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PCエンジン

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PC-8800シリーズ

(PC Engine から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/10 21:58 UTC 版)

PC-8800シリーズ
PC-8801(初代機)
開発元 日本電気
種別 パーソナルコンピューター
発売日 1981年12月 (1981-12)(PC-8801)
出荷台数 約94万台(1989年3月末時点)[1]
前世代ハード PC-8000シリーズ
次世代ハード PC-9800シリーズ

PC-8800シリーズは、1981年(昭和56年)から日本電気(NEC、後に日本電気ホームエレクトロニクスへ移管)が販売していた[2]パーソナルコンピュータ「PC-8801」及びその周辺機器のシリーズ名である。1980年代当時パソコン御三家の筆頭格と謳われたシリーズの一つである。

概要

シリーズの初代機であるPC-8801は、1981年(昭和56年)9月22日にPC-6001と同時に発表され[3]、同年12月に発売された。同じNECの8ビットパソコンであるPC-8001上位互換機種であり、縦400ライン表示可能なビジネス用途もターゲットとした最上位機種という位置付けだった。当時は『I/O』や『マイコンBASICマガジン』などプログラム投稿雑誌やエニックスの賞金付ゲームコンテストも盛んになっていた。1982年(昭和57年)にPC-9801が発売されると、PC-8001ソフトとの両活用でホビーユースに対応した人気機種というポジションにシフトし、日本電気ホームエレクトロニクスへ移管された後に発売されたPC-8801mkIISRで、その位置づけを決定的にした[4]

PC-8800シリーズはNECの半導体開発部門(電子デバイス事業グループパーソナルコンピュータ事業部)が開発しており、情報処理部門(情報処理事業グループ小型システム事業部)が開発した16ビットパソコンのPC-9800シリーズとは販売戦略が異なっていた[5][6]

累計出荷台数は、1989年平成元年)3月末時点で約94万台[1]、同年9月時点で約96万台出荷されている[注 1]

ハードウェアの特徴

基本仕様
当時のNEC社内での開発コードは「PCX-02」で[要出典]、PC-8801の前身となる機種PC-8001の仕様をほぼ全て継承しつつ、新しい機能を追加する上位互換を実現していた。
以下はPC-8801及びPC-8801mkIIの仕様である。
PC-8801及びPC-8801mkIIのメモリマップ
起動後にLINE命令でカラー表示
400ライン表示はモノクロ
PC-8801背面の拡張スロット
PUT関数での漢字表示(緑枠は400ラインモード)
メモリ構成
搭載メモリ容量は合計184KBであり、Z80Aで直接扱えるメモリ容量(最大64KB)を越えていたため、バンク切り換えの手法が用いられた。N88-BASICの通常モードにおいて、アドレス0000H(Hは16進数を表す)から7FFFHまではN88-BASIC ROM(容量32KB)が割り当てられた。一方0000Hから7FFFHまでのメインRAMにはBASICプログラム(テキストエリア)が格納されていたが、ROMに隠れてCPUから直接アクセスできないため、任意の1KBを8000Hから83FFHまでの領域に割り当て直してアクセスする方法(テキストウィンドウ)が採られた。8400HからFFFFHまでの31KBにはメインRAMが割り当てられ、変数データやANK文字表示用メモリ、N88-DISK BASICのディスクコードなどが格納された。このメモリ構成により、当時の8ビットパソコンとしては異例の最大32KBのBASICプログラムを実行することができた。ちなみに、本来のアドレス8000Hを割り当てると、隠しメモリとして使用できた。
200ライン表示
RGBそれぞれ0%と100%の二階調を組み合わせて8色(0:、1:、2:、3:マゼンタ、4:、5:シアン、6:黄色、7:)のカラー表示を行っていた。この方式は後に登場した「アナログRGB」との比較で「デジタルRGB」と通称された[注 2]カラーパレット切り替え機能により8種類のパレット番号(0-7)を上記の8色から選んで任意の色に対応させることができた。また、モノクロ3ページのモードも存在し、例えば1ページ目のみを表示しながら非表示となっている2ページ目に描画をすることができた。
400ライン表示
モニター出力の水平同期周波数が15kHzと24kHzに対応し、400ラインの表示が可能となった。縦横比のドットピッチ間隔がほぼ同じになったため、漢字フォントの表示でも隙間を感じないよう精細に出来るようになり、日本語表示を必要とするビジネスマシンとしても使用できるようになった。
文字表示
PC-8001と同等のANK文字表示用ハードウェアが残されており、グラフィック画面の上に合成表示が可能になっていた。フォントをハードウェア的に展開するこの仕組みは文字表示についてVRAMへのデータ転送量が軽減されるため、ANK文字は高速表示が可能だった。このような構成は後のPC-9800シリーズにも継承され、日本語表示も可能な形で実装されている。
ROMに内蔵されたソフトウェア
内蔵のROM-BASICは、N88-BASICを新たに採用した。PC-8001互換のN-BASICには、本体のモードスイッチかBASICの拡張命令(NEW ON命令)で本体を一旦リセットすることで切り替えて使用した。機械語モニタには簡易的なアセンブラ逆アセンブラの機能が含まれていたが、Z80ではなくIntel 8080の文法である。そのため、Z80にて追加された機械語命令は、逆アセンブル時に???と表示された。
キーボード
本体はキーボードと本体部分のセパレート型となり、拡張ボードを本体に内蔵できるようになっていた。キーボードはパラレル入力で、同時押しもできたが、SHIFTCTRLなどを除いてダイナミックスキャンの回り込み防止用のダイオードは入っていない。
キーボード(オプション PC-8801-KI)
新入力方式日本語ワードプロセッサPCWORD-M[8]に同梱されているキーボード[9]。PCWORD-Mの動作に必要な増設RAMボード PC-8801-02N はPCWORD-M に同梱されている[8][9]
フロッピーディスク
ミニフロッピーディスクインタフェースを標準装備しており、5.25インチ1D(片面倍密度)、2D(両面倍密度、約320Kバイト)の外付けFDDが使用できた。DISK-BASICとしてN88-DISK BASICが用意されていた。また、8インチフロッピーディスクインタフェースボードを介する事で、8インチ2D(約1Mバイト)の外付けFDDが使用できた。
PC-8001/PC-8801シリーズでは、5.25インチFDDは日本向けの「インテリジェントタイプ」と呼ばれる方式と海外向けのDMAを介してCPUで制御する方式があった。日本向けインテリジェントタイプは、ドライブ側にFDD制御用CPU(Z80系列)を搭載し、本体とFDDとの間でパラレルインタフェース(i8255互換)によりデータ転送を行っていた。日本向けインテリジェントタイプの純正品として PC-8031-2W/PC-80S31 などがある[10]
サブCPU側にプログラムを転送することで、FDD操作以外の計算処理も可能になっており、この特徴は後継機でも引き継がれている。FDDアクセスルーチンへのパッチ[注 3]や、演算処理の部分的な肩代わりをさせるソフトウェア[注 4]もあった。また、CPUがPIO転送を行う機種とは異なり、転送そのものに多くのメインCPUリソースを必要としない他、割り込みを止めずにアクセス処理が行えるため、音源が搭載された後継機では、BGMを鳴らしたままでのデータアクセスを可能にしていた。
なお、8インチFDDは、本体CPUからDMAによる直接制御となり、より高速な転送が可能である。I/F形式はPC-9801と同一であるため、PC-9801用の5.25インチ2HDドライブや、3.5インチ2HDドライブを接続し、使用することも可能である。
拡張スロット
PC-8801の特徴の一つである拡張スロットの仕様が公開されていたため、個人でも拡張ボードの自作が可能であり、ユニバーサル基板も販売されていた。個人でのハードウェア工作のほか、工作機械や制御機器を製造していたメーカーが専用インタフェースの拡張ボードを各々作成し、ロボット、機器などの制御用にも多く利用されていた。後に、これらの分野を視野に入れた物がFC-98シリーズへ、またRS-232Cで制御可能な物がPC-8200シリーズへと受け継がれていくことになる。
オプション
漢字ROMボードを使用することで、N88-BASICのコマンドレベルでグラフィック画面に漢字を表示できた。後にN88-漢字BASIC(後期はN88-日本語BASIC)も用意された。その他にMIDIインタフェースとPSG×2(8オクターブ6重和音)を搭載した「ミュージックインタフェースボード(型番:PC-8801-10)」、μPD8086i8086互換)8MHzと128KBのRAMを搭載し、MS-DOS Ver1.25を使用できる「16ビットカード(型番:PC-8801-16)」なども販売されていた[11]

歴史

400ライン表示可能なビジネス機、PC-8801

PC-8801は別売ながら漢字ROMを用意したことで、「マイレター」、「文筆」、「ユーカラ」などのいくつかの日本語ワープロソフトがPC-8801用に開発された。これらは後にPC-9801対応版も登場し、パソコンソフト市場に日本語ワープロソフトのジャンルを確立することになった。NEC自身も「ユーカラ」を自社ブランドで「日本語ワードプロセッサ」として発売したが、こちらは失敗に終わっている[12]。PC-8801は1983年11月までに17万台が出荷された[13]

1983年に登場した後継機、PC-8801mkIIでは、FDDを2基本体に内蔵可能とし、縦置きも可能な新しい筐体を採用した。また、キーボードは人間工学に基づいたステップスカルプチャー方式が採用された[14]。8801mkII以降の機種はFDDが本体内に内蔵可能となったため、内蔵FDD制御用サブCPUとしてμPD780C-1(Z80A相当、4MHz)とサブCPU用RAMが搭載された。漢字ROMが標準搭載されるようになり、ブザーがスピーカーに置換されると共に、従来のBEEP音のほかに、BASICからCMD SING[注 5]で利用可能なI/Oポートを制御することで、ソフトウェア的にパルスを生成できる単音の音源が追加され音程を奏でることが可能になった。

N-88BASICでのグラフィック描画(V1モードのイメージ)

上記の2つの機種(後にPC-8800シリーズでは旧機種として分類される)は、テキスト画面の描画サイクルのDMA動作でメインCPUの処理が一時停止する等のハード仕様のため、動作速度やグラフィックの描画などが遅く、テキスト画面の表示を無効にし表示タイミングを無視して書き込む「高速モード」もあったものの、表示によるレスポンスを必要とするリアルタイムゲームでは、その恩恵を受けられなかった。

PC-8801登場時の1981年はコンピュータゲームの黎明期にあたり、アクションゲーム(略称:ACG)・ロールプレイングゲーム(略称:RPG)・シミュレーションゲーム(略称:SLG)・アドベンチャーゲーム(略称:AVG)の各ジャンルに分かれて発展していくこととなる。PC-8801の歴史はゲームの歴史でもあると言われるが、このうちアクションゲームは初期のPC-8801にとって不向きと言われた分野で、プログラマーが腕を競う激戦区ともなった。エニックスが開催したプログラムコンテストでは、ドアを開け閉めして敵を閉じ込める『ドアドア』が優秀賞を受賞している[15]

このPC-8801mkIIからPC-8801mkIIFR/MRまで、CMキャラクターに武田鉄矢が起用された[16]

ホビー志向となったPC-8801mkIISR以降

ホビーマシンとしてのPC-8800シリーズの地位を確立した後継機種が、1985年(昭和60年)1月に登場したPC-8801mkIISRである。主にグラフィック機能とサウンド機能が強化され[17]、強化されたハードウェアに対応するために、従来のN-88BASIC(本機以降、N-88BASIC V1と呼称)を機能拡張したN-88BASIC V2が搭載された[注 6]

グラフィック機能では、640×200ドット/512色中8色のアナログRGB[注 7]へと発色数が強化され、ALUを搭載し、GVRAMの論理演算を伴うRGB3プレーン同時アクセスを可能にするなど、グラフィックス処理に対するCPUの演算負荷を軽減する仕組みが用意された。GVRAM(グラフィックVRAM)は48KBのままで、従来のデジタルRGB端子も引き続き使用できた。また、テキストVRAM4KBをメインメモリから独立させ、GVRAMにサイクルスチールを採用し、旧機種ではシステム速度の負荷となっていたバス調停による速度低下を抑えた。

この拡張グラフィック機能はV2モードと呼ばれ、以前のものをV1モードと呼んで区別し、本体のモードスイッチでN-BASIC/V1S/V1H/V2の4つのモードを切り替えて使うようになった(V1S:互換、V1H:高速)。前述のアナログパレットの追加に伴い、初期化の状況によって、V1モードのプログラムはV2モードでは色が正しく表示されない事があったが、正しく初期化して両モード対応のソフトを書くことも可能だった。

