ヨーロッパの居酒屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:01 UTC 版)
ヨーロッパで居酒屋が登場するのは11世紀頃である。荘園制度による農地改革で農奴たちが土地を経営できるようになったからだ。各村々や都市との交流が再び活発化し、折しも十字軍の時代であったために多くの巡礼者がこの交流に拍車をかけた。王が最後まで居酒屋認可の利権を独占したイギリスと異なり、ヨーロッパ大陸では権力者たちが早々と認可権を手放したため、地方の有力者や教会、修道院などが積極的に居酒屋を経営するようになった。やがて彼らは自分たちが開いた居酒屋以外での飲酒を禁止する居酒屋禁制を公布することとなる。 ドイツではビール、フランスではワインが主だった禁制対象であり、長らく諸侯たちの利権であり続けた。こうして誕生した居酒屋には都市と農村で明確な違いが現れる。都市の居酒屋は上流と下流の人々による棲み分けが行われ、上流では嗜好品としての酒類の提供、下層ではそれに加えての売春、賭博による娯楽の提供に特化していく。一方農村では居酒屋自体が村のコミュニケーションの場となり、世代や性別を問わず人が集うだけでなく、行政や司法などの村の機能を代行する一大コミュニティーセンターとなっていった。 1647年にイタリアのベネチアにアラブ発祥であるカフェが伝来すると、やがて勃発したフランス革命による封建制の崩壊と上流社会文化の開放により、瞬く間に欧州全土に広がる。18世紀の後半に大衆向けのカフェが出来るようになるとリキュールなどの酒類の提供が盛んに行われ、加えてレストランやホテルといった外食産業による酒類の提供も盛んになった。居酒屋の役割はこれら新興の飲食店が果たすようになる。また低温殺菌や冷凍保冷など、酒類を長期間保存できる技術革新も居酒屋を衰退させる間接的な要素となった。革命の伴う封建制の崩壊は、農民たちを都市部に招く結果となり、多くの労働者が発生した。 19世紀になって登場した週払いの給金システムによって、居酒屋は労働者たちの週末の息抜きの場になっていく。二日酔いに伴う月曜日の欠勤が多発し、「聖月曜日」が一時期習慣化する事態となった。19世紀から20世紀にかけて、アメリカ合衆国に端を発した禁酒運動の影がヨーロッパに広がったが、いずれの国でも禁酒法が成立されることはなく、仮に成立してもすぐに廃止された。しかし禁酒運動は、酒類輸送を人員輸送に転換した鉄道旅行の発達や識者たち啓蒙によるスポーツの振興を促す要因となった。
※この「ヨーロッパの居酒屋」の解説は、「居酒屋」の解説の一部です。
「ヨーロッパの居酒屋」を含む「居酒屋」の記事については、「居酒屋」の概要を参照ください。
- ヨーロッパの居酒屋のページへのリンク