封建制の崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:25 UTC 版)
「エドワード1世 (イングランド王)」の記事における「封建制の崩壊」の解説
イングランドでは、エドワード1世時代にはすでに封建制(土地の接受を通して主君と家臣が主従関係を持ち、家臣が主君に対して軍役奉仕義務を負う制度)は消滅過程に入っていた。領主と土地保有者の間の土地接受関係は続いていたが、土地保有者が領主に対して負う義務は軍役奉仕より金銭に移行しつつあり、したがって両者の関係は「主君と家臣」というより、「地主と借地人」といったほうが適切になりつつあった。 封建制崩壊に拍車をかけたのは1290年に制定された再下封禁止法(英語版)だった。これは国王や領主から土地を受封している土地保有者が土地を誰かに売却する再下封をした場合、購入者は売却者に対してではなく、国王や領主に直接に封臣としての奉仕責任を負うことを規定していた。国王や領主の封建的収入を上昇させる目的の法律だったが、これにより国王直接受封者の数が急増し、諸階層の水平化が進んで封建制度の精神の崩壊を招いた。すなわち国王の直接封臣であることはもはや何の自慢にもならなくなり、議会招集を受けることこそが自慢になった。これは封建社会から議会制国家への移行を促す効果があった。 だがともかく国王の封臣は急増したので国王の封建的収入は増え、王権強化に資した。
※この「封建制の崩壊」の解説は、「エドワード1世 (イングランド王)」の解説の一部です。
「封建制の崩壊」を含む「エドワード1世 (イングランド王)」の記事については、「エドワード1世 (イングランド王)」の概要を参照ください。
- 封建制の崩壊のページへのリンク