サウンド機能では、ヤマハの音源チップYM2203が搭載され、FM音源3音+SSG3音のサウンド機能を新たに標準装備。BEEP音のみだった旧機種から表現力を大幅に向上させた。旧機種用にもFM音源は「サウンドボード(型番:PC-8801-11)」として用意されたが、I/Oポートアドレスは異なり互換性は無い。内蔵音源とはI/Oポートアドレスが異なることから併用は可能になっており、ボード付属の拡張BASICでFM6重和音の演奏が可能となった。また、数は少ないが初代・mkIIでFM音源ボードに対応したソフト[注 8]が発売されている。この機能拡張に伴い、ソフトウェアメーカーによって多くのソフトウェアが作られ、同人ゲームソフトやCGサウンド集といった、在野の活動も促す形となった。しかし、V2モード専用とは別にV1モード用がリリースされたものや、V2モード用のものにパッチを当てると動作するソフトがあったものの、V1モードで動作するプログラムは市場からは早々に衰退することとなった。

同年9月発売のPC-8801mkIITRでは、SRと同一筐体の横に電話機モデム・NCU(網制御装置)を一体化したモデム電話を装備した。ただし、このモデムの通信速度は全二重通信300bpsと低く、当時このパソコンをレビューした雑誌『ログイン[18]においてさえも「将来を考えると、通信速度が遅すぎるのではないか?」と指摘されるなど、実験的な要素が目立つ機種だった。

同年11月には、SRをマイナーチェンジしたPC-8801mkIIFR/MRが発売された。FRはSRの廉価版であり、下位の8ビット機種(PC-8001mkIISR, PC-6601SR, PC-6001mkIISR)の後継機を廃止する代わりにこれらのユーザー層を取り込む役割があった[19]MRにおいては、2HDと2Dの読み書きに両対応したFDD[注 9]、JIS第2水準漢字まで含んだ漢字ROMを搭載するなど、当時の8ビット機種としては高い機能が盛り込まれた。ソフトウェア的な互換性は維持されていたものの、2Dと2HD/2DDではヘッドのトラック幅の違いがあることから、2HD/2D兼用ドライブで書き込んだ2Dディスクが2D専用ドライブで読めないことや、コピープロテクト対策や極限ともいえる容量までディスクを使用することが多かったゲームソフトの中には動作しないものがあるなど注意喚起された[20]が、実際の市場では大きな問題になっていない。N-BASIC切り替えスイッチとランプが削除されたが、N88V1モードのBASIC起動後に「NEW ON 1」と入力することでN-BASICに切り替わる。バンク切り換え方式(NEC標準バンク増設方式)の128KBの拡張メモリが標準装備されたラインナップもMRが初であり、拡張メモリが標準搭載されたモデルが発売されたことで、対応するアプリケーションも増加した。バンク切り換え方式のメモリは、純正では128KBの「増設RAM ボード(型番:PC-8801-02/PC-8801-02N)」が売られており、設計上の仕様としては、最大512KBの空間を管理できるようになっている。NEC標準バンク増設方式を拡張して最大4MB(128バンク×32KB)まで拡張できる1MBバンクRAMボード、2MBバンクRAMボードがアイ・オー・データ機器から発売されているが、実際にディスクキャッシュなどとして活用するのは標準搭載された128KB迄という実装が多く見られ、積極的に活用されたとは言い難い。88VAの互換モード時の64KB以上のメモリは、このバンクメモリとして認識する。

このほか、MRには文節変換が可能なN88-日本語BASIC、FRには熟語変換が可能なN88-日本語BASICが標準搭載された(model 10は別売)。また、このFR/MRから拡張スロットの数が減らされたり、MRのデータレコーダ用インタフェース(カセットテープインタフェース)削除など、不要な機能の削減が意識されるようになった。同時期の他のメーカー製品でもグレードを分ける戦略が見られたが、最上位機種は拡張端子類をフル装備にする等、考え方の違いが表れている。mkII/SR/FR/FHまでは、FDD無しのmodel 10、FDD1台のみのmodel 20が用意され、NEC純正の増設FDD以外に、旧機種からFDDを移植したり、バルク品のFDDを搭載して安価にアップグレードすることもできた。

更なる高速化と高機能化

1986年(昭和61年)11月には、PC-8801FH/MHが登場した(型番からmkIIの文字が消えたのはこのモデルから。本体の外観デザインは初代PC-8801に倣ったものとなっている。)。CPUがZ80H相当のμPD70008AC-8に変更され、クロック周波数は4MHzと8MHz[注 10]に切り替え可能となり、処理速度の更なる向上が図られた。本体とキーボードのデザインも一新され、設定用のディップスイッチは消えてメモリスイッチとなり、付属キーボードは設定メニュー表示用に「PC」キーが追加され、日本語入力用にスペースキーを三分割して変換キーに割り当てられるなど大幅に更新された(同時期のPC-9800シリーズよりキー数が多い)。後にFHには筐体が黒色のモデルも発売された。なお、PC-8801FH/MHには、「サウンドボード2」を装着するための専用カバーと専用スロットが存在する[16]

旧機種の弱点だった部分を補強して機能と処理速度を向上させていったSR以降のシリーズは、SR発売当初に登場したアクションゲーム『テグザー』をはじめ、FM音源による音声合成を実現した『シルフィード』『ぎゅわんぶらあ自己中心派』、RPGでは『イースシリーズ」や『ハイドライド3』『ソーサリアン』『ドラゴンスレイヤー英雄伝説』など、SLGでは『スーパー大戦略』や『三國志II』などのシリーズを生んだ。この頃にはPC-8800シリーズが次第に8ビットパソコン市場で一人勝ちの様相を呈するようになり、ゲームソフトが優先的に発売されるほか、PC-8801mkIISR以降用だけで発売されたタイトルも存在するようになった。

なお、N-BASICモードが製品仕様から外れたことによりモードスイッチから削除され、この仕様の違いから、N-BASICモードから起動する一部のPC-8801版ゲームソフトで起動しないものがある。N-BASICモードはV1Sモードの4MHz設定でキーボードから「N80」を押してリセットすることで起動するようになった。また、他メーカー機種のAV機能の向上に合わせて、65536色(B:5ビット、R:5ビット、G:6ビット)同時表示が可能となる「ビデオアートボード(型番:PC-8801-17)」もオプションで用意された。「N80」リセットの際、グラフィックスメモリの初期化が行われないことを利用し、市販ソフトの画面を取り込むツールにも利用された。

1987年(昭和62年)3月4日のPC-88VA(後述)発売後の[21]、同年10月15日に発売されたPC-8801FA/MAでは[22]、音源チップをスーパーシンセサイザーIC・YM2608に変更し、サウンド機能がステレオFM音源6音+リズム6音+SSG3音+ADPCM音源1音へと大幅に強化された。同機能を、VA、FH/MHやそれ以外の旧機種に対応させるために「サウンドボード2」と呼ばれる拡張ボードが用意された。FA/MAに標準搭載されたYM2608のI/Oポートアドレスは従来のYM2203と同じアドレスだったため、V2モード専用ソフトはそのまま利用することができた。PC-8801/mkII/SR/TR/FR/MR用「サウンドボード2(型番:PC-8801-23)」のYM2608のI/Oポートアドレスは別のアドレス[注 11]に割り当てられたため、一部のソフトウェアでは増設された音源が正しく認識・演奏されないものがある。FH/MH用「サウンドボード2(型番:PC-8801-24)」及びFE/FE2用「サウンドボード2(型番:PC-8801-25)」は、専用スロットに装着することで内蔵音源と置き換わるように設計されている。また、メインメモリのウェイトをOFFに設定出来るようになったほか、MAでは辞書ROMを512KB搭載して連文節変換機能を実現したほか、学習機能等を持った日本語エディタも付属した[23]

しかし、1987年(昭和62年)にはシャープの新世代ホビー機X68000が登場し、88の王座は揺らぎ始めた。次期主要機として投入したPC-88VAの営業的失敗もあって、PC-8800シリーズは斜陽の時代に入ることとなる(MSXゲーム専用機を除く全ての8ビットパソコンがその役割を終えたともいえる)。ホビーユースにおいてもPC-9800シリーズの本格的なシフトを始める等、NECはPC-8800シリーズを整理し、ハイエンド志向だったPC-9800シリーズのラインアップを見直して需要に応えていった。

1988年(昭和63年)には、家庭用テレビに接続可能なビデオ出力端子を搭載したPC-8801FEが用意された[24]。このFEでは徹底的な機能削減を図り、BASICは添付されず、汎用拡張スロットも削除[注 12]され、音源もYM2203が標準となっている。一方で、これまでの流れを汲むPC-8801MA2も用意された。これらの機種では、モニタメモリの種類を選択するスイッチは起動時にキーボードを押して選択するようになり、V1/V2のモード切替スイッチはメモリスイッチに取り込まれた。このメニューにより画面がクリアされるため、MA2/FEでは、V1SモードからのN80リセットは可能だが、これを利用したV2モード時の画面取り込みは出来ない。

なお、FH/MHからFE/MA2/VA2/VA3まで、CMキャラクターに斉藤由貴が起用された[16]

1989年(平成元年)にPC-98DO(後述)を挟んで登場したPC-8801MCでは、縦置きデザインの筐体になると共に、システムの起動も可能なCD-ROMドライブが装備された[25]。このドライブはPCエンジンCD-ROM²と共用のものであり、CD-ROMドライブ非搭載のModel 1では流用して搭載することが可能だった[25][26]。旧機種向けに「CD-ROMインタフェースセット(型番:PC-8801-31)」も用意されたが[25]、使用のための価格的なハードルや、容量のみで解決する問題が少ないこと、BASIC等からの制御や、CD-ROMを作成する手段が当時の一般ユーザーには無いこともあり、PC-8800シリーズでは、CD-ROM自体が普及しなかった。それらの状況や、既にPC-8800シリーズ自体が末期ということもあり、実際にPC-88シリーズ用に提供されたCD-ROMの市販ソフトウェアは『MIRRORS(ミラーズ)』など数えるほどにとどまっていたが、日本ファルコム光栄のソフトウェアの一部[注 13]が、BGMにサウンドトラックのCDを使えるように対応している。同時期にPC-8801FE2も発売された。MC/FE2ではメモリアクセスノーウェイト動作の8MHzHモードが追加された[25][27]。N80リセットがV2モードからも可能になり、画面の初期化が省略されることによって画面の取り込みも再度可能になった。FR/MR以降、本体前面に記載される型番表記はPC-9801シリーズと同様にゼブラ文字となったが、MHからMA2までは「2HD」表記(VA3は「2HD+2TD」)が付いたり、MA2/FE2/VA2&3のような後継機は形式名を全表記するなど、9801に比べてアピール度が高いものとなっている。

広告には松下進のキャラクターが起用された。純粋な8800シリーズはこのMCで終了となったが、MSXを除く他社の8ビットPCに比べて1年遅くまで新製品が投入された。88アーキテクチャを持つ機種は1990年(平成2年)10月に登場したPC-98DO+(後述)が最後となる。

Z80互換モードを持つハイブリッドV30マシン、PC-88VA

PC-88VA

PC-8800シリーズは、他社に先駆けてCPUクロックの高速化などを行っていたものの、8ビットCPUを使用する以上、基本性能の向上はほぼ限界に達しつつあった。1987年(昭和62年)3月4日に発売された PC-88VAでは、NEC独自の16ビットCPU、μPD9002(8MHz、V50のカスタム品)を採用し、メインメモリは512KBを備え、大幅な性能向上を図った上位機種である。外観でもFDDを横並びからPC-9800同様の縦並びとし、筐体も大きくなった。このCPUはV30としての動作に加え、8ビットCPU・μPD70008AC互換のモードを持っており、従来のPC-8800シリーズのV1/V2モードのソフトウェアの大部分が互換モードで動作可能だった[注 14][21][28]

VDPの搭載により640×400ドット/256色や640×200ドット/65536色、スクロール機能・複数画面の合成 といった強力なグラフィック機能、4096色中16色・サイズ最大256×256ドットで最大同時表示32枚のスプライト機能などを備えた。OSにも、MS-DOSVer.2とシステムコールが概ね互換である独自OS、NEC PC-Engineを搭載していた。このOSではN88-日本語BASIC V3が動作し、N88-DISK BASICのディスクもファイルフォーマットを自動判別して読み込めた。また、高機能化したハードウェアをサポートするBIOSがROM内に整備された。プロセッサ等、共通項はありながらこれらの実装はPC-9800シリーズとは非互換であり、MS-DOSに依存したソフトウェアなど、共用できるソフトウェアはごく一部に限られた。但し、システムプログラムを二つ持ち、PC-8800シリーズではなく、PC-9800シリーズと同じパッケージでリリースされ、V3モードで動作するソフトウェア[注 15]も存在する。

拡張スロットは、PC-9800シリーズのCバスと物理的には互換性があるものに変更されたが、前述のようにBIOSはじめ、基本的な実装の相違からPC-9800シリーズ用拡張ボード上のROM及びデバイスドライバ類は利用することは不可能であり、公式には非互換の独自スロットである。但し、非公式ではあるがPC-9800シリーズ用の増設RAMボードやSASI、SCSIインタフェースを増設することができ、88VA用のデバイスドライバやMSEなどのMS-DOSエミュレータ、PC-9801用ソフトへのパッチ等のソフトウェア的な改修、改造、開発により、その一部を利用することが可能だった。

