日本での例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 16:06 UTC 版)
日本では貴人を諱(御名)で呼ぶことについては、中国と同様に実名敬避の習慣があった。たとえば天平勝宝9年(757年)5月には天皇と皇后の名と、藤原鎌足、藤原不比等の名を姓名に用いることが禁じられている。これによって姓(かばね)の首(おびと、聖武天皇の名)と史(ふひと、不比等)は「毗登」(ひと)に改められた。また常陸国の「白壁郡」や「大伴氏」は天皇の名をはばかって(光仁天皇の名白壁、淳和天皇の名大伴)改名されている。源氏物語の登場人物もこうした風習を反映し、貴人の実名は徹底して伏せられている。このため貴人を呼ぶ際には官位名や居住所などを実名呼称の代わりとした。室町時代以降は、屋形号から「お屋形さま」、将軍の正室を「御台所」、こうした居住所からの敬称が派生した。近代の皇室典範制定後は、后位敬称となり受け継がれている。 また、日本には通字の習慣があり、鎌倉時代から江戸時代の武家社会などでは、主君の諱の字を家臣が拝領する偏諱授与の風習が存在した。諱を構成する字を徹底的に避ける、中国や朝鮮のような避諱の風習は定着しなかったが、通字や偏諱に用いられる諱の文字の使用には慎重さが求められ、後述の方広寺鐘銘事件で徳川家康が激怒したのはもっともだとする見方もある。ただし江戸時代など儒教の影響を強くうけた時代では、一部に避諱が行われている。 永承7年(1052年)、当時の奥州で勢力を誇っていた安倍頼時は本来「頼良」と名乗っていたが、朝廷の命で陸奥守として赴任してきた源頼義に帰順した際、同じ読みであることを遠慮して「頼時」へと改名した。 大坂の陣においては、豊臣氏の依頼によって作成された方広寺の鐘銘「国家安康」が、徳川家康の諱を侵した犯諱であるということで方広寺鐘銘事件が発生した。 江戸時代、李氏朝鮮とのあいだでは朝鮮通信使による国書の往来が行われていた。正徳度には日本の国書が中宗の諱「懌」を犯したと朝鮮側からの抗議が行われた。新井白石は朝鮮側の国書も「光」(徳川家光)字を犯しているとし、国書の訂正を受け入れなかったため論争となった(国諱論争)。 徳川綱吉は娘である鶴姫を溺愛し、貞享5年2月1日(1688年3月2日)に庶民に対して鶴の字や鶴紋を用いることを禁じた「鶴字法度」を出している。このため井原西鶴は井原西鵬と改名することになり、京菓子屋の鶴屋も屋号を駿河屋と改名した。歌舞伎の中村座は定紋を丸に舞鶴から角切銀杏に改めている。また仙台藩では1667年頃から禁字法令が出され、伊達氏の通字である「宗」や、歴代当主の諱の字の使用を禁じた。 江戸時代後期、漢学が盛行し、天皇権威の回復が試みられる中で、公家社会では天皇の諱に用いられる文字に対して欠画が行われるようになった。この欠画の禁令は光格天皇の天明5年(1785年)に始まったものである(避諱欠画令参照)。幕末期の文久3年(1863年)には、大名・旗本から庶民に至るまで当代の天皇の諱字を避けるよう、幕府から命令が出された(文久避諱令)。欠画の規定は明治初年にも引き継がれ、仁孝天皇(恵仁)、孝明天皇(統仁)、明治天皇(睦仁)の諱の内、「恵(惠)」、「統」、「睦」がそれぞれ欠画とされたことがあったが、明治5年には廃止された。明治6年3月28日に交布された太政官布告118号により、歴代天皇の諱と御名に使用されている文字を使うこと自体は問題がないとされ、熟字のまま使うことのみ禁じられた。この太政官布告は昭和22年の戸籍法改正で正式に廃止された。 秩父宮妃は貞明皇后の名「節子(さだこ)」に遠慮して「節子(せつこ)」の名を「勢津子」と改めた。諱ではないものの、笠置シヅ子が三笠宮に遠慮して「三笠」姓から芸名を改めている。またやしきたかじんは、皇室尊崇者である父親により、たかじん(隆仁)の本来の読み「たかひと」を「陛下と同じ読みとは何事だ」という理由で変えたという。しかしこれらは人名の衝突を避けているだけで、文字の使用そのものを避けているわけではない。 詔書の朗読の際には、詔書末尾の天皇の署名と御璽の押印は、署名そのものを読むのではなく「御名御璽」と読む慣習がある。
※この「日本での例」の解説は、「避諱」の解説の一部です。
