道摩法師
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蘆屋道満/芦屋道満(あしや どうまん)は、平安時代の非官人の法師陰陽師[1]。一般的には生没年不詳とされているが兵庫県加古川市の正岸寺という寺の位牌に天徳二年(958年)生誕との記述がある。寛弘6年(1009年)に道満という名の僧侶がいて、高階光子という貴族の女性に陰陽師として召し使われていたという記録はある[2][3]。また、同一人物として道摩法師が挙げられるが道満と道摩とは別人であるという説も存在するなど実像については不明な点が多い。
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 36頁。
- ^ 高階光子が首謀者とされた寛弘6年(1009年)の藤原彰子・敦成親王(後一条天皇)・藤原道長呪詛事件(藤原伊周#翻弄と失意の晩年参照)の政務記録(『政事要略』)に、道満の名前がある。なお実際に呪詛を行ったのは僧侶である円能であり道満ではない。
- ^ 蔵田敏明『京都魔界探訪』扶桑社、015ページ
- ^ 天川友親 編『播陽万宝智恵袋 : 校訂 名跡の部』播磨史談会、1918年。doi:10.11501/1879923 。
- ^ “ひょうご伝説紀行 - 妖怪・自然の世界 - 用語解説”. 兵庫県立歴史博物館. 2024年5月7日閲覧。
- ^ a b 繁田 2004, pp. 214–220.
- ^ 繁田 2006a, pp. 197–199.
- ^ a b 繁田 2006a, p. 198.
- ^ 1348年に播磨国の峯相山(ほうそうざん)鶏足(けいそく)寺を参詣した僧が聞き書きしたとされる播磨国の地誌。
- ^ 史実では「安倍晴明」という表記だが、『簠簋抄』では「安部清明」と表記されている。
- ^ 史実では「賀茂保憲」という表記だが、「芦屋道満大内鑑」の台本(正本・台帳)では「加茂保憲」と表記されている。
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