また、背面にはコンポジット映像出力端子を持ち、15kHz出力モード時限定ではあるが、ゲーム画面をビデオ録画することも可能だった。

PC-88VAの後継機PC-88VA2/VA3では、ステレオFM音源(PC-8801FA/MAと同等)が採用されサウンド機能も強化された。また、V1/V2モード動作時の互換性の向上などの改善もおこなわれた。VA3では容量9.3MBの3.5インチ2TD(2DD/2HDのディスクの読み込みも可能)ドライブを搭載(VA/VA2にはオプションで用意)した[29]。付属ソフトには「アニメフレーマー」が追加された。なお、初代VA用には「PC-88VAソフトウェアバージョンアップボード(型番:PC-88VA-91)」が用意され、辞書ROMと追加BIOS群の追加により、PC-Engineもバージョンアップ(V1.0からV1.1)でき、数値演算コプロセッサが装着できないこと以外は「サウンドボード2(型番:PC-88VA-12)」と併せてVA2とほぼ同等の機能にすることが可能になった。

1980年代の終盤になると、日本国内ではPC-9800シリーズの普及など、ビジネスの分野だけでなくホビーユースでも16ビット機への移行が加速していた。PC-88VAは、同時期のライバル機となるX68000やPC-9800シリーズおよびその互換機と比較された。X68000(369,000円)より安いがPC-9801UxシリーズやエプソンのPC-286シリーズと同等の価格設定、CPU速度やスプライト表示性能などがライバル機に劣る、V1/V2モードでの互換性が不完全、PC-9800シリーズと非互換など、突出した部分が少なく不利な状況に置かれた。結局、その性能を発揮する16ビット専用ソフトが揃わないままシリーズは二代目のVA2/VA3で打ち止めとなったが、PC-VAN内のVA-CLUBでは前述したようなMS-DOSエミュレータやフリーソフト、PC-9800シリーズ用のパッチなどが有志によって作成、頒布され一定の使用環境を提供していた。なお、PC-88VAシリーズの半角16ドットフォント(英数字などの8×16ドットフォント)はPC-9801とは異なり、かつての電子デバイス事業グループが開発・販売していたPC-100のフォントと同じである(「A」、「p」、数字の「0」などに特徴あり)。[要出典]

PC-98DOの発売及びPC-9800シリーズへの統合

PC-88VAの商業的失敗の後、NECは1989年(平成元年)6月にPC-8800シリーズとPC-9800シリーズの両方のソフトウェアが利用できる PC-98DOを発売して、市場シェアの維持を試みた。98DOではPC-8801MH相当[注 16]の「88モード」とPC-9801VM11相当の「98モード」をモード切替スイッチで切り替えて使用可能だった。しかし、88モードではサウンドボード2相当の音源が搭載されておらず、アタリ仕様ジョイスティックやRS-232Cが使用出来ない、98モードではCPUがV30(8MHz/10MHz)しか搭載しておらず、当時の16ビット機として非力だったなどの問題があった[30]。また、32ビット機の普及も始まる中、PC-8801FE2/MCの発売を挟んで1990年(平成2年)10月に発売したPC-98DO+では、CPUにV33A 16MHzを採用し、EGC、サウンドボード2相当音源を搭載するなど、それらの問題も解決させたものの、PC-8800シリーズとして新たに拡張された部分はなく、既存ユーザーへの買い替え需要を掘り起こすに至ってはいない。

一方で、NECはPC-9800シリーズをあくまでビジネスユースと位置付けてきたこともあり、多くの変数で煩雑な計算を要するシミュレーションゲームや相当のデータ容量を要する高解像度グラフィックを多用するアドベンチャーゲーム(特にアダルトゲーム)ではPC-9800シリーズへの移行が進んでいった。ほとんどのユーザーはそのままビジネス市場でも相当のシェアを占めていたPC-9800シリーズに、一部のゲーマーはX68000などに移行していった。1991年(平成3年)に次期98シリーズの試験機といえるPC-98GSの登場及び1992年(平成4年)のPC-9821初代機を経て、1993年(平成5年)にPC-9821シリーズへ本格移行するまでの間は、8ビットパソコンでも能力が充分なコンピュータRPGやアクションゲームなどでゲームが提供され続けた。この試みで一応の完成をみて、PC-8800シリーズは完結したものとなった。

機種一覧

PC-8800シリーズは、新機種の発売では上位互換を持たせ、特にPC-8801mkIISR以降の機種は、基本仕様は全く変わっておらず、また機能追加が行われる毎に旧機種にもそれと同等の機能を実現するための拡張ボードが提供され[注 17]、徹底した互換性対策が行われている。PC-8000シリーズ互換のN-BASICモードを全ての機種で持っている他、コストや、使用頻度を考慮した結果、2HDドライブ搭載機で廃止されたデータレコーダ端子もオプションボードとして提供している。SR/FR/FHにはドライブ無しのモデル10も用意され、80シリーズや旧88シリーズの周辺/内蔵機器を利用した安価なアップグレードも可能であった。

SRでそれまでの旧機種モードと拡張モードをV1とV2に切り分けたことや、拡張ボードでは同等にならないCPUクロックの向上など、他機種ユーザーからは旧機種を切り捨ててきたようにも言われるが、上記の通り、それらのイメージよりもソフトウェア資産の継承、互換性については気を使った設計となっている。また、ALU搭載や8MHz機の投入、16ビット化の試みなどは、当時の競合機だったFM-7X1MSX等が、CPUの処理速度を据え置きにしたままグラフィックやサウンド機能を強化したことで処理が重くなってしまったことと対照的であるともいえる。

発売
年月
機種名 モデル 標準価格
(円)
特徴 商品情報
1981 12 PC-8801 228,000 初代機。FDD・漢字ROMはオプション。汎用拡張スロットを4個持つ(8801では最多)。 [1]
1983 11 PC-8801mkII model 10 168,000 FDD・第一水準漢字ROM内蔵、単音の音源(CMD SING)追加。
これ以降、model 10はFDドライブなし、model 20は2Dドライブ1基、model 30は2Dドライブ2基搭載。
左側面に縦置き用の脚があり、縦置き設置が可能。本体正面左下と右側面の2カ所にキーボード接続端子がある。
[2]
model 20 225,000 [3]
model 30 275,000 [4]
1985 1 PC-8801mkIISR model 10 168,000 グラフィック機能を拡張したV2モード、FM音源(YAMAHA YM2203:OPN)を搭載。
この機種以降、背面のI/Oポートアタリ規格(D-sub 9pin)になる。
縦置き設置の向きがmkIIと逆で、右側面に縦置き用の脚が付いている。キーボード接続端子は本体正面右下と左側面にある。FDDイジェクトレバーが左側にあるドライブを採用。
[5]
model 20 213,000 [6]
model 30 258,000 [7]
9 PC-8801mkIITR 288,000 SR model 30に全二重通信300bpsモデム電話を左側面に設置。
モデム電話が付いたことにより横置き専用となり縦置き設置の脚は削除、左側面のキーボード接続端子は残っているがモデム電話に隠れて実質的に使用不可。
[8]
11 PC-8801mkIIFR model 10 99,800 SRの廉価版、モードスイッチからNモード廃止。
NECの他の8ビット機種を整理(廃止)して生産面・販売面ともにコストダウンを図る。
この機種以降、Fシリーズは汎用拡張スロットを1個に削減、モノクロ出力端子、側面のキーボード接続端子を削除。FDDはTEAC標準仕様に戻る。
熟語変換が可能なN88-日本語BASICを標準添付(model 10は別売)。
[9]
model 20 148,000 [10]
model 30 178,000 [11]
PC-8801mkIIMR 238,000 モードスイッチからNモード廃止、2HDドライブ2基搭載。この機種以降の全機種に第二水準漢字ROM内蔵。
この機種以降、Mシリーズは128KBの増設RAMが標準搭載され、汎用拡張スロットを2個に削減、モノクロ出力端子、側面のキーボード接続端子、CMT端子が削除(拡張ボードで増設可)。
文節変換が可能なN88-日本語BASICを標準添付。日本語BASICでは128KBの増設RAM領域が使われ、BASICの高速化が図られた。
[12]
1986 11 PC-8801FH model 10 98,000 FRに4/8MHzモード切り替え追加、ディップスイッチ廃止、大型キーボード採用。メイン基板がFH/MHと共通化。
4か月後にブラックカラーのmodel 30(B)を発売。
[13]
model 20 138,000 [14]
model 30 168,000 [15]
PC-8801MH 208,000 MRに4/8MHzモード切り替え追加、ディップスイッチ廃止、大型キーボード採用、2HDドライブ2基搭載。 [16]
1987 3 PC-88VA 298,000 16ビット機。V2モードからさらにグラフィック機能やメモリを拡張したV3モード、独自OSのPC-Engine添付、2HDドライブ搭載(V3モードではDMA転送)。 [17]
10 PC-8801FA 168,000 FHにサウンドボード2相当機能(YAMAHA YM2608:OPNA)搭載、メモリウエイトのOFFが可能。
この機種以降、全シリーズでCMT端子が削除(拡張ボードで増設可)、デジタルRGB端子削除、かつドライブ2基搭載モデルのみ発売。
[18]
PC-8801MA 198,000 MHにサウンドボード2相当機能・512KBの辞書ROM搭載、メモリウエイトのOFFが可能、2HDドライブ搭載。 [19]
1988 3 PC-88VA2 298,000 VAの88互換性の改善、サウンドボード2相当機能搭載、2HDドライブ搭載。 [20]
PC-88VA3 398,000 VAの88互換性の改善、サウンドボード2相当機能搭載、2HDドライブに加え、3.5インチ2TDドライブを搭載。 [21]
10 PC-8801FE 129,000 FHの廉価版、TVへの出力が可能、モードスイッチ・拡張スロット廃止、サウンドボード2オプション、ディスクBASIC非添付。8MHzHモード追加。 [22]
PC-8801MA2 168,000 MAの後継機、モードスイッチ廃止、2HDドライブ搭載。この機種以降、MシリーズもデジタルRGB端子削除。 [23]
1989 10 PC-8801FE2 119,000 FEの後継機、MCと同様に8MHzの高速化モードを追加。 [24]
11 PC-8801MC model 1 169,000 88シリーズ唯一のCD-ROMドライブ搭載(model 1はオプション)の縦置き専用筐体。
MA相当の仕様に加え8MHzHモードを追加、2HDドライブ搭載。

PC-8801FA/MA以降電源ケーブルが直付けであったがMCは脱着式。

[25]
model 2 199,000 [26]
(その他・88機能を持つ他シリーズ)
1989 6 PC-98DO 298,000 モードスイッチにより98と88の切り替えが可能。88モードはMH程度の性能。88用拡張ボード使用不可。 [27]
1990 10 PC-98DO+ 278,000 モードスイッチにより98と88の切り替えが可能。88モードはMA程度の性能。88用拡張ボード使用不可。
アタリ規格のマウスジョイスティックはオプションのマウス変換コネクタ(PC-98DO/P-11)を装着することで使用可能。
[28]

周辺機器

PC-8800シリーズには、主にNECから多くの周辺機器が発売されていた。また、PC-8000シリーズPC-6000シリーズ、PC-9800シリーズの一部周辺機器も、接続端子が同じだったため買い替えることなくそのまま流用という形で接続して使用できた。

