封建・郡県の議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 09:01 UTC 版)
秦の始皇帝による郡県制の導入以降、儒教の影響を受けながら、封建制と郡県制の利害得失を巡って対立する思想体系が構成され、多くの文献で封建・郡県の是非が議論されるようになった。封建制と郡県制を巡る議論のなかで、有名なものは次のとおり。 国人名著書是非概要魏 曹冏 『六代論』(『文選』収録) 封建は是、郡県は非 夏殷周3代の封建制度は天下を私せず天下と諸侯とが共存共栄であった一方、秦の郡県制は、天子を孤立させその滅亡を早めたと主張 晋 陸機 『五等諸侯論』(『文選』収録) 封建は是、郡県は非 封建制度は天下を公にする所以である一方、郡県制度は官僚政治であり、官僚の一身の栄達のために行政がなされ、国家百年の長計が顧みられない と主張 唐 柳宗元 「封建論」 封建は否、郡県は是 周の封建制度は諸侯が相争って天下争乱の原因となり、秦・漢・唐では郡県制度が天下の平和をきたしたと主張 唐 李百薬 「封建論」 封建は否、郡県は是 貞観2(629)年、唐の太宗のときに起きた封建制度採用の議論に反対するための上書 唐 顔師古 「論封建表」 郡県・封建併用論 宋 蘇軾 「論古」中の一節 封建は否、郡県は是 柳宗元の所論を賞賛。夏殷周3代の封建制度はやむをえず起こったと主張 出典: これらの議論について文献通考を編纂した馬端臨は、「その発明する(明らかにする)ところのもの公と私とに過ぎざるのみ」と整理した。双方の議論とも、中国で伝統的な「公」を善で「私」を悪とする概念を用いており、封建制反対論では諸侯が天下を分有して「私」することが悪、郡県制反対論では天子一人が天下を「私」することが悪とされた。こうした文献は中国と日本で広く読まれた。
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