封建制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 08:46 UTC 版)
概要
日本史においては、一般に鎌倉時代から明治維新までの武家支配時代を封建時代と呼ぶ[1][2]。上代の班田制の崩壊、荘園制の一般化によって、平安時代中期頃に成立したと考えられており、鎌倉時代と室町時代は中世封建社会(封建社会前期)、江戸時代は近世封建社会(封建社会後期)に分類されている[3]。
封建制は、古代中国の統治制度に由来する概念であるとともに、ヨーロッパ中世の社会経済制度であるフューダリズムの訳語でもあり、2つの意味が相互に影響している面もある。
中国では、封建制と郡県制の是非について「歴千百年」の議論が続いた。日本では中国古典とともに封建制の概念も持ち込まれ、頼山陽など江戸時代の知識人は、鎌倉幕府成立以来の武家政権体制を中国古代と似たものと考え、封建制の概念を用いて日本史を論じた。明治維新で実施された版籍奉還や廃藩置県には、こうした頼山陽らの封建制についての議論が影響している。
李基白(朝鮮語: 이기백、西江大学)は、「朝鮮には、封建社会がなかったというのが私の考えです。その根拠は、統一新羅、高麗王朝、李氏朝鮮には封建領主が存在しないからです。従って、封建領主が存在しない封建社会はありえないでしょう。封建制度は国王が封建領主に領地を与え、その統治に全権行使できる代わりに、封建領主は国王の必要に応じて兵力動員などの義務を負う組織です」と主張している[4]。一方、韓国の研究者のなかには「封建領主は存在しなかったが、土地所有者の農地を耕作する農民が農奴の地位にあったため封建社会と解釈できる」という反論もあるが、「そんな時代はむしろ農奴社会や農奴制社会と呼ぶのが正確でしょう」と反論している[4]。
一方、ヨーロッパ特にドイツでは、中世を特徴づける社会経済制度としてフューダリズム(ドイツ語:Feudalismus、英語:Feudalism)やレーエン(ドイツ語:Lehen)が盛んに研究されていた。明治時代半ばにレーエンを中心にフューダリズムが日本に紹介されると、フューダリズムと封建制は類似しているとされ、フューダリズムの訳語として封建制が用いられるようになった。その後、ドイツの歴史学派による経済発展段階説やマルクス経済学の唯物史観が日本に紹介されると、封建制(フューダリズム)は農奴制に結びつく概念となった。
- ^ デジタル大辞泉「封建時代」[1]
- ^ 大辞林 第三版「封建時代」[2]
- ^ 精選版 日本国語大辞典「封建社会」[3]
- ^ a b “卷頭 특별 인터뷰 韓國史新論의 著者 李基白 선생이 말하는 韓國史의 大勢와 正統”. 月刊朝鮮. (2001年11月). オリジナルの2021年10月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ 渡辺信一郎『中華の成立――唐代まで(シリーズ中国の歴史1)』岩波書店〈岩波新書〉、2019年、29頁。ISBN 978-4-00-431804-0。
- ^ a b c d 渡辺 2019, p. 29.
- ^ 佐藤信弥『周――理想化された古代王朝』中央公論新社〈中公新書〉、2016年、23頁。ISBN 978-4-12-102396-4。
- ^ 佐藤 2016, p. 23.
- ^ 渡辺 2019, p. 36.
- ^ a b c 渡辺 2019, p. 32.
- ^ a b c 渡辺 2019, p. 37.
- ^ a b c d e 渡辺 2019, p. 41.
- ^ a b c d 浅井 1939, pp. 3–4.
- ^ wikiquote:ja:始皇帝
- ^ a b c 渡辺 2019, p. 81.
- ^ 渡辺 2019, p. 85.
- ^ 渡辺 2019, pp. 85–86.
- ^ 渡辺 2019, p. 86.
- ^ a b 石井 1986, p. 263.
- ^ 『古今図書集成銓衡典』第676冊、50葉
- ^ a b c d 増淵 1969.
- ^ 小沢 1972.
- ^ 石井 1986, p. 266.
- ^ 石井 1986, p. 279-280.
- ^ 石井 1986, p. 283-289.
- ^ 石井 & 1986」, p. 290-304.
- ^ 石井 1986, p. 305-313.
- ^ 原著ドイツ語版1900年
- ^ 網野善彦 石井進 上横手雅敬 大隅和雄 勝俣鎮夫 『日本中世史像の再検討』 山川出版社 1988年 p.72.なお、18世紀フランスの『法の精神』においても専制国家として日本が紹介されている。
- ^ 『日本史の論点』2018年、p53、中央公論
封建制と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 封建制のページへのリンク