型名 商品名 機能の詳細説明
PC-8801-01/01K 漢字ROMボード PC-8801本体内に実装することにより、JIS第一水準の漢字2965文字と非漢字約700種が使用できる。
PC-8801-02/02N 増設RAMボード 128KBの増設RAMを搭載。NEC標準バンク増設方式(4バンク×32KB)。
PC-8801-07 固定ディスクインタフェースボード 5インチ固定ディスクユニット(ハードディスク)接続用インタフェース搭載。SR以降の機種はV1Sモード(クロック周波数4MHz)のみ使用可能。
PC-8801-10 ミュージックインタフェースボード MIDIインタフェースとPSG×2を搭載。BASICの拡張命令で最大8オクターブ6重和音の演奏が可能。
PC-8801-11 サウンドボード FM音源(YAMAHA YM2203:OPN)搭載。PC-8801/mkII本体に実装することにより、SRと同じFM音源が使用できる。PC-8801-23/24との併用不可。
PC-8801-12 モデムボード 全二重通信300bpsモデムボード。搭載することでTR相当の機能を実現。通信は添付のシステムプログラムを使用。
PC-8801-16 16ビットカード μPD8086i8086互換)8MHz及び128KB RAMと16ビットカード用に4KB・PC-8801用に8KBのブートROMを搭載。
別売のMS-DOS Ver1.25(PS88-111)が使用可能(PC-9800シリーズのMS-DOSアプリケーションは使用不可)。
PC-8801-17 ビデオアートボード 本体の表示系とは別に320×200ドット・65536色表示が可能。また、ビデオ入力とのスーパーインポーズ、ビデオ出力による表示画面の録画が可能。
PC-8801-18 ビデオデジタイズユニット PC-8801-17に接続することで、ビデオ画像をデジタイズしてパソコン画面に取り込むことが可能。
PC-8801-21 CMTインタフェースボード CMT接続用。CMT用ケーブル(PC-8093相当)が添付。
PC-8801-23 サウンドボード2 PC-8801/mkII/SR/TR/FR/MR用。汎用拡張スロットタイプ。PC-8801-11との併用不可。
PC-8801-24 サウンドボード2 PC-8801FH/MH用。専用スロット(本体内コネクタ)に装着することで内蔵音源と置き換わる。PC-8801-11との併用不可。
PC-8801-25 サウンドボード2 PC-8801FE/FE2用。専用スロット(本体内コネクタ)に装着することで内蔵音源と置き換わる。
PC-8821 18ピン・ドットマトリックスプリンタ 18ピンヘッドにより、高印字品質が得られる。また、PC-8821-02漢字ROMボード(格納されているフォントは16x16ドット[31])を実装することにより、高速かつ鮮明な漢字プリントが行える。
PC-8822 PC-8821に漢字ROMボードを標準搭載したもの。
PC-8826 カラープロッタプリンタ 米沢日本電気(現・NECパーソナルコンピュータ米沢事業場)製[32]ボールペンサインペン)記録方式、4色(黒・青・赤・緑)、80字/行、有効作画範囲 横199mm 縦277mm(10インチスプロケット孔付ロール紙使用時)、横180mm 縦237mm(カット紙、OHPシート使用時)、本体148,000円[33]。PC-8826-P3 スプロケット孔付ロール紙1,200円、PC-8826-UM ユーザーズマニュアルが1,500円[34]。漢字ボード、RS-232Cインタフェース、GP-IBインタフェースがオプションで用意された[35]
PC-8834-2W PC-8031-2W用N88DISK-BASICシステムディスク N88DISK-BASICをスタートさせるための両面倍密度システムディスクと未使用のフロッピィディスクの2枚組。
PC-8851 14インチ・モノクロ専用高解像度ディスプレイ 640×400ドットの専用高解像度モノクロディスプレイブラウン管を利用。重量10Kg[36]
PC-8853 14インチ・カラー専用高解像度ディスプレイ 640×400ドットの専用高解像度カラーディスプレイ。ブラウン管を利用。ドットピッチ0.31mm。215,000円。重量13.5Kg[36][37]
PC-8853K 14インチ・カラー専用高解像度ディスプレイ 640×400ドットの専用高解像度カラーディスプレイ。ブラウン管を利用。ドットピッチ0.31mm。168,000円。重量13.5Kg[38][39]
PC-8853N 14インチ・カラー専用高解像度ディスプレイ 640×400ドットの専用高解像度カラーディスプレイ。ブラウン管を利用。ドットピッチ0.31mm。168,000円。重量13.0Kg[40]
PC-TV352 15インチカラーディスプレイテレビ 1986年発売、水平640(15.98/24.83KHz)×垂直200/400(61.4.62.4/55.4.56.4Hz)自動切換。ドットピッチ0.39mm。マルチシンク2モード対応[41]
PC-TV353 15インチカラーディスプレイテレビ 1988年発売、水平640(15.98/24.83KHz)×垂直200/400(61.4.62.4/55.4.56.4Hz)自動切換。ドットピッチ0.39mm。マルチシンク2モード対応[42]
PC-TV354 15インチカラーディスプレイテレビ 1989年発売、水平640(15.98/24.83KHz)×垂直200/400(61.4.62.4/55.4.56.4Hz)自動切換。ドットピッチ0.39mm。マルチシンク2モード対応[42]
PC-TV451 15インチカラーディスプレイテレビ 1985年発売、水平640(15 - 17KHz/22 - 26KHz/29 - 34KHz)×垂直200/400(55 - 80Hz)自動切換。ドットピッチ0.31mm。マルチシンク3モード対応[43]
PC-TV452 15インチカラーディスプレイテレビ 1986年発売、水平640(15 - 17KHz/22 - 26KHz/29 - 34KHz)×垂直200/400(55 - 80Hz)自動切換。ドットピッチ0.39mm。マルチシンク3モード対応[41]
PC-TV453 15インチカラーディスプレイテレビ 1986年発売、水平640(15 - 17KHz/22 - 26KHz/29 - 34KHz)×垂直200/400(55 - 80Hz)自動切換。ドットピッチ0.35mm。マルチシンク3モード対応[44]
PC-TV454 15インチカラーディスプレイテレビ 1989年発売、水平640(15 - 17KHz/22 - 26KHz/29 - 34KHz)×垂直200/400(55 - 100Hz)自動切換。ドットピッチ0.35mm。マルチシンク3モード対応[45]
PC-TV455 15インチカラーディスプレイテレビ 1989年発売、水平640(15 - 17KHz/22 - 26KHz/29 - 34KHz)×垂直200/400(55 - 100Hz)自動切換。ドットピッチ0.31mm。マルチシンク3モード対応[46]
PC-8881 8インチ標準フロッピィディスクユニット 2台の8インチ薄型ドライブを実装した標準フロッピィディスクユニット。1/2台目として使用する。インタフェースボードPC-8881 FDC8が付属。
PC-8882 8インチ標準フロッピィディスクユニット(増設用) 2台の8インチ薄型ドライブを実装した増設用標準フロッピィディスクユニット。3/4台目として使用する。
PC-8886 8インチフロッピィディスク 未使用の8インチフロッピィディスクが10枚入っている。

エピソード

PC-8801は日本のロケットに深く関係している。主に、衛星追跡所などで近年[いつ?]まで使用され、打ち上げのロケット追尾から人工衛星の分離などの監視には欠くことのできない存在でもあった。故障率が判りにくくなおかつ故障箇所が見つけにくい最新のハイテクより、安定期に入ったローテクの方が良しとされたようである。

2007年(平成19年)1月に発売されたニンテンドーDS向けゲームソフト『世界樹の迷宮』では、前述の「イースシリーズ」『ソーサリアン』などで楽曲を提供していた古代祐三が、PC-8801FHからサンプラーで録音し、楽曲の中に組み入れる「サンプリング」という技法で録音されたFM音源の音色を中心に据えた楽曲を提供している。

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 1989年(平成元年)10月に開催された「PC-9800シリーズ新商品説明会」に於ける「PC-9800シリーズ、PC-8800シリーズの合計で341万台というのがこの9月までの実績でございます。(中略)このうちPC-9800シリーズは約245万台で」(関本忠弘日本電気社長:当時)の発言による[7]
  2. ^ 現在では「デジタルRGB」とはおおむねDVIをはじめとする信号がデジタル化されたディスプレイ接続のことを示す。
  3. ^ MAGICAL-DOSやC-DOS等。
  4. ^ システムソフトのSeeNaなど。
  5. ^ PC-8801mkIIで追加された「タートルグラフィック拡張命令」と呼ばれるBASICの拡張ステートメント(命令)。「CMD TURTLE」「CMD SING」「CMD CLS」「CMD TEXT ON/OFF」等がある。
  6. ^ アナログパレット機能やサウンド機能をBASICで使用する場合、BASICのモードを切り替えた後、「NEW CMD」文を実行する事で拡張命令(CMDで始まる拡張ステートメント)が使用可能となる。
  7. ^ コネクタはD-Sub15ピン。
  8. ^ PC-8801mkII対応版『テグザー』(通称:テグザー88)や『太陽の神殿』、『アルファ』、『PRODUCE』、『ロマンシア』等。
  9. ^ 当時、PC-9800シリーズでは2HD/2DD両用FDDはPC-9801VM(1985年7月発売)と、ハイレゾ専用のPC-98XA(1985年5月発売)に搭載。PC-9801F/VF/Uは2DD専用、PC-9801Mは2HD専用。両用3.5インチFDDのUVは未発売(1986年5月発売)。
  10. ^ メインメモリのウェイトのため実質6MHz程度。
  11. ^ サウンドボード(型番:PC-8801-11)と同じアドレスのため、PC-8801-11との併用不可。
  12. ^ サウンドボード2は専用スロットが設置され、専用オプションが用意された。
  13. ^ 『ドラゴンスレイヤー英雄伝説』、『ドラゴンスレイヤー英雄伝説II』、『ぽっぷるメイル』等。
  14. ^ テキスト画面の仕様の差異などの理由もあり、一部のソフトウェアは対応外となっている。
  15. ^ マイクロキャビンの『Xak』、『XakII』、『Xak -ガゼルの塔-』、『幻影都市』、『FRAY』等。
  16. ^ 製品カタログには「PC-8801MA2の機能をベース」と記述されているが、実際はサウンドボード2機能を搭載していないため、PC-8801MH相当の仕様だった。
  17. ^ サウンドボード2、CD-ROMインタフェースなど。

出典

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  46. ^ 型 名:PC-TV455”. support.nec-lavie.jp. 2023年10月16日閲覧。

参考文献

  • 佐々木潤『80年代マイコン大百科』総合科学出版、2013年7月25日。ISBN 978-4-88181-832-9 
  • 浅野泰之、壁谷正洋、金磯善博、桑野雅彦「第3章ディスク装置」『PC-9801システム解析(下)』アスキー出版局〈アスキー・テクニカル・バンク〉、1983年12月1日。doi:10.11501/12628450ISBN 4-87148-715-6 
  • ASCII 1983年1月号』第7巻第1号、株式会社アスキー出版、1983年1月1日。 
  • 「ASCII 1983年5月号」第7巻第5号、株式会社アスキー出版、1983年5月1日。 
  • 『ASCII 1983年6月号』第7巻第6号、株式会社アスキー出版、1983年6月1日。 
  • 『ASCII 1983年11月号』第7巻第11号、株式会社アスキー出版、1983年11月1日。 

外部リンク


PCエンジン

(PC Engine から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/28 01:26 UTC 版)

PCエンジン
TurboGrafx-16
PCエンジン
メーカー ハドソン(開発)
NECホームエレクトロニクス(開発・販売)
種別 据置型ゲーム機
世代 第4世代
発売日 1987年10月30日
1989年8月29日
1989年11月22日
1989年
1990年
CPU HuC6280
MOS 6502ベース)
GPU HuC6260 + HuC6270
対応メディア HuCARD
CD-ROM2
SUPER CD-ROM2
アーケードカード
対応ストレージ 天の声2
バックアップブースター
バックアップブースターII
天の声BANK
メモリーベース128
コントローラ入力 ケーブル
売上台数 PCエンジンシリーズ
584万台[注 1]
764万台[注 2]
最高売上ソフト PC原人/70万本
互換ハードウェア PCエンジンコアグラフィックス
PCエンジンスーパーグラフィックス
PCエンジンDuo
PCエンジンGT
次世代ハードウェア PC-FX
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PCエンジンPC Engine)は、ハドソン日本電気ホームエレクトロニクス(NECホームエレクトロニクス、以下NEC-HE)により共同開発され、1987年10月30日[4]にNEC HEから発売されたHE-SYSTEM規格に基づく家庭用ゲーム機。当時のメーカー希望小売価格は24,800円。

北米市場ではTurboGrafx-16(ターボグラフィックス16)の商品名で発売され、NECの米国法人から販売された。HE-SYSTEMの北米仕様であり、HE-SYSTEMのロゴだけは使用している。

発売当初はファミリーコンピュータやセガ・マークIIIと競合し、後にスーパーファミコンメガドライブとも競合した。トップシェアを占めることはなかったが、世界累計販売台数764万台を記録している[1]

歴史

日本国内展開

任天堂ファミリーコンピュータが発売され数年が経過し、ハドソン社内におけるより高性能のハードウェアを望む声があった。同時期に日本電気(NEC)社内において計画されていたCD-ROM機開発の思惑と合致したため、ハドソンとNEC-HEとの共同開発が始まった[注 3]

1988年11月にはCD-ROM2が発売された[5]

1989年末にはテレビへの出力端子を従来のRF端子からAV端子に変更して色はダークグレーになり、コントローラーのI・IIボタンに連射機能が搭載されたものに変わったPCエンジンコアグラフィックス、拡張バスを削除してCD-ROM2や天の声などは繋げなくHuカードのみ専用にした廉価版[6]PCエンジンシャトル、Hu6270を2個に増量しVRAMを2倍、メインメモリを4倍に強化したPCエンジンスーパーグラフィックス、本体の拡張バスから繋ぎPCエンジンを使って画面に絵を描け、アーティストツールで印刷をすることも可能なプリント&イラストブースタという4種類のハードを発売している。

1991年6月にコアグラフィックスと性能は同じだが、価格を5,000円ダウンさせたコアグラフィックスIIが19,800円で発売された。同年12月にはSUPER CD-ROM2を発売している。