「日本での例」を含む「避諱」の記事については、「避諱」の概要を参照ください。
日本での例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 04:47 UTC 版)
第二次世界大戦後復興期以降、しばらくの間、家を失った者に対して当局が廃車を住宅として提供するという政策が執られていた。1954年(昭和29年)には京都市交通局が京都市電の使わなくなった車両を「電車住宅」の名で住居の無い母子家庭に提供し、明くる1955年(昭和30年)には格安・月賦払い可の好条件で居住者に払い下げられている。 かつては、都市部でも駐車禁止の指定のない周縁部にしばしば車上生活者のコロニーを発見することができた。しかし、近隣住民の苦情や廃棄車両の不法投棄などが問題となり、21世紀初期においては、ほとんどの公道で終日駐車禁止の指定を受けているため、車上生活者のコロニーを発見することはまずない。 都市部に近い河川敷や海岸防砂林などの公有地、あるいは倒産したロードサイド店舗の駐車場などにしばしば車上生活を行う者が見られることもあるが、やはり管理者(国・自治体・物件所有者)などに定期的に排除されているようである。 2016年(平成28年)に発生した熊本地震では、家が倒壊して住めなくなった人たちの一部が車上生活を行うようになり、エコノミークラス症候群などによる震災関連死が問題となった。 道の駅は本来、24時間営業の無料休憩施設であり宿泊を想定したものではないが、夜間管理体制の緩い一部施設にマナー違反者が住みつき、2010年代後期には見過ごせない社会問題に発展した。2019年(令和元年)8月20日には、軽乗用車を使って地元の道の駅で車上生活をしていた群馬県太田市出身の女(58歳)が、母親(92歳)の遺体を車内に放置していたことにより、死体遺棄の疑いで逮捕されている(その後、死亡届の提出期限を超過していないため不起訴処分となっている)。女は自分の母親と長男(27歳)という3世代3人で車上生活を約1年間続けた末、車内で亡くなった母親を4日間放置した後、自ら警察に通報したという。NHKはこの事件を機に関東地方における車上生活者の実態調査に乗り出している。関東地方にある全ての道の駅における過去5年間の目撃例もデータ化しており、それによると北関東を主として36パーセントの道の駅で確認されている。常日頃から駐車場を利用されてしまっている道の駅の関係者にしてみれば、高齢の車上生活者が亡くなることは珍しくないという。
※この「日本での例」の解説は、「車上生活者」の解説の一部です。
「日本での例」を含む「車上生活者」の記事については、「車上生活者」の概要を参照ください。
日本での例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/25 23:00 UTC 版)
『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)の番組内での調査により、「馬鹿」「阿呆」などに相当する表現の方言の分布状況がやはり同心円状に広がっていることが判明しており(詳細は馬鹿#方言と分布状況、アホ・バカ分布図を参照)、その詳細は同番組のプロデューサーである松本修により『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』(太田出版、後に新潮文庫)としてまとめられている。 国立国語研究所作成の「日本言語地図」は、1903年以前に生まれた人を対象にした全国調査であるが、この図で「とんぼ」および「地震」が周圏分布を示す。「とんぼ」の例では「あきず」類が宮城県付近と九州南部・沖縄に、「地震」では「ない」類が岩手などと九州・沖縄に分布する。かつての中央でも「あきづ」「なゐ」が古事記・日本書紀において使われている。 以上のような全国規模での周圏分布のほか、地方の一地域での周圏分布がある。例えば山形県庄内地方では中心の鶴岡に新しい語、周辺の農村部に古い語が分布する例が多く、このような地方規模での周圏分布の例は他の地域でも多い。
※この「日本での例」の解説は、「方言周圏論」の解説の一部です。
「日本での例」を含む「方言周圏論」の記事については、「方言周圏論」の概要を参照ください。
