日閲覧。
- ^ “新宿区名誉区民選定委員会:平成27年1月26日新宿区名誉区民選定委員会”. 新宿区 (2015年1月26日). 2021年10月11日閲覧。
- ^ “2019年度 受賞者 - 大会・コンクール・表彰”. 朝日新聞社の会社案内. 朝日新聞社. 2021年10月11日閲覧。
- ^ “人間国宝の落語家・柳家小三治さん死去 81歳 最後の高座は今月2日の「猫の皿」”. ORICON NEWS. oricon ME (2021年10月10日). 2021年10月11日閲覧。
- ^ a b 『東京かわら版』2022年2月号, p. 75.
- ^ "落語家で人間国宝の柳家小三治さんが死去". KYODO. 共同通信社. 10 October 2021. 2021年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月10日閲覧。
- ^ “柳家小三治 訃報”. 一般社団法人落語協会 (2021年10月10日). 2021年10月11日閲覧。
- ^ a b “訃報” (PDF). 柳家小三治事務所 (2021年10月10日). 2021年10月11日閲覧。
- ^ “柳家小三治さん亡くなる前日「もっと落語やりたいから頑張る」元気に電話も”. 日刊スポーツ. 日刊スポーツ新聞社 (2021年10月10日). 2021年11月24日閲覧。
- ^ “柳家小三治さん 夕食とり入浴後に自室で急死…妻・和世さん発見「本人も全く死ぬつもりはなかったと思います」”. スポーツ報知. 報知新聞社 (2021年10月10日). 2021年11月24日閲覧。
- ^ 『官報』第617号6頁 令和3年11月16日号 "叙位・叙勲" (PDF). インターネット版官報. 国立印刷局. 16 November 2021. p. 6. 2021年11月17日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2021年11月24日閲覧。
○叙位 郡山 剛藏 従五位に叙する(各通)
※本名での表記 - ^ “【訃報】柳家小三治師匠 会長コメント”. 落語芸術協会 (2021年10月10日). 2021年12月31日閲覧。
- ^ (一社)落語協会 ゆーちゅー部(@youtu_bu_rakugo) (2021年12月6日). “【お知らせ】”. twitter. 2021年12月30日閲覧。
- ^ 柳家小三治6「朝日名人会」ライヴシリーズ136ま・く・ら「人形町末広の思い出」より。
- ^ 別冊太陽編集部(編)「五〇年を振り返る 小三治高座記録」『十代目 柳家小三治(別冊太陽スペシャル)』、平凡社、2018年9月27日、126-127頁、ISBN 978-4-582-94587-4。
- ^ 『東京かわら版』2022年2月号, p. 46.
- ^ 「小三治さん新会長に 落語協会」、朝日新聞2010年6月25日付夕刊(東京本社版)、18頁
- ^ 郡山和世『噺家カミサン繁盛記』講談社〈講談社文庫〉、1999年8月15日、90-101頁。
- ^ 『東京かわら版』2022年2月号, p. 50.
- ^ 『東京かわら版』2022年2月号, p. 70.
- ^ 『東京かわら版』2022年2月号, p. 25,26.
- ^ 立川談春、柳家三三『俺たちの圓朝を聴け!』フラジール・ルミエール、2023年2月22日、79-81頁。(公演パンフレット)
- ^ a b 内田健太郎 (2022年5月13日). “暮らしと浄土 第8回 口下手なおじさん”. みんなのミシマガジン. ミシマ社. 2023年10月5日閲覧。
- ^ “一門のご紹介|柳家小三治オフィシャルホームページ”. 柳家小三治/オフィス532. 2017年9月12日閲覧。
- ^ “止まらない男 柳家小三治”. NHK. 2021年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月22日閲覧。
- ^ 2021年3月20日、90分拡大版がNHKBS4Kで放送。
- ^ 「追悼 柳家小三治」『東京かわら版』2021年12月号、東京かわら版、2021年11月24日、2023年2月19日閲覧。
- ^ 『東京かわら版』2022年2月号.
- 1 柳家小三治とは
- 2 柳家小三治の概要
- 3 経歴
- 4 芸歴
- 5 出演
- 6 脚注
固有名詞の分類
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