1992年3月にはCD-ROM2が100万台を突破し、ソフト供給はCD-ROM中心になり[7]、本体もPCエンジンDuoシリーズが主力になっていったが、HuカードもコンパクトサイズハードであるPCエンジンGTPCエンジンLTなどの存在もあり、供給を継続していた。国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていたとする調査結果が雑誌に掲載された[8]

1994年春にはアーケードカードが発売、RAMは18 Mbitへ増強された。同年末にはPCエンジンの次世代機PC-FXが発売されたが、それ以降もPCエンジンの市場は1999年まで継続した[6]

日本国外展開

TurboGrafx-16
CD-ROMユニットを接続したTurboGrafx-16
HuCARD変換アダプタ

北米ではNECホームエレクトロニクスの現地法人により「Turbografx-16」の名称で1989年5月23日に発表、同年8月29日にニューヨークロサンゼルスでテスト販売が開始された。価格はTurboPad1個とTurboChip(HuCARDの海外名称)のソフト『Keith Courage in Alpha Zones魔神英雄伝ワタル)』が付属して$199.99。一方でメガドライブの北米版である「Sega Genesis」も二週間前にテスト販売を開始しており、ほぼ同時に市場投入される形になった。日本のCD-ROM2に該当する「Turbografx-CD」も同年12月に$399.99で発売された。CD-ROMドライブとインターフェースユニットのセットでバンドルソフトはなかった。

1992年4月より、取り扱いがNECテクノロジー社とハドソンの共同出資であるターボ・テクノロジー社に変更され、そのキャンペーンとして発売予定のTurboDuo(価格$299.99)に250ドル相当の特典(『イースI・II』『PC原人』『PC原人2』『ゲート オブ サンダー』『ダンジョンエクスプローラー』、専門誌『TURBO FORCE』[注 4]、$5×10枚のソフト購入割引クーポン)を添付させる「Add $250 Value」を実施。また1992年のサマーCESに合わせてTurboGrafx-16の本体価格が$69.99、Turbografx-CDの価格が$149.99にそれぞれに引き下げられた。TurboDuo発売後、既存のTurboGrafx-CDユーザ向けにスーパーシステムカードと3-in-1 CD(Bonk's Adventure、Bonk's Revenge、Gate of Thunder)と$5×10枚のソフト購入割引クーポンをセットにしたバリューパックが$95で販売された。ちなみに旧来のシステムカードは起動画面がTurboGrafx-CDのロゴになっていたが、スーパーシステムカードは国内版と同じ「SUPER CD-ROM2 SYSTEM」の起動ロゴになっている。

TurboGrafx-16は参入業者が少なかったために、販売面で苦労した。またCD-ROM2にあたるTurboGrafx-CD(HES-CDR-01 TurboGrafx-16と同時発売)やPCエンジンGTと同機能のTurboExpress(HES-EXP-01 1990年11月発売)、PCエンジンDuoと同機能のTurboDuo(HES-DUO-01 1992年10月発売)なども発売された。これらは日本ではCD-ROMのゲーム環境としてヒットしたがTurboGrafx-CD関連は1993年中には市場からほぼ淘汰された。晩年は慢性的なソフト不足を補うため国内向けのソフトを輸入販売し、PCエンジンのHuCARDのピンアサインをTurboGrafx-16向けに変換するアダプタも非公式に流通した[注 5]

また、北米においてはTurboGrafx-16を業務用ゲーム機として展開する計画も立てられていたが、こちらは業務用ゲーム機のメーカーの反発や、NECホームエレクトロニクスの北米法人内で業務用ゲーム機業界に詳しい者がいないことなどが原因で頓挫した[9]

欧州市場ではフランスを除いて正式販売は行われなかった。フランス版HE-SYSTEMは、当時日本で販売されていた本体をRGB仕様に改造したのみで、本体の形状や商品名称などは日本と同様PC Engineとなっていた。イギリスではNTSC出力のままの米国モデルがTelegames社より極少数販売された実績がある。

アジア市場では大韓民国でも発売され、韓国版HE-SYSTEMは、大宇電子がZemmix PC Shuttle(CPG-100)としてZemmixのラインナップの一部でPCエンジンシャトルを輸入し、その後はPCエンジンシャトル自体が生産を終了したということもあり、ヘテ電子からも『スーパーコン バイスター』の名称でハドソンとの共同開発によるオリジナルの本体で発売されていた(こちらもHE-SYSTEMのロゴだけは使用していた)。ただ、NEC-HEは一切関与していなかった。ソフトのラインナップは、基本的に日本や北米からHuカードのみを輸入し、パッケージを独自に製作したものだった。そのため、コナミのタイトル全般や、ドラえもんのゲームなど、北米で発売されていないタイトルも含まれていた。

なおTurboGrafx-16は本体の大きさが国内版に比べ横幅が倍になっているが、これは本体が小さくて価格が高いと割高感が出て敬遠されるというアメリカの消費者心理を考慮したためである。またCD-ROMユニットは本体後部に接続する形式を取っているが、CD-ROMユニットの大きさは国内版と同じのため、組み合わせると、さらに特異な形状(真上から見ると『凸』型)となる。

またTurboGrafx-16の名称はPCエンジンは画像処理周りなど一部の処理を16ビットで行っていたため、Sega Genesis(北米版メガドライブ)及びSuper Nintendo Entertainment System(北米版スーパーファミコン)が搭載していた16ビットCPUの話題性に対抗する意味でつけられた。

ハードウェア

開発経緯

チップの開発

当時、ハドソンの目指す高度な表現に対してファミコンやパソコンの「性能の限界が見えてきた」という状況に直面していた。この問題に対して「自分たちが欲しいものを自分たちの手で作り上げる」という目的でハドソン社長の工藤浩をはじめとしたハドソン技術者たちが動き出した(ハドソンはシステム開発も行っており、また半導体技術者も擁していた)。ハドソン技術者の山村喜美夫は「ハードを作るという発想ではなく、ソフトを作る発想で開発が始まったんです。ハードメーカーがハードを作ってくれないなら、性能を上げるためのチップを作ってみようということになったわけです。最初から新しいハードを作ろうとしていたわけではなく、あくまでチップの開発だったんです」と語っている。

この時点ではビジネスのことは考えておらず、単純に「自分たちの夢を追いかけただけ」である。

しかし、半導体メーカーではないハドソン単体ではチップを作ることができない。開発者(岡田節男・山村喜美夫、他1名)が仕様書を書き、半導体メーカーに持ち込んでも「北海道から来た訳のわからない会社」では信用されない。NECを含む国内の主な半導体メーカーには断られた[注 6]

最後に訪問したセイコーエプソン(以下エプソン)で、ようやく工藤の話をまともに聞いてくれた。ここで工藤は「別に売るつもりはないから、とにかく一個作ってほしいんだ」「自分の机にファミコンより性能のいいゲーム機があればいいんです」という話をしている。対するエプソン担当者が開発には相当な額がかかると言うと、工藤は「お金はいくらでも用意します。何なら、いまここに積みますから」と返した。この時点で相手もあきれていたと後に工藤は言っている。

こうしてチップの開発はスタートした。ハドソン、エプソン双方のメンバーがほぼ同年代で、細かい点ではよく話し合って決めた部分もあるので山村は「一緒に作ったという感覚が強い」と証言している。そして完成したのが『Hu-7』(工藤の証言より。山村の証言ではHu6270と呼んでいる)と呼ばれるチップである(山村はHu6270の開発スタートが1985年春、Hu6270の完成のめどがつき、次の段階に進んだのが1985年末から1986年初め頃と証言している)。費用は2億円、数量として「1000個だか10000個だか(工藤の証言より)」が作られた。

(出典[6][11]

ゲーム機の開発

完成したHu-7(Hu6270)の画像処理能力はファミコンのCPUを上回る性能を見せ、独自の新ハードの野望を抱かせるようになった。

ハドソンは、これをまずシャープに持ち込んだ(「思ったよりもいいものができたというか、画像の処理能力なんかファミコンのCPUよりも数段いい。これを使って何かできるんじゃないかと思って、とりあえずパソコンの関係でおつき合いのあったシャープさんにそれを見せたわけです。そうしたら『これは商売になる!』というんで話が一気に盛り上がって…」と工藤は証言している)。結局シャープとは話がまとまらなかった。任天堂と協力関係にあり、それがネックになったといわれている。

次に工藤が向かったのがNECである。ここで幸運なことに「ちょうどゲーム機を作りたいと思っていたんだ」という対応を受け、話がスムーズに進んでいった。

一方のNECも任天堂のファミコンの急速な普及に触発され、1983年末頃から後藤富雄を中心とした若手社員により、社内で「パソコン以外の何か」を作るための議論が続いていた。1985年に「記録メディアにCD-ROMを使ったゲーム機」という結果となった[12]。目標価格を10万円以下に設定したが、ゲーム機用の安価なチップ(CPU)を内製化する設計力がNECには当時無かった。そのため計画が頓挫していた。NECの多部田俊雄も当時から家庭用のCD-ROMの企画書を提出していたが価格の問題があり却下されていた[13]

工藤が完成品のチップと一緒にNECを訪問したのはちょうどその頃で「PC-8801の後継機としてCD-ROMを搭載したマシンを作りたいNEC」と「スプライトに強いチップを売り込みたいハドソン」という二者の利害が一致した[14]

その後チップの開発とツール開発が同時進行して、チップはエプソン、製品化はNEC、Huカードは当時の三菱樹脂とハドソンが共同開発することでPCエンジンは誕生した。

(出典[6][15]

CD-ROM2の開発

上記の通りNECからハドソンにもたらされたCD-ROM機開発計画であるが、PCエンジン発売後1年でCD-ROM2本体として発売されることになった。当時パソコン用のCD-ROMドライブは本体接続用のインターフェースと合わせて25万円もしていたが、価格を5万7800円に落とすことで、家庭用ゲームへの採用を可能にした[16]。搭載されたRAMの容量はメイン64KB、ADPCM用64KBだった。このため大きなデータを一度に取り込めず、凝った演出を行うために頻繁なロードが必要だったが、この問題点は後にスーパーCDROM2、アーケードカードへとRAM容量が拡張されることで解決していった。

シークに片道で3秒、往復で最大6秒かかるため、複数のファイルをバラバラに読ませる、読み取り時にエラーが発生するなどの状況下では実用性に問題が出るほど時間がかかった[17][18]。ゲームの進行などで一部のデータだけが変更される事象が起こった場合、差分をバラバラに読むのではなく「それらをひとまとめにしたファイルを進行毎に用意してシークをなるべくさせないで一度に読み込む」方式を採用した[17]。データの二重保存と合わせてCD-ROM内でデータトラックが占める割合が大幅に増すことになったが、CD-ROM自体が大容量であったのでこのような対処が可能であった。

CD-ROM2の発売以前、ハドソンの朝礼の時に中本伸一がCDを持ってきて「お前ら、この中にゲームが入るから」と発言したがハドソンの他の開発者たちは当時「CD=音楽CD」という知識しか無く、中本が何を言っているのか分からなかったという[6]。このようにハドソン社内でも具体的な形になるまでは開発情報の公開に制限がかかっていたという話がある。

システムカードがバージョン2.0以降の物からはCD-G (CDグラフィック)に対応する様になり、カラオケ用の再生プレーヤーとしても利用が可能となった。

コア構想

PCエンジンは「コア構想」という拡張思想を持ち、パーソナルコンピュータのようにコア(核)の役割を持たせ、様々な周辺機器を接続することでゲーム以外にも対応させる。いわば周辺機器のエンジンに見立たものであり「PCエンジン」の命名はここが由来である。そのためDUO系統を除く本体にはゲーム機としては最小限の機能しか無く、他社ゲーム機では標準装備もしくはカートリッジに内蔵されるような機能も別売りの周辺機器で補完していく必要があった。

構想の要であった拡張バスは初代PCエンジンから始まり、コアグラフィックス系統などの本体後部に標準装備[注 7]されており、周辺機器の接続は主にこれを使う。多くの周辺機器が発売されたが、拡張バスを用いる機器は排他仕様であり、またLTやスーパーグラフィックスなどハードの形状が統一されておらず接続できない代物もあった。この問題を解決するために「周辺機器を接続するための周辺機器」も発売された。拡張バスは機能を追加するものであったが、性能を向上するためのものではなかったためPCエンジンをスーパーグラフィックス相当にする周辺機器は発売されず、専用ソフトをプレイするにはスーパーグラフィックス自体を別途購入する必要があった。

PCエンジン専門誌の一つ「マル勝PCエンジン」でも1989年10月号の116頁では天の声2をAV出力へ対応させるための改造記事を掲載したり、PCエンジンSGについて1989年12月でに記事を組んだものの19頁で「みんな自分のマシンが旧機種になってしまうという不安を感じているようだ。しかし価格設定や販売方針を考えると、この新機種が主流になることはまずないと言ってよさそうだ」と記載しており、ユーザーへの余計な出費をさせないような配慮も行っている。