日本での例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 09:31 UTC 版)
日本では現在、RBCiラジオの各ワイド番組(i情報)がこのスタイルを採用している他、過去にはTBSラジオなどで放送された「mix」・南海放送ラジオなどで放送されていた「フォーマットRADIO 木藤たかおの日曜Press-Club」も採用していた。 一方テレビ番組でも、「日テレNEWS24」や「TBSニュースバード」がこれに近い方式を採用している。 そのほか、AMラジオの番組を中心に局によって複数の形のネット形態があるためフォーマット制を敷いているところもある。 ミュージックブルペン スポーツミュージアム(2008年で終了) アーティストBOX ベストミュージックコレクション・ジャパン が主な例で、1ユニット5分でジングルが入り、そのたびに曲やコーナーが入れ替わる構成となっていて、5分単位での番組ネットが可能となっている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、ラジオ番組に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:ラジオ/PJ:放送番組)。
※この「日本での例」の解説は、「フォーマットラジオ」の解説の一部です。
「日本での例」を含む「フォーマットラジオ」の記事については、「フォーマットラジオ」の概要を参照ください。
日本での例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/29 15:40 UTC 版)
日本でのベッテンドルフ形台車としては国鉄TR41形台車が嚆矢かつ代表的で、その後継でコロ軸受(ローラーベアリング)としたTR209形、TR214形、TR225形、TR228形がある。枕ばねはTR41形、TR209形が重ね板ばね(TR41D, TR41Eはコイルばね)で、TR214形、TR225形、TR228形がコイルばねである。 2011年(平成23年)から新製されているホキ2000形にはTR214とよく似たTR213形台車が採用されているが、本台車は左右の側枠をつなぎ梁で連結した構造であり、側枠の前後動による車軸の蛇行動を抑制し走行性能を改善した派生型である。
※この「日本での例」の解説は、「ベッテンドルフ台車」の解説の一部です。
「日本での例」を含む「ベッテンドルフ台車」の記事については、「ベッテンドルフ台車」の概要を参照ください。
日本での例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 23:04 UTC 版)
戦前の日本では、時の政権にとって都合の悪い内容であった美濃部達吉の天皇機関説やカール・マルクスの資本論などが悪書追放運動の対象となり、さらにはこれら書籍の単純所持も犯罪として特別高等警察に逮捕されていた。戦後の日本では1963年と1965年に総理府が中心となって悪書追放に乗り出し、「世論」や「教育上」の理由として悪書追放運動が行われている。1963年は当時の池田勇人首相が「人づくり」政策を推進したことを受けたもので、東京オリンピックを前にしての浄化運動という名目もあって悪書追放運動を展開した。また地方自治体に働きかけ「青少年保護育成条例」を各県に自主的に作らせたり、同時期に青少年不良防止に名を借りたテレビ"低俗番組"追放へ、最初の自主規制介入も行われている。 こうした権力側からの言論規制とは異なり、市民側から発祥し行政を広く動かすまでに到った事例として、子を持つ親の一部による後述する漫画への一連の激しいバッシングがあり、単に悪書追放運動といえばこれを指すことがある。他にも、書店売りの成人向雑誌は青少年に悪影響を与えるものとして有害図書に指定され、自治体などから内容や販売方法が厳しく規制されている。さらには未成年者が被写体の写真集を児童ポルノと定義して法規制するなど、芸術への圧力も強めている。
※この「日本での例」の解説は、「悪書追放運動」の解説の一部です。
「日本での例」を含む「悪書追放運動」の記事については、「悪書追放運動」の概要を参照ください。
- 日本での例のページへのリンク