柳家つばめ_(2代目)とは? わかりやすく解説

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柳家つばめ (2代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/23 03:24 UTC 版)

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2代目 柳家やなぎや つばめ

柳派定紋「丸に花菱」
本名 浦出 祭次郎
生年月日 1875年2月11日
没年月日 (1927-05-31) 1927年5月31日(52歳没)
出身地 日本
師匠 4代目麗々亭柳橋
3代目柳家小さん
名跡 1. 麗々亭柳輔(1899年 - 1901年)
2. 柳家小きん(1901年 - 1905年)
3. 4代目柳家小三治(1905年 - 1913年)
4. 2代目柳家つばめ(1913年 - 1927年)
活動期間 1899年 - 1927年
所属 落語研究会(1905年 - ?)
演芸会社(1917年 - ?)
睦会(? - 1927年)

2代目柳家 つばめ(やなぎや つばめ、1875(明治9)年2月11日 - 1927(昭和2)年5月31日)は、落語家。本名、浦出 祭次郎

来歴

実家は芝金杉町(現・東京都港区)の米屋で、その次男。

20歳頃に天狗連に出入りしていたことから、知り合いの落語家麗々亭柳左衛門の紹介で、1899年4代目麗々亭柳橋門人となり麗々亭柳輔と名乗る。だが、入門して間もなく師匠柳橋が没した。

1901年秋、3代目柳家小さん門下に入り、柳家小きんとなる。

1905年3月、4代目柳家小三治を襲名。実力が認められ師匠小さんの娘を嫁に貰い、落語研究会にも加入する。

1911年4月、神田立花亭において真打に昇進する。

1913年4月、2代目柳家つばめを襲名。このあたりが最も羽振りがよかった。

1917年に新たに発足された演芸会社に加入。

関東大震災後、睦会に加入するが、だんだん芸の力も落ち始め、晩年は不遇で小唄の師匠をして生計を立てていたという。

人物

古典から新作までかなりの噺を演じていた。また3代目小さん門下の纏め役として、4代目柳家小さん初代柳家小せん3代目蝶花楼馬楽初代柳家三語楼(山口慶三)などの多くの門人の面倒を見た。

インテリでめがね姿が特徴であった。1911年には真打記念に速記本『小三治新落語集』が出版されている。




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