HE-SYSTEM

NEC-HEとハドソンによって提唱された規格ライセンス商品の証明としてPCエンジンに関連する本体とソフトウェアには必ずロゴが記載されている。なお、「HE-SYSTEM」(エイチイーシステム)の「HE」はHome Entertainmentの略であり、『ホーム・エンターテイメント・システム』という意味である。

そのPCエンジンのブランドロゴはNECが販売する日本国内向けのHE-SYSTEMのハードで用いられているため、他社製品のレーザーアクティブに関しては、NECからもOEM供給することによってPCエンジンのロゴを使用できたのに対し、X1twinに関しては、NECの製品ではないが、ハドソンが開発に関与しているため、HE-SYSTEMのロゴだけを使用しており、PCエンジンのロゴは一切使用していない。

CD-ROM2用のディスクをCDプレーヤーで再生した時の警告音声に関しては、標準メッセージからではあるが、「HE-SYSTEMのCD-ROMディスクです」と言っており、PCエンジンの名称は一言も発していない。これは、登場キャラクターが担当するタイトルも同様の措置である。

ソフトウェア媒体と規格

PCエンジンは時期によりパソコンのように拡張を繰り返し、1つのハードに2つの媒体で計5つの規格のソフトが流通した[注 8]

HuCARDのパッケージはCDアルバムの様な大きさ、太さのケースに収納されていて、ケースの背面にはメーカーシールのみのソフトも多数あり、どのようなゲームなのかが確認し難い要素があった。

バックアップ機能

Huカードにはバックアップ機能がなかったため、初期のソフトはゲーム再開時にパスワードを手動で入力する必要があった。

やがて天の声2やバックアップブースターなど周辺機器が発売されるとセーブデータ・バックアップが可能になった。1つで複数のソフトに対応する必要からファミコンなどのカートリッジ内蔵式のものよりは容量が大きい。CD-ROM2が発売されると本体の機能として統合された。DUOの登場で拡張バスが廃止され、またゲームのデータの肥大化に伴いHuCARDスロットやコントローラーポートで接続する機器も発売された。

コントロールパッド

標準パッドは見た目を変えているものの、ボタンの配置と大きさはファミコンのIコンと同等のものとなっている。十字ボタンのみ形状が変更されており、ボタン類は名称が異なるものの、「START→RUN」「A/Bボタン→I/IIボタン」と位置関係上それぞれ対応している。PCエンジンコアグラフィックス以降の機種ではそれぞれ色調を合わせた連射パッドが標準装備されている。その後ボタン数(3/6ボタン仕様)を変えたものが発売されている。

また「RUNボタン」を押しながら「SELECTボタン」を押すことでリセットをかける機能が基本的にソフト側に搭載されている(『妖怪道中記』など、サードパーティー製のソフトでは例外的に「SELECT」→「RUN」でもリセットを行える場合がある)。この操作はマルチタップ経由でも可能なので、1プレイヤーのみが可能な機能には留まらない。

パッドは脱着式だが本体にはコントローラー端子が1つしか無く、2人以上の同時プレイには別売りのマルチタップを購入し、端子を増設する必要がある。マルチタップは5人用の他に、3人用・2人用等、ゲームの用途に合わせて発売されている[注 9]

仕様

CPU HuC6280A
VDC HuC6270
VCE HuC6260A
CPU:HuC6280(音源内蔵)
クロック:1.79MHz/7.16MHz (ソフトウェアで選択可能)
ファミリーコンピュータやコモドール社のパソコン等に搭載されたMOS 6502互換CPUに、独自に命令を追加したカスタムCPUを採用。クロック周波数は7.16MHzで、1.79MHzのファミリーコンピュータに対して4倍の動作周波数を実現[19]
  • 音源部:波形メモリ6音または波形メモリ4音+ノイズ2音(1周期32アドレス波形メモリ方式、LFO内蔵)。Ch.0とCh.1はLFOで合成させてFM音源のような変調音を作ることが可能。
波形メモリを使わずにCPUで直接値を書き換えて出力するDirect D/Aモード有り。タイマー割り込みで同期を取ってストリーミングさせることでサンプリング周波数7kHz相当の5bitPCM音声が再生可能。ただしサンプリングの発音数が多くなるにつれそれ相応のCPU負荷が生ずる[注 10]。またサンプリングを使用時は発音数に応じて波形メモリ側の音数は間引かれる。※例 サンプリング3音を使用の場合は残り3音で波形メモリやノイズを発声する。[注 11]
VDC (Video Display Controller):HuC6270
VCE (Video Color Encoder) :HuC6260
CPU・VDC・VCEの詳細HuC62を参照。
メモリ
RAMには高速なSRAMを使用[19]
表示解像度(単位は画素
  • 256×240
  • 320×240(N/A)
  • 336×240
  • 512×240[注 13]
TV の表示範囲に入るのは 224 ライン程。横方向の画素数は256、336、512の3種類から任意で切り替え可能。
VDC(HuC6270)に16ビットのレジスタがあり、横512の座標も問題なく扱える。
画素単位で制作したグラフィックを横512画素で表示するにはVRAMの容量が不足するが、BG画面(後述)を使うことで表示可能。[注 14]
縦スクロールシューティングなどでは、256×240ドットの解像度を336×240ドットの画面モードで表示することで、アーケードゲームの縦画面に似せるモードが設けられたものもあった。
画面発色数
512色中最大481色[注 15] ※最大512色同時表示や最大112色の同時表示が可能という事実と違う広告も多数あった。[20][21]
RGB各3ビットの512色からBGとスプライトでそれぞれ256色をエントリ可能。
スプライト:(256色中15色+透明色のパレット)×16スロット[22]
BG:(256色中15色+共通色のパレット)×16スロット
NTSC信号出力の際に、カラーバースト信号を切ってモノクロ表示にすることが可能。
スプライト
  • 最大64個(1個のスプライトサイズは16×16から最大32×64 カラー指定512色中15色+透明色)
  • 横方向へ16×16のサイズを最大16個(横320ドットモード時は14個に制限される。[注 16]
バックグラウンド(BG画面)
1画面(1キャラクタ8×8画素固定で最大2048個定義 カラー指定512色中16色 ただし内1色はBGパレット内で共通色となる)。この仕様により多重スクロールは苦手である。そのため背景の一部をスプライトにする・バックグラウンドのキャラクタを複数用意してアニメーションさせる、横方向ではそれに加えラスタースクロールを併用することで対応している。なお、これらは他のゲーム機でも使われるテクニックである。

バリエーション

コア構想に基づき多くの本体・周辺機器が発売された。

NEC製

型番 名称 発売日 拡張バス 備考
PI-TG001 PCエンジン 1987年10月30日 初代機。この機種のみ映像出力がRF端子となっている。
PC-KD863G PC-KD863G 1988年9月27日 PCエンジンをCRTディスプレイに内蔵させたもの。RGB接続により画面が鮮明に映る。そのためゲーム雑誌では画面撮影の用途に使われたという。発売当時の価格は138,000円。
PI-TG2 PCエンジンシャトル 1989年11月22日 [注 17] 拡張バスを省いた廉価版。
PI-TG3 PCエンジンコアグラフィックス 1989年12月8日 初代PCエンジンのモデルチェンジ版。映像出力をRF信号からコンポジット映像信号にしたもの。
PI-TG4 PCエンジンスーパーグラフィックス グラフィックチップを2つ搭載して、表示能力を2倍にした上位機種。
PI-TG6 PCエンジンGT 1990年12月1日 PCエンジンの携帯型ゲーム機
PI-TG7 PCエンジンコアグラフィックスII 1991年6月21日 コアグラフィックスのモデルチェンジ版。
PI-TG8 PCエンジンDuo 1991年9月21日 SUPER CD-ROM2本体との一体型。システムカードが内蔵され本体だけで起動する。CD蓋部のロック機構や専用バッテリー端子など独特の機能がある。CDグラフィックスの再生機能搭載
PI-TG9 PCエンジンLT 1991年12月13日 従来のPCエンジンと同様の筐体に、開閉式の液晶モニター、スピーカー、TVチューナー、コントローラー等を内蔵したもの。本体をCD-ROM²システムに着用可能。
PI-TG10 PCエンジンDuo-R 1993年3月25日 PCエンジンDuoの廉価版。ヘッドフォン端子やバッテリー端子等を省いた。
PCE-LD1 レーザーアクティブ 1993年12月1日 パイオニア製レーザーアクティブのOEM。
PCE-DUORX PCエンジンDuo-RX 1994年6月25日 Duo-Rのマイナーチェンジ版。CD-ROMドライブが改良されている。

他社製

型番 名称 発売日 拡張バス 備考
CZ-830C-BK X1 twin 1987年12月 PCエンジンをシャープが開発していたパソコンX1に内蔵させたもの。
CLD-A100 レーザーアクティブ 1993年8月20日 パイオニア製。
CPG-100 Zemmix PC Shuttle 1990年 不明 HE-SYSTEMの 韓国専売版にあたり、Zemmixブランドで発売された。

各ソフトの規格に対応する機器

標準クラスのプレイ環境の一例:
コアマシン + CD-ROM2 + 各種システムカード
標準クラスのプレイ環境の一例:
コアマシン + SUPER CD-ROM2
スーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2。アーケードカードがあればLD-ROM2以外の全ソフトのプレイが可能

一般に多く流通したソフトを遊ぶにはSUPER CD-ROM2が可動する環境があれば良いが、上記の通り本体および周辺機器共に多くのバリエーションが存在するため、システムの組み合わせパターンは数多い。分類すると下記のようになる。なお下記では、初代PCエンジン・PCエンジンコアグラフィックス・PCエンジンコアグラフィックスIIを合わせ「コアマシン」と称する。

  • 発売されたソフトの規格
    • 動作可能な本体、ハード、システムの組み合わせ
  • HuCARD
    • 全PCエンジンハード
  • HuCARD(PCエンジンスーパーグラフィックス専用)
    • PCエンジンスーパーグラフィックスのみ
  • CD-ROM2
    • コアマシン + CD-ROM2 + 各種システムカード
    • コアマシン + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM2 Adapter + CD-ROM2 + 各種システムカード
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンLT + SUPER ROM2 ADAPTER + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンDuo系列機(R・RXを含む。以下同様)
    • レーザーアクティブ+LDRom2パック
  • SUPER CD-ROM2
    • コアマシン + CD-ROM2 + システムカードVer.3.00(SUPER SYSTEM CARD) or アーケードカードPRO
    • コアマシン + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM2 Adapter + CD-ROM2 + システムカードVer.3.00(SUPER SYSTEM CARD)or アーケードカードPRO
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンLT + SUPER ROM2 ADAPTER + SUPER CD-ROM2
    • PCエンジンDuo系列機
    • レーザーアクティブ+LDRom2パック(パック内蔵のスーパーシステムカード機能の場合不具合が出るソフトが有るので、その場合スーパーシステムカードをHuカードスロットに挿すことで回避可能)
  • アーケードカード専用CD-ROM
    • コアマシン + CD-ROM2 + アーケードカードPRO
    • コアマシン + SUPER CD-ROM2 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
      • 以下も含め、SUPER CD-ROM2上(Duo系列機含む)でのアーケードカードPROの使用は公式にはサポート外
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + ROM2 Adapter + CD-ROM2 + アーケードカードPRO
    • PCエンジンスーパーグラフィックス + SUPER CD-ROM2 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
    • PCエンジンLT + SUPER ROM2 ADAPTER + SUPER CD-ROM2 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
    • PCエンジンDuo系列機 + アーケードカードDUO or アーケードカードPRO
    • レーザーアクティブ+LDRom2パック+ アーケードカードDUO or アーケードカードPRO

周辺機器

発売された本体が多岐にわたるため、それぞれの本体に対応する周辺機器は以下のページを参照すること。

CD-ROM

型番 名称 発売日 備考
CDR-30 CD-ROM2 1988年12月4日 PCエンジンのCD-ROMドライブ。
PI-CD1 SUPER CD-ROM2 1991年12月13日 上位規格のCD-ROM2システム。

