柳家つばめ (4代目)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 柳家つばめ (4代目)の意味・解説 

柳家つばめ (4代目)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 03:55 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
四代目 柳家 やなぎや つばめ
本名 深津 龍太郎
生年月日 1892年2月3日
没年月日 (1961-10-12) 1961年10月12日(69歳没)
出身地 日本
師匠 三代目春風亭柳朝
五代目三升家小勝
三代目三遊亭圓馬
名跡 1. 春風亭柳蝠
(1907年 - 1910年)
2. 三升家勝彌
(1910年 - 1913年)
3. 朝寝坊朝楽
(1913年 - 1915年)
4. 三升家勝彌
(1915年 - 1917年)
5. 三升家三勝
(1917年 - 1918年)
6. 春風亭燕柳
(1918年 - 1927年)
7. 四代目春風亭柳朝
(1927年 - 1946年)
8. 四代目柳家つばめ
(1946年 - 1961年)
出囃子 きぬた
活動期間 1907年 - 1961年

四代目 柳家 つばめ(やなぎや つばめ、1892年明治25年)2月3日 - 1961年昭和36年)10月12日)は、落語家。本名∶深津 龍太郎出囃子は『きぬた』。

経歴

初めは10歳ころの1902年に子供義太夫で竹本柳子太夫といった。

1907年ころに噺家に転向し三代目春風亭柳朝の門で春風亭柳蝠を名乗る。1910年ころに五代目三升家小勝の門に転じ三升家勝弥と改名。1913年ころ、七代目朝寝坊むらくの門で朝寝坊朝楽となる。1915年再び勝弥に戻り、1917年に三勝となる。1918年3月に春風亭燕柳に改名し、1920年10月に同名で真打昇進。

1927年3月に最初の師匠の名である四代目柳朝を襲名し、以後20年近く名乗るも、芸の方もいまいちぱっとしなかったこともあり心機一転したかったためか、1946年9月に三代目柳家つばめの未亡人に許可を得て四代目柳家つばめを襲名。

芸歴

人物

地味な芸風で『芝浜』・『清正公酒屋』などを得意とした。一席のあと「寒いから踊ります。」の口上の後踊りを踊ったがいかにも末枯れたよい雰囲気であった。

三代目桂三木助に落語の演目の一つである「芝浜」を教えたのはつばめである。以後、三代目三木助は「芝浜の三木助」と呼ばれるほどこの噺を得意とした。また、三遊亭全生も真打昇進前につばめから「芝浜」を教わった。

全生の師匠六代目三遊亭圓生はつばめと同じく子供義太夫出身で仲が良かったようであり、つばめを「龍ちゃん」(つばめの本名「龍太郎」)と呼んでいた。

出典




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「柳家つばめ (4代目)」の関連用語

柳家つばめ (4代目)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



柳家つばめ (4代目)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの柳家つばめ (4代目) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS