道教 現代の道教

道教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/27 06:46 UTC 版)

現代の道教

中国外における道教

道教は特にアジアにおいて伝播し、各地域の文化にさまざまな影響を与えた。現在、シンガポールにおいては総人口の3割ほどが道教信者であるほか、香港でも熱心に信仰されている。道観の最大の拠点は台湾に置かれている[108]。また、西洋においては仏教・儒教ほど普及したわけではないが、華人の住む地区には道教信徒コミュニティが多く存在するほか、道教の技術や実践に対する関心は高い[108]

たとえば、道教の寺院の媽祖廟(海上守護・航海安全の祈願)は、もともと海難の予言を行った福建の巫女を祀ったものであり、アジアの沿海地域(シンガポール・台湾・日本など)に数多く存在する[109]。また、関帝廟(関聖廟・関聖帝君廟・武帝廟・老爺廟)も山西商人によって商業神として広められ、各地に存在する[109]

韓国

韓国道教については、韓国の道教研究者は韓国で自生したものとする説が多い一方、国外の研究者からは中国から伝来したものであると考えられることが多い[110]。自生説の根拠は、『三国史記』に新羅の「風流」や「花郎」という独自の教えがあり、これらと神仙の関わりが指摘されている。また、韓国道教の説話には、檀君説話や高句麗の建国神話と関連し、韓国で発生したことを説くものがある[111]。伝来説の根拠は、『三国史記』に624年に唐の高祖が道士・天尊像・道法を高句麗に送ったと記されており、これによって道教が積極的に導入され、制度的に定着したとする。また、これ以前にも、4世紀初め以前の楽浪の遺跡から道教の呪具である銅鏡が見つかっているし、5世紀初めの古墳壁画にも仙人・仙獣が描かれている[111]

琉球

琉球には、道士が渡来して定住した記録や、道観が建築された記録は残っておらず、道教が体系的に伝来したわけではない。しかし、道教とかかわりの深い神々が琉球に渡来したことは確かで、その神々は民間の廟神・国家の守護神といった多元的な面を有していた[112]。また、国王と道教の関わりとしては、1436年に中山王の懐機は龍虎山の張天師に書簡を送り、符籙を賜るように願い、その後に符籙を受け取ったことがある[113]。沖縄における中国伝来の信仰・習俗を詳細に調査したのが道教研究者の窪徳忠で、彼によって久米村の天妃廟・天尊堂や、人家のかまど神、集落の土帝君、屋敷の入り口に設けられた屏風、祭祀用の紙銭といった事例が報告されている[112]

日本

道教の日本への伝来は、儒教・仏教が総合的な文化体系として日本に大きな影響を与えたのに比べると、組織的な形で流入したわけではない。実際、遣唐使が玄宗に謁見した際、道士を紹介されたが日本は道教を尊ばないという理由で拒否したことがあり、遣唐使などの正式な形で道士が日本に渡来したことはない[114]。日本では道士や道観はほとんど見受けられず、道教が体系的な構造をもって日本に定着したとはいえない[115]

しかし、思想面では道教の影響を多大に受けており、日本の人々の基本的思惟の形成に関わってきたとされる[115]。道教を構成するさまざまな要素は日本に伝わっており、特に神仙術・養生思想は早くから日本に流入していた[114]。『日本国見在書目録』には、『神仙伝』や『列仙伝』のほか、『山海経』『神異経』『十洲記』といった道教的宇宙観に関わる書、また『抱朴子』『老子化胡経』『本際経』『太上霊宝経』などが記録されている[116]

古代日本文化と道教

古くは、古墳時代前期の遺跡から発掘されている三角縁神獣鏡には神仙の像が刻まれたものがあり、合わせて不老長寿・富貴栄達・子孫繁栄を願う文が記されている。神仙思想は「常世国」の観念と結びつき、不老不死の仙人が住む理想郷としての常世国が考えられるようになった。『浦島太郎』の物語となった『日本書紀』の記録においては、常世国と蓬莱山が結び付けられている[117]。日本の神と道教神話が関係する場合も多く、たとえば天理市石上神宮のフツノミタマには道教の尸解仙のイメージが重ね合わされており、その逸話は『荘子』と共通する部分がある。こうした古代日本文化と道教の関係は、福永光司によって網羅的に論じられている[118]

神仙思想のほか、医薬の術・養生法・除災の呪術・占術といった日常生活に密接に結びついた実用的・具体的な面も多く受容された[119]。『日本書紀』によれば、6世紀百済から易博士・暦博士・医博士・採薬師などが派遣されたほか、7世紀初期には僧侶によって暦本や遁甲方術の書がもたらされた。こうした技術の中には、道教の要素の一つである陰陽五行思想や呪禁・占い・おふだなどが含まれている。こうした技術は、大宝律令によって陰陽寮(陰陽・暦・天文・漏刻)と典薬寮(医薬)が設置され、律令国家の中に組み込まれることとなった[119]。また、927年成立の『延喜式』に記された天地の神々に対する祭祀においては、そこで用いられる祝詞に儒教・道教の色濃い影響が見受けられる[120]

また、呪術やおふだも広く用いられており、古代から中世に至るまで多数の「呪符木簡」が発見されている。これは短冊状の木の板に符の文様と文字を記したもので、さまざまな用途に用いられた[119]。中世から近年に至るまでよく用いられている道教由来の呪文に「急々如律令」という言葉がある。これはもとは中国の公文書の決まり文句が道教の呪術に転用されたものであり、日本では修験道で広く用いられたほか、瓦の魔除けやおふだ、また仏教寺院で用いられている例もある[121]。また、修験道で用いられる九字護身法も『抱朴子』に由来し、もとは道教系統の呪文である[121]

三教指帰

道教を仏教・儒教と並べて「三教」と呼び、三者を比較しつつそれぞれの思想の要点を論じたのが、空海の『三教指帰』である。この書では、三教はそれぞれ聖人の説でありそれぞれが価値を持つことを認めた上で、仏教を最上とする。空海は道教を『老子』を基調とする無欲にして「道」と一体化するという思想に、『抱朴子』の神仙思想を合わせたような形で捉えていた[122]

脚注

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  1. ^ a b c d e 福井 1984, p. 327.
  2. ^ a b c 神塚 2020, p. 6.
  3. ^ a b c d e f 金 1995, pp. 146–149.
  4. ^ a b c 横手 2008, pp. 1–8.
  5. ^ P.R.ハーツ 2005, p. 12.
  6. ^ P.R.ハーツ 2005, p. 13.
  7. ^ P.R.ハーツ 2005, pp. 146–152.
  8. ^ a b c 神塚 2020, pp. 7–8.
  9. ^ a b c d 神塚 2020, p. 28.
  10. ^ a b 神塚 2020, pp. 32–33.
  11. ^ 神塚 2020, pp. 34–36.
  12. ^ 横手 2008, pp. 9–12.
  13. ^ 横手 2008, pp. 9–11.
  14. ^ 横手 2008, pp. 12–16.
  15. ^ 横手 2008, pp. 26–28.
  16. ^ a b 神塚 2020, p. 45.
  17. ^ a b 神塚 2020, p. 54.
  18. ^ a b c 横手 2008, pp. 16–19.
  19. ^ 坂出 2005, p. 38.
  20. ^ 神塚 2020, p. 53.
  21. ^ 神塚 2020, pp. 54–55.
  22. ^ 神塚 2020, p. 13.
  23. ^ 神塚 2020, pp. 64–66.
  24. ^ 神塚 2020, p. 117.
  25. ^ 横手 2008, pp. 35–39.
  26. ^ a b 神塚 2020, p. 66.
  27. ^ a b 金 1995, pp. 88–93.
  28. ^ a b 神塚 2020, pp. 108–110.
  29. ^ 横手 2008, pp. 20–22.
  30. ^ a b c 神塚 2020, pp. 120–122.
  31. ^ a b c 大形 1984b, p. 162.
  32. ^ a b 神塚 2020, pp. 86–88.
  33. ^ 神塚 2020, pp. 100–102.
  34. ^ a b c 神塚 2020, pp. 73–76.
  35. ^ 神塚 2020, p. 76.
  36. ^ a b c 神塚 2020, pp. 76–79.
  37. ^ a b c d 神塚 2020, pp. 79–81.
  38. ^ a b c d 神塚 2020, pp. 81–83.
  39. ^ a b 神塚 2020, pp. 130–138.
  40. ^ a b 神塚 2020, pp. 138–139.
  41. ^ a b 加治 2001, pp. 12–13.
  42. ^ 酒井 1984, pp. 257–258.
  43. ^ 加治 2001, p. 15.
  44. ^ a b 神塚 2020, pp. 141–142.
  45. ^ a b 神塚 2020, pp. 142–143.
  46. ^ a b 加治 2001, pp. 19–20.
  47. ^ a b 加治 2001, pp. 22–23.
  48. ^ 大宮 2002, p. 1.
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  50. ^ 大宮 2002, p. 12.
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  122. ^ 神塚 2020, pp. 204–207.






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