セーブ用外部メモリ

型番 名称 発売日 備考
HC66-6 天の声2 1989年8月8日 拡張バスに接続するセーブ用外部メモリでハドソンが発売。内容保持に単3電池を使用するため電池が切れたらデータも消失する。本体通電中なら電池交換してもデータは保持される。AVブースターと併用はできないため初代PCエンジンよりも1989年12月8日に発売されたコアグラフィックス向きである。価格・流通量の多さにより利用者数はバックアップブースターより多い。名前の由来はハドソンのRPG『桃太郎伝説』のパスワードが「天の声」という名称だったことによる。
PI-AD7 バックアップブースター 1989年11月12日 天の声2とAVブースターの機能を併せ持つため、IFU-30と同様にRF出力しかない初代PCエンジンでAV出力とセーブ機能を両立できる。天の声2よりは高価だが、IFU-30に比べると機能を絞り込んだ分値段が安い。
PI-AD8 バックアップブースターII 1989年12月8日 バックアップ用電源がキャパシタ(コンデンサ)に変更され、本体使用中に充電されるようになった。同時発売のコアグラフィックスでの使用が前提でAVブースター機能を削除し価格も下げられた。
HC692 天の声BANK 1991年9月6日 HuCARD型のセーブ用外部メモリ。言わばPCエンジン用SRAMカード。それまでの外部記憶ユニットのセーブデータを4台分バックアップできる。バンク切り換え式でゲームタイトルごとの管理はできない。電池は内蔵リチウム電池で長寿命であったが交換不可能。隠し要素としてハドソンの人気ゲームのデータが初めから記録されていた。
PI-AD19 メモリーベース128 1993年3月 パッド端子に接続して使用するセーブ用外部メモリ。後期ソフトのセーブデータの肥大化に対応し容量は128KBと非常に大きいが、対応ソフト以外は使用不可能。コーエー発売の同機能の周辺機器「セーブくん」もある(『信長の野望・武将風雲録』・『三國志III』などの一部に同梱)。
対応ソフトのうち、『エメラルドドラゴン』・『リンダキューブ』・『プライベート・アイ・ドル』・『ぽっぷるメイル』の4本には本体のバックアップメモリとの間でセーブデータをコピーするなどの操作が出来る管理ユーティリティを内蔵。『エメラルドドラゴン』・『リンダキューブ』は共通のツールでデータの互換性があるが、『プライベート・アイ・ドル』と『ぽっぷるメイル』は両者との互換性はない。

映像/音声出力

型番 名称 発売日 備考
PAD-105 ACアダプタ 1987年10月30日
PAD-106 ACアダプタ
アンテナスイッチ 1987年10月30日 初代PCエンジンで使用可能。RF信号を出力するための機器。
PI-AD2 AVブースター 1988年4月8日 拡張バスに接続するコンポジット映像信号出力用の機器。初代PCエンジンでの使用が前提の商品。専用のDIN5ピンコネクタで本体と接続するコアグラフィックスと違い、汎用のAVケーブルをダイレクトに挿すことができる。
PI-AN2 AVケーブル 1989年11月22日 初代PCエンジン以外で使用可能なステレオAVケーブル。
PI-AN3 RFユニット AVブースターとは逆にコンポジット映像信号出力のマシンに使用し、RF信号を出力するための機器。
PI-AD20 バーチャルクッション 1992年12月18日 エアークッションにサブウーファーを内蔵。音声が出力されるとクッション内の空気が振動する機器。アンプ・エアークッション本体・カバーに分かれている。AVブースター等が付いたPCエンジンと直接接続するのは困難で、TV側の外部出力端子から接続されるのが一般的。発想は先進的だが本体価格が高く、長期間使用するとエアークッションの空気が漏れる・接触不良で音声や振動が出ない等の影響か普及には至らなかった。
CA-54 PCエンジンコネクターケーブル NEC製テレビ専用の接続ケーブル。一部のNECのTVに「PCエンジン端子」があり、ケーブル一本で映像/音声の入力・電源供給が可能。

パッド関連

型番 名称 発売日 備考
PI-PD001 PCエンジンパッド 1987年10月30日 初代PCエンジンに同梱されていたパッド。
PI-PD002
PI-PD06
PI-PD8
ターボパッド PI-PD001に連射機能を付けたもの。
PI-PD003 マルチタップ パッドを5つまで接続できる純正機器。本体のみではパッドを1つしか接続できなかった弱点が逆に普及を促し、ファミコン以上に多人数同時プレイソフトを登場させることとなった。2人用や4人用のサードパーティ製のものもあった。
PI-PD4 ターボスティック 1988年10月1日 NEC-HE純正では唯一のジョイスティック型コントローラ。
HC63-8 ジョイタップ3 1988年10月4日 純正品。マルチタップの廉価版で、3つまでしかパッドを接続できない。
PI-PD5 ターボパッドII 1989年11月22日 PCエンジンシャトルの形状に合わせたターボパッド。
NAPD-1001 アベニューパッド3 1991年1月31日 3ボタン操作のフォーゴットンワールドの発売に合わせて登場。IIIボタンはSELECTかRUNボタンのいずれかに設定して使用する、連射もできるのでRUNボタンに設定してスローモーション(ポーズの連射)をかけることも可能。
PI-PD10 PCエンジンマウス 1992年11月27日 後期、PCから移植等の一部ゲームに対応。親指で押せるセレクトボタン・ランボタンも付いており、当時としては珍しい4ボタンマウスだった。
PI-PD11 コードレスマルチタップ 1992年12月18日 PCエンジンDuoに合わせたデザインの純正品。パッド信号を赤外線で伝達することでコントローラのコードレス化を実現。コードレスマルチタップ自体はPCエンジン本体のパッド端子に接続する。コードレスパッドを5本揃えれば5人同時プレイ可能である。受信可能距離は約3mまで。
PI-PD12 コードレスパッド コードレスマルチタップ用のパッド。単四乾電池4本必要。
NAPD-1002 アベニューパッド6 1993年5月28日 6ボタンパッド。『ストリートファイターII'』の移植に対応する形で登場。
PCE-TP1 アーケードパッド6 1994年6月25日 6ボタンパッド。PC-FXの標準パッドとデザインがほぼ同じ。

グラフィック

型番 名称 発売日 備考
PI-AS1 アーティストツール 1989年9月29日 グラフィックソフト。イラストブースターがなくてもパッドで描画可能。画像の保存機能は無し。
PI-AD3 プリントブースター 本体に接続できるプリンター。ペンを差し込んで使うペンプロッター式。
PI-AD4 イラストブースター 専用ペンタブレット。透明なので下絵をなぞることができる。
PI-AD5 フォトリーダー ペン型モノクロイメージスキャナ。プリントブースターのリーダ端子に接続して使用する。

ライセンス品

型番 名称 発売元 備考
AS-7749-EG アスキースティックエンジン アスキー
BT-BG1 バトルパッド ビッグクラブ
BT-BG2 バトルタップ
HJ-13 ホリコマンダーPC ホリ電機
XE-1 PRO HE ジョイスティック マイコンソフト
XHE-3 ジョイスティックアダプタ アタリ仕様のコネクタを変換するアダプタ
CJPC-101 パチンコ専用コントローラー ココナッツジャパン
KH-1001 セーブくん 光栄

非純正品

  • PCエンジンのパッド端子は汎用のミニDIN8pinコネクタを採用している。同じミニDIN8pinコネクタを採用しているPC-9801用のキーボード延長ケーブル(2016年時点の現行品の例としては KB-K98-3K、KB-K98K)をPCエンジンのパッド延長ケーブルとして使える。
  • 2020年4月上旬にコロンバスサークルより無改造でポータブル化できる外付け液晶ディスプレイが発売された[24]。これによって安価にPCエンジンLTを再現することが可能になった。

発売中止

通信ブースター
モデムRAMディスクを内蔵した拡張アダプタと、同梱品の通信ツールを使用して、テキストベースのパソコン通信が行えるという物。通信ツールにはBASICインタプリタが含まれており、ユーザが作成したゲームをPDS化して公開する構想もあった[25]。1988年に雑誌の企画として、ホスト用のパソコンと電話回線を介したPCエンジン同士の通信や手書き文字の送受信が行われた[26]他、1990年にはPC-VAN会員限定で一般モニターが募集されたが、開発期間が長引き性能が陳腐化したなどの理由で発売中止となる[26]
XPE-1RGB(仮称)
マイコンソフトより発売予定だった。本体をRGB接続に対応させる外部接続アダプタ。CD-ROM2との互換性を維持するため、PCエンジン本体の下に積むという独特の接続方法になる。形状の合致しないスーパーグラフィックス、専用バックアップユニット接続端子のみ対応のシャトル、拡張バスの無いDuoには非対応[27]
PCエンジン標準の映像出力方法はRF接続RCA端子のみだが、拡張バスにはRGB出力が含まれている[28]電波新聞社は、ここからRGB信号を取り出すコネクターの発売を予定していたが企画倒れとなった[27] ため、正規の方法でS端子やRGB端子への接続は出来ない。

関連機器

PC-8801MC
CD-ROMドライブとしてCD-ROM2を接続することができたが、同PCでPCエンジン用のソフトは使用できない。

ソフトウェア

日本

ゲームソフトとして、HuCARDメディアのローンチタイトルは『上海』と『ビックリマンワールド』である。

1987年に設立されたNECアベニューがゲームソフトの開発と販売を行っている(NEC-HEはハードウェア製造メーカーだった)。また、ハドソンが初期のラインナップを充実させている。この時期ファミコンソフトの製造での優遇措置停止で任天堂とのトラブルになっていたナムコ(現:バンダイナムコエンターテインメント)が参入。ハドソン・NECアベニューと共に初期の三本柱に[29]、参入社数過多により飽和状態になっていたファミコン市場から新たな市場を求めたサードパーティがPCエンジンへと参入した、タイトーアイレムデータイースト日本物産などが参入。一方でカプコン[注 18]コンパイル[注 19]などはソフトのOEM供給などをしていたが、参入して自社ブランドで販売することはなかった。これらサードパーティの参加もあり、ファミコンでは実現が難しかったアーケードゲームが移植された[30]

1991年にはコナミ(ブランド名は『KONAMI』、その後ゲーム事業はコナミデジタルエンタテインメントへ移管)も参入し、NEC HEも日本市場(それまで当社は米国市場のみでゲームソフトを発売する程度だった)でゲームソフトを販売するようになり、後期以降の主要ソフトメーカーにまで発展した[注 20]

1992年には『天外魔境II 卍MARU』『スナッチャー』といったSUPER CD-ROM2を代表するキラーソフトが発売されている。CD-ROM2の普及に伴い、日本ファルコムアートディンクシステムソフトリバーヒルソフトブレイングレイマイクロキャビンコーエー(現:コーエーテクモゲームス)・日本テレネットといったPCゲームのソフトハウスが参入した。

1994年春にはアーケードカード専用CD-ROM2が登場、ネオジオで人気を博していた『餓狼伝説2』『龍虎の拳』が目玉ソフトとして発売された[要出典]。HuCARDメディアでの最後のタイトルは1994年12月16日発売の『21エモン めざせホテル王』である[31][32]

1999年6月にメッセサンオーソフマップ専売で発売された『デッド・オブ・ザ・ブレイン 1&2』を最後に、ソフトの供給は終了した[6]

またゲームソフト以外にも事典やカラオケソフトが発売された。

北米

Keith Courage in Alpha Zones魔神英雄伝ワタル)』がTurbografx-16に付属したほか、『エイリアンクラッシュ』『魔境伝説』『ビクトリーラン』がローンチタイトルとして発売された。

Turbografx-CD発売時にはローンチタイトルとして『ファイティング・ストリート』『ワンダーボーイIII モンスター・レアー』の2本がリリースされた。

反響

販売台数

1987年に発売された本機は初年度で60万台を出荷し[33]、任天堂のファミリーコンピュータが独占状態であった国内家庭用ゲーム機市場では任天堂に次ぐ2番手となった。

  • 日本国内出荷台数は1987年度から1995年度まで584万台である[34]。(Huカード機が392万台、CD-ROM(Duo含む)が192万台)
  • 海外のウェブサイトGamePro The 10 Worst-Selling Consoles of All Time の推計によると最終的な出荷台数は世界で合計1000万台、北米での約250万台その他の地域(ほぼすべて日本)[要出典]750万台としている。
  • NEC-HEの事業部長の本庄、NEC社長(インタビュー時は相談役)の関本のインタビューと資料を基にした朝日新聞2001年12月1日(夕刊)「ウィークエンド経済 第765号 あの失敗がこう生きた」にて「だが、PCエンジンは世界で580万台売るヒットになる」と書かれている。
  • NEC-HE取締役支配人の小林淳二は日経BP社『新世代ゲームビジネス』の117ページで「PC-FXは新世代のゲーム機であるが、従来のPCエンジンを190万台普及させてきた延長線上で地道に売っていく」と発言している。

影響と評価

1987年当時の家庭用ゲーム機の常識を覆す高速・高性能であり[5]、任天堂のシェアを崩すには至らなかったが、新規ハードとして一定の普及に成功し国内市場では1992年時点でスーパーファミコンに次ぐ24.7%のシェアを占めていた[8]。1990年代前半の日本市場において、PCエンジンの周辺機器であるCD-ROM2(シーディーロムロム)は最も普及していたCD-ROMゲーム機である。

