忍者ハットリくん
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『忍者ハットリくん』(にんじゃハットリくん)は、藤子不二雄(1988年の独立後の数か月のみ藤子不二雄Ⓐ)名義で発表された日本のギャグ漫画作品。1964年の初出時から安孫子素雄の単独執筆作品[注 1]。
注釈
- ^ 藤本弘との合作ではないという意味において。
- ^ 氷見市のシンボルキャラクター(ゆるキャラ)としてはハットリくんとは別に「キットちゃん」が存在する。
- ^ 状況次第で映画化する意図があったかどうかは不明。1986年からの映画ドラえもんの併映作品の安孫子担当作は、『プロゴルファー猿』へと切り替わった。
- ^ アニメのエピソードの締めによく言う。
- ^ 2012年版では氏付けしている。
- ^ これはイメージソング「おさななじみ」という歌で歌われている。
- ^ ただし、石丸電気は関東と静岡、新潟などの地域にのみ展開していたため、他の地域で流れていたかは不明。
- ^ 漢字は不明。小池さんのモデルである鈴木伸一から。
- ^ ただしこれはテレビアニメからであり、漫画ではとくに太っておらず髭を生やした、全く異なる風貌であった。テレビアニメ化に際してもとのキャラクターが当時の時代背景と合わなかったために変更されたものと推察され、原作でも中央公論社「藤子不二雄ランド」以降は(60年代、80年代連載版ともに)パパは現代のキャラに描き直されている。
- ^ 講談社編『メーキング・オブ・東映ヒーロー ラディカルヒーローの世界2』講談社X文庫、1987年、p.92。東映の許諾を得ている同書でもケムマキは杉良太郎とされている。
- ^ 全3巻に分けられて発売されている。
- ^ 1987年、TBS『テレビ探偵団』リクエスト大会に本作品をリクエストして、家族で出演している。
- ^ 詳細は忍者ハットリくん (前川陽子の曲)#1967年版を参照。
- ^ ノンクレジット
- ^ テレ朝チャンネルでは「全385話」として放送されている。放送尺の関係で先に帯番組時代414話分放送した後、月曜時代の第491話『トゲ次郎がやってきたでござるの巻(パートI)』(1984年10月8日放送分)まで飛び、そこから実際の最終話『雪山のからくり山荘の巻』(1987年12月25日放送分)まで放送した後、再び月曜時代の第1話(第415話)『不意のお客で大騒動の巻』(1983年3月7日放送分)に戻り、第490話『忍法恋のとりこには参ったでござるの巻』(1984年9月24日放送分)がテレ朝チャンネルでの最終話となる。
- ^ 『ハットリくん』放送開始に伴い金曜19:00 - 19:30に移動。2013年現在においても、声優や放送スタイルを変更した形で放送中。
- ^ クレジット表記無し。第1期のBGMは新規に制作されたものだったが、第2期以降は主に第1作のBGMを流用している。
- ^ クレジット表記されるのは第3期以降。
出典
- ^ 藤子Ⓐワールド氷見市比美町商店街
- ^ コロタン文庫『忍者ハットリくん全百科』・コロコロコミックデラックス『TV版 忍者ハットリくん』
- ^ a b アニメ441話「足跡を盗め!の巻」より
- ^ 第372話「僕の名前は三葉ケン一の巻」
- ^ アニメ240話「逃げ出した影千代の巻」より
- ^ アニメ63話「逃げたトラはどこにの巻」より
- ^ アニメ第574話「電車はちょっぴり苦手でござるの巻」。
- ^ アニメ第49話「忍法声とり餅の巻」。
- ^ a b c d e 全怪獣怪人 上 1990, pp. 84–85
- ^ a b 超人画報 1995, p. 59.
- ^ 本橋信宏『裏本時代』飛鳥新社、1996年、p.234
- ^ 『忍者ハットリくん #14』東映チャンネル、2010年10月2日放映
- ^ 超人画報 1995, p. 70.
