封建主義時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 10:11 UTC 版)
美濃国に隣接する尾張国海東郡蜂須賀郷(愛知県あま市蜂須賀)を領した国人で、川並衆であったともいう。正勝の曾祖父・正永の代までは尾張守護の斯波氏に仕えていたが、斯波氏が衰えたため、父の正利の代には美濃国の斎藤氏に従った。 上述の正勝(小六)の代になって蜂須賀氏は織田氏の配下に属して、歴史の表舞台に登場する。正勝は織田氏の武将羽柴秀吉の与力として活躍し、1581年(天正9年)に播磨国龍野に入封して大名となる。その嫡子蜂須賀家政は1585年(天正13年)に阿波国徳島に入封し、阿波国一国17万3000石(18万6000石とも)の大名となった。 秀吉の死後、関ヶ原の戦いにおいて、家政の子の蜂須賀至鎮が東軍に与したことにより所領の阿波国を安堵され、さらに大坂の陣後に淡路国一国を加増され、2ヶ国都合25万7000石を領した。 子孫は外様大名の大藩徳島藩の藩主として、代々従四位下の官位と阿波守や淡路守の官職を世襲するとともに、徳川将軍家から松平の名字と偏諱を受けた。1678年(延宝6年)蜂須賀綱矩の代に隆重に5万石を分与して支藩の富田藩を創設しているが、1725年(享保10年)に富田藩主蜂須賀正員が徳島藩宗家に襲封したため富田藩は宗家に還付された。以降は領地の変動がないまま明治維新を迎えている。 なお8代蜂須賀宗鎮から2代は高松松平家(水戸徳川家の御連枝)からの養子、10代蜂須賀重喜は秋田佐竹家からの養子で、元々の蜂須賀氏の血筋ではなかった。また、13代藩主蜂須賀斉裕の実父は11代将軍徳川家斉であり、最終的には徳川将軍の血筋となった。
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