関係者
ハドソンの中本伸一はPCエンジン発売前のインタビューで「任天堂との共存、共栄を目指す」と発言しており、PCエンジンと並行して任天堂のファミリーコンピュータやスーパーファミコンへのソフト供給を続けた。当時任天堂の一強状態であった家庭用ゲーム機市場において初めて二番手市場を築き、それまで家庭用ゲーム機ではファミコンにしか参入していなかったサードパーティがPCエンジンに数多く参入し、任天堂ハードと共存できる市場を作り上げた。
またハドソンの工藤浩社長(当時)は「成功か失敗か?成功と言えば成功ですよね『PCエンジン』シリーズはトータルで450万台くらい売れて、ソフトも何千万本か売れたんだから。だけど市場から姿を消してしまったし、今ではもう作っていないわけですから、そういう意味で失敗したということもできるかもしれない。少なくともNECにとっては失敗だったかも。ハドソンとしては成功だったように思うけど、本当のことをいうと自分でも成功したのか失敗だったのかよくわからないね[35]」と語っている。
ユーザー
1996年創刊の雑誌『ユーズド・ゲームズ』(後の『GAME SIDE』)では、PCエンジンの熱狂的なユーザのことを「PCエンジニア」と呼んでいた。この言葉は同誌2号のメガドライブ特集記事で誕生したものである。
外部団体
1988年度の商品デザイン部門でグッドデザイン賞を受賞している[36]

その他ファミリーコンピュータとは異なる以下の点が評価されている。

多人数プレイ
コア構想の一環として、NEC-HEより本体と同時に発売されたマルチタップを使用することにより、対応するゲームでは最大5人まで遊べるようになる。ハドソンからは5人同時プレイ対応のアクションRPG『ダンジョンエクスプローラー』が発売された他、日本コンピュータシステムからはレースゲームの『モトローダー』が発売され、ナムコの『プロテニス ワールドコート』ではファミコンの『ファミリーテニス』では実現しなかった4人同時プレイによるダブルス対戦が可能になった。その後、ハドソンの代表作となる『ボンバーマンシリーズ』や『桃太郎電鉄シリーズ』はマルチタップに対応することでパーティゲームとしてのジャンルを確立させ、「パーティゲームの定番」として21世紀初頭現在に至るまで新作が発売され続けている。ハドソンの中本伸一はボンバーマンシリーズについて「本当にラッキーだったのが、PCエンジンにマルチタップがあったことです」「5人プレイが出来るハードに移植された段階で全く新しいボンバーマンの歴史がスタートした」と、PCエンジン版の『ボンバーマン』とマルチタップを評している[37]
先進性
PCエンジンは家庭用ゲーム機として世界で初めてCD-ROMを採用したゲーム機であり[5]、PCエンジンが世に送り出したCD-ROMゲーム機の思想はその後のゲーム機にも受け継がれていった[35]。元NECアベニューの多部田俊雄は後に、「CD-ROMシステムは200万台近く売れた。PCエンジンがなければ全世界規模でCD-ROMの普及が1年は遅れていたでしょう[16]」と語っている[38]。またNEC(当時)の後藤富雄は「他のメーカーに先駆けてCD-ROMを採用したことに対しては、私としてはそれなりの自負がある[35]」と述べている。
ゲームジャンルの拡大
PCエンジン専門誌のPC Engine FANでは「『R-TYPE』や『ドラゴンスピリット』。ほんとうにほしいゲームがよくそろっていました。その後、『ドラゴンナイトII』『卒業』『ときめきメモリアル』が登場。こういった今はギャルゲーと呼ばれるソフトがゲーム機で遊べるようになったのもPCエンジンの功績です。」という評価を受けている[39]

広告

メディア展開としてテレビの専門番組にハドソンが提供・協力、一部は日本電気ホームエレクトロニクスも提供をしている。それに加え広報の一つとしてPCエンジン発売に合わせファミコンソフトのイベントだったハドソン全国キャラバンの課題ゲームをPCエンジン用に切り替えており、『コロコロコミック』のタイアップ記事やさくまあきらが担当した『週刊少年ジャンプ』の読者コーナーなど、影響下にあるメディアでPCエンジンの話題を多く取り上げた。

また富士見ファンタジア文庫から1990年2月に刊行された『悪の江ノ島大決戦』(とまとあき・塚本裕美子著)では、当時発売直後のシャトルやスーパーグラフィックスなどが作中のアイテムとして登場し、ゲーム機本体とライトノベルという、タイアップが行われた。

テレビ番組

専門誌

販売終了後の展開

本機の製造終了後には実機を使用せずにゲームを遊べる環境を各社が提供している。

ダウンロード販売サービス

  • ドリームライブラリ - 2000年6月1日、セガとの提携により配信された。2003年1月31日にサービス終了。
  • プロジェクトEGG - Windows PC向けのレトロゲーム配信サービス。2003年よりラインナップが追加されている。
  • バーチャルコンソール - 2006年12月2日、任天堂との提携によりWii向けに配信されている。2013年12月25日からはニンテンドー3DS向け、Wii U向けも配信を開始。3DSとWii Uの場合、ソフトにカーソルを合わせるとコナミのサウンドロゴが流れる。Wii版は2019年1月31日14時59分を以ってサービス終了した。
  • PCエンジンアーカイブス - 2009年7月15日、ソニー・コンピュータエンタテインメントとの提携によりPlayStation 3PlayStation Vitaのダウンロード販売サービスであるゲームアーカイブスにて配信されている[5]PlayStation Portable向けは2016年3月31日に、Media Goからのダウンロードも2017年12月にサービス終了、以降はPlayStation 3を介してのダウンロードとなる)。
  • PC Engine GameBox - 2010年12月20日、iOS用ソフトPC Engine GameBox(発売元:ハドソン)のダウンロード配信が始まった。『パワースポーツ』以外のゲームはアドオン購入となる。
  • PCエンジンライブラリー - 2014年4月よりWindowsストアにてダウンロード販売が始まった。

クラウドサービス

  • PCエンジンライブラリー - 2013年6月20日に発売されたクラウドゲーム機「G-cluster」向けのサービスとして開始。数本を一つにまとめたセット購入となる。

復刻型ゲーム機

2019年には、ゲームソフトを内蔵した小型復刻版「PCエンジン mini」の販売が、コナミデジタルエンタテインメント(KDE)[注 21]より正式発表され[40]、2020年3月19日に発売された。

58本のゲームがプリインストールソフトとして収録されている。また、北米市場向けに「TurboGrafx-16 mini」、欧州市場向けに「PC Engine CoreGrafx mini」がリリースされている。

その他

  • 2019年現在、「PCEngine」という商標名はコナミデジタルエンタテインメント(KDE)およびビッグローブ登録商標(第2272123号ほか)となっている[40][41][42](「PCエンジン」では商標登録されていない)。発売当時はハドソンおよびNEC-HEが商標などの諸権利を保持していたが、ハドソンは2012年にKDEに吸収合併され、NEC-HEは2001年の会社解散に伴って権利関係が親会社のNECを経て2006年にNECから分社したビッグローブ[注 22]へ承継されたためである。なお、「PCエンジン mini」の著作権表記にはKDEおよびビッグローブの2社が表示されていた[43]が、その後にビッグローブは削除された[44](理由は不明)。
  • PC-88VAOSを「PC-Engine」と呼ぶが、PCエンジンとの関係はない。
  • 同様のコンセプトを持つ品として、テクナート(業務用基板を取り扱う会社)より「PCメイト」というRGB出力/業務用筐体に接続できる機能を持つ基板が販売されていた。発売当時にはゲーメストに広告が載っていたが、価格が2万円と高価だった。同基板をさらに改造し、業務用として設置できるようクレジット機能(コインの投入数分だけRUNボタンの押下を受け付ける)を搭載したものも存在した。

脚注

注釈

  1. ^ Huカードモデル(392万台[1])、Duoシリーズ含むCD-ROM2(192万台[2])の合算。
  2. ^ 国内版Huカードモデル(392万台[1])、海外版Huカードモデル(170万台[3])、Duoシリーズ含む国内版CD-ROM2(192万台[2])、Duoシリーズ含む海外版CD-ROM2(10万台[3])の合算。
  3. ^ NECはチップ単位では任天堂やエポック社スーパーカセットビジョンカシオPV-1000への供給を行っていたものの、完成品としてのコンシューマゲーム機としてはNECグループでは初参入である。
  4. ^ TurboDuo発売と同時に創刊された専門誌。創刊号はTurboDuo本体に同梱され、さらにユーザ登録することで3号まで無償で送付されたので、どちらかというと広報誌に近い。4号から有償になったが、その4号で告知もなく休刊した。
  5. ^ PCエンジンはリージョンチェックが無いため、物理配線さえ何とかすれば国内・国外問わず全てのソフトが動作したが、SUPER CD-ROM2のソフトについてはシステムカードのチェックを行っているため、海外版のSUPER CD-ROM2のシステムカードで日本のソフトを起動すると警告画面が表示されてしまう。無論変換アダプタを使用して日本版のシステムカードを使えば動作する。
  6. ^ 時期は明記されていないがNECより前にソニーへも持ち込んだことがあるという証言もある[10]
  7. ^ ただしCD-ROM2本体により占有されたりDUOシリーズで一体化された結果消滅した。
  8. ^ パイオニア製のレーザーアクティブによるLD-ROM2を除く。
  9. ^ 最大5人で協力・対戦が可能なゲームには『ボンバーマン』『スーパー桃太郎電鉄II』『ダンジョンエクスプローラー』『モトローダー』がある。
  10. ^ Twitterでの『ガンヘッド』のプログラマーだったジェミニ広野のコメントによれば、『ガンヘッド』製作時のサウンドドライバでは3音までサンプリングが発声可能であり、最大で使うとCPUパワーの半分くらいの負荷がかかるとコメントしている。
  11. ^ ゼビウス ファードラウト伝説』『ガンヘッド』等では主にドラムパートを、『源平討魔伝』等ではボイス再生に使用された。『スーパースターソルジャー』以降は波形メモリを制御することでドラム音が再現可能となり、処理速度の向上と再生チャンネルを稼ぐことが可能となっている。
  12. ^ ポピュラス』(HuCARD版)のみカード側にメインRAM:32KBを増設。
  13. ^ HuCARDの『TVスポーツ バスケットボール』の選手選択画面や、CD-ROM2の『シャーロック・ホームズの探偵講座』の全編、『シャドー・オブ・ザ・ビースト 魔性の掟』のOPデモで使用
  14. ^ 高解像度なソフトが少ない理由は、画素単位で制作したグラフィックをフル画面表示しづらい・スプライトが複数並び易く、横並び制限によるスプライト欠けが生じ易いからである。
  15. ^ スプライト240色(15色×16パレット、透明色は透過処理に使われるので発色はできない)とBG241色(15色×16パレット+共通色)合わせての数字。
  16. ^ 解像度が320ドット時に横へ16個並ぶ設定にすると、VRAMのアクセスタイムを超える駆動のオーバークロック状態となり、PCエンジン本体の動作保証が出来ないことからNECのガイドラインにより設定された。※ガイドライン制定前に発売されたR-TYPEでは例外的に使用[23]
  17. ^ 専用のバックアップユニットのみ接続可能。
  18. ^ サイドアーム』『サイドアーム・スペシャル』『F1ドリーム』『ソンソン2』『ポンピングワールド』『ストリートファイターII'』などを開発。
  19. ^ エイリアンクラッシュ』『デビルクラッシュ』『サイバーナイト』『ガンヘッド』『精霊戦士スプリガン』『スプリガン mark2』『シルフィア』などを開発。
  20. ^ 後継機のPC-FXではNEC HEが大半のソフトを発売している一方、開発元のハドソンのソフトは少数派で、初期の間しか発売されていなかった。
  21. ^ 2012年にハドソンはコナミデジタルエンタテインメントに吸収合併されたため、その後は同社が権利を保有した。
  22. ^ 2014年3月まではNECビッグローブ。同年に日本産業パートナーズへ売却された後、2016年にKDDIへ売却された。

出典

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  38. ^ 「週刊ファミ通」、エンターブレイン、2006年6月16日号23ページ
  39. ^ PC Engine FAN1996年10月号、134ページ『「月刊PCエンジンファン」刊行変更のごあいさつ』
  40. ^ a b コナミ、「PCエンジン mini」を正式発表。1987年に生まれた世界初のCD-ROM対応ゲーム機が現代に蘇る,電ファミニコゲーマー,2019年6月12日
  41. ^ 特許庁の「特許情報プラットフォーム」[1] において、「PCEngine」を「商標を探す」で検索した結果(2015年6月21日閲覧)
  42. ^ BIGLOBEのツイート(1138650953870000128)
  43. ^ 「PCエンジン」の商標を、BIGLOBEが持ってるワケ”. ITmedia(2019年6月12日作成). 2019年6月12日閲覧。
  44. ^ PCエンジン mini 公式サイト(2019年8月25日閲覧)

参考文献

  • 鯨武長之介『PCエンジン&メガドライブ発売中止ゲーム図鑑(ゲームラボ選書)』三才ブックス、東京、2023年3月22日。ISBN 978-4-86673-359-3OCLC 1373376760 
  • 『ゲームラボ 2022春夏』三才ブックス、2022年6月21日。 
  • レトロゲーム愛好会 編『PCエンジンコンプリートガイド デラックス』主婦の友社、2020年3月26日。ISBN 978-4-07-441371-3 

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