- ^ 『北海道新聞』(マイクロフィルム版) 1966年(昭和41年)6月 - 12月、テレビ欄。
- ^ 『河北新報』1966年10月3日 - 10月31日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『河北新報』1966年10月7日 - 10月28日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『河北新報』1966年10月1日 - 10月29日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b c 全怪獣怪人 上 1990, pp. 114–115
- ^ a b c 超人画報 1995, p. 68
- ^ 全怪獣怪人 上 1990, pp. 85、115.
- ^ 『テレビマガジン特別編集・特撮ヒーロー大全集』講談社、1988年12月30日、209頁。ISBN 4-06-178411-0。C8774。
- ^ “町田のTwitter”. 2022年5月4日閲覧。
- ^ 本編クレジットは服部半蔵のみ忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ VOL.1東映ビデオ 2020年9月24日閲覧
- ^ 『河北新報』1967年9月6日 - 9月27日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『河北新報』1967年12月1日 - 12月29日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1968年4月10日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1968年4月7日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北日本新聞』1967年9月7日付朝刊、テレビ欄。
- ^ “『忍者ハットリくん』の公式YouTubeチャンネルが開設!”. シンエイ動画 (2021年11月8日). 2022年8月31日閲覧。
- ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1983年1月号、徳間書店、84 - 85頁。
- ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1985年4月号、学研、94 - 96頁。
- ^ a b c 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1983年6月号、学研、90頁。
- ^ a b 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1986年1月号、学研、78頁。
- ^ 『福島民報』1982年11月1日 - 1983年10月1日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1987年3月30日 - 10月16日付朝刊テレビ欄。
- ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1985年4月号、学研、95頁。
- ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1983年6月号、学研、91頁。
- ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1983年6月号、学研、92頁。
- ^ a b 「全国放映リスト」『アニメージュ』1983年1月号、徳間書店、84頁。
- ^ 「全国放映リスト」『アニメージュ』1982年4月号、徳間書店、94頁。
- ^ 『UX新潟テレビ21 30年史』(2014年3月、新潟テレビ21発行)101ページ。
- ^ a b c d e f g h 「全国放映リスト」『アニメージュ』1983年1月号、徳間書店、85頁。
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- ^ 『北國新聞』1982年11月1日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1983年4月3日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 「テレビ局ネットワーク」『アニメディア』1986年1月号、学研、80頁。
- ^ https://www.indiantelevision.com/television/broadcasting/tv-channels/kids/nick-to-air-new-espisodes-of-ninja-hattori
- ^ “インドで大人気の藤子マンガは…”. 日刊スポーツ. (2012年2月14日)
- ^ “忍者ハットリくん:25年ぶり新作アニメをインドで制作・放送 日本に逆輸入も”. 毎日新聞デジタル. (2012年2月14日). オリジナルの2013年10月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ “忍者ハットリくん25年ぶり新作の放送決定 インド版を逆輸入”. 毎日新聞デジタル. (2013年2月25日). オリジナルの2013年6月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ 【サタデープラス】インド版「忍者ハットリくん」逆輸入でござる - スポーツ報知、2015年2月7日(リンク切れのためウェイバックマシンをリンク)
- ^ “「ドラえもん」全米放送、「忍者ハットリくん」アジア展開 テレビ朝日がアニメで海外目指す”. アニメ!アニメ!. (2014年5月11日)
- ^ “海外で大人気、インド版「忍者ハットリくん」が無料公開へ”. Lmaga.jp (2022年2月19日). 2022年3月23日閲覧。
- ^ “『NINJAハットリくんリターンズ』配信スタート!”. シンエイ動画 (2022年2月24日). 2022年8月31日閲覧。
- ^ 2013年5月5日放送『おまかせ!アニマックスNAVI インドからハットリくんがやってきた!SP』で先行放送。
- ^ 『映画アニメドラえもん 忍者ハットリくん 怪物くん』、38頁
- ^ 氷見市「忍者ハットリくん列車について」
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