歴史・影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 14:01 UTC 版)
アメリカ軍では、朝鮮戦争で中国軍がアメリカ兵捕虜を転向させた方法に関する研究、いわゆる洗脳研究が行われ、このプロセスが、①相手を日常生活から完全に隔離する「分離」、②絶食や不眠、罵詈雑言、長時間の意味不明のマントラなどで意識を人為的に不安定な状態(変性意識状態)にする「移行」、③教義や思想を徹底して教え込んだ後に壁を打ち壊すような強烈な体験(イニシエーション)をさせ、宙づりになった自己を<正しい>場所に着地させる「統合」の3つにまとめられた。軍の研究とは別に、様々な心理操作のテクニックがヨーロッパからアメリカに伝えられ、ナチス台頭を逃れてアメリカに亡命したユダヤ系ドイツ人心理学者クルト・レヴィンがグループ・ダイナミクスという考えに基づいて作ったTグループ、オーストリアの精神科医ヤコブ・レヴィ・モレノの心理劇(エンカウンター)などの集団心理療法が行われ、アメリカ流のプラグマティズムと結びついた。1960年代には、軍の洗脳研究と集団心理療法が合流し、アメリカ各地の教育機関や官庁、企業、病院、軍隊などで人間の可能性の開拓や意識改革を目指し、様々な試みが行われた。 社会心理学者の西田公昭は、自己啓発セミナーはTグループが応用されたものだと説明している。Tグループはレヴィンの経験した偶然から始まったもので、心理学者や関連団体で行われた。効果や効果が表れる期間も決まったものでなく、商業主義的なものではなかったが、組織化され、1947年にナショナル・トレーニング・ラボラトリー(英語版)という組織が作られた。Tグループは、カリフォルニア大学のマーシャクを中心に、対人関係を向上させる感受性訓練(センシティビティ・トレーニング、ST)として行われるようになり、マニュアル化され、パッケージ化され、管理職研修や社員教育、刑務所内の更生プログラムにも使われるようになった。 感受性訓練とTグループは、今ここの相互作用に注目し、振り返るという点は共通していたが、Tグループが集団における「個と個の関係」を変えようとするのに対し、西海岸で流行した感受性訓練は「自分の対人関係スタイル」を振り返り、「個」を変えるという方向にいきがちだった。この微妙な違いが、のちに低品質なSTの流行による悲劇につながることになる。1960年代には心理学者のカール・ロジャーズが、患者の行動や方針を患者本人に決めさせカウンセラーがサポートするクライエント中心療法を開発し、Tグループをベーシック・エンカウンター・グループに発展させた。西海岸では、スタンフォード大学の心理学の学生2人が設立した民間研究所エサレン研究所を中心に、人間の秘められた可能性の開発を目指すヒューマンポテンシャル運動が盛り上がり、エサレン研究所には当時の著名な心理学者や哲学者の大部分が訪れ、Tグループやゲシュタルト療法なども利用して、人間の潜在能力の覚醒を目指す心理療法や身体開発のテクニックが恐ろしい勢いで開発されていった。集団での人間関係トレーニングを学んだ人々は、アメリカ西海岸でセミナー会社を設立し、会社の依頼による営業マンの教育や一般人向け集団セミナーを開催した。エサレン研究所の成果は、ワーナー・エアハードなどによって自己啓発セミナーという営利行為に使われるようになった。 なお集団心理療法は、手法によって効果に差はないが、3分の1に対人関係のスタイルの改善など肯定的変化があり、8%には「重大な心理損傷」が起こったという研究結果がある。手法がパワフルであるがゆえに、重度の害悪をもたらす邪悪なものにもなりうるため、実施するファシリテーターの質と倫理観が重要であり、結果の良し悪しはファシリテーターに左右される部分が大きい。元々のTグループでは、民主主義や人権尊重、集団と個人の位置づけを組織にすることが倫理の基本となっていたが、金儲けを目的にテクニックを利用した者は、そうした倫理を持っていなかった。 社会学者の小池靖によると、自己啓発セミナーの直接のルーツは、西海岸に生まれたセミナー会社の一つで、教師アレキサンダー・エヴェレット(英語版)による瞑想などをミックスした独自の能力開発マインド・ダイナミックス(英語版)と、化粧品の連鎖販売取引(ネットワークビジネス)会社ホリディマジックの経営者ウィリアム・ペン・パトリック(英語版)の人材開発会社リーダーシップ・ダイナミックス(英語版)である。エヴェレットは元々キリスト教系のユニティ (新宗教)(英語版)(ニューソート系のクリスチャン・サイエンスの影響を受けている)の牧師を目指しており、心霊診断家のエドガー・ケイシーの著作、神智学、薔薇十字団、エジプト学、シルバ・マインド・ コントロール、 ユニティの影響を受けており、新時代を意味する「水瓶座の時代(ニューエイジ)」に生きていると考えていた。マインド・ダイナミックスを設立して多くのトレーナーを育てた。マインド・ダイナミックスの初期のセミナーは、インストラクターがメンタルコントロールのテクニックを紹介し、短い瞑想を行い、その体験を人生にどう生かしていくかをシェアするというシンプルな内容だった。 ホリデイマジックを経営していたパトリックは、何段階にも及ぶ人材開発プログラムを持っており、睡眠時間を削らせたり、自分自身の人生に関する「真実」、失敗や秘密を告白させ、時に暴力をふるうなどの虐待的な行為で、4日間で自分の殻を破らせるという激しいプログラムを行った。そのプログラムでは、言葉がショックを与える道具として使われ、厳格な軍事訓練のような雰囲気だった。連鎖販売取引同様に、セミナー参加者に友人知人を勧誘させ、ホリデイマジックの管理職になりたい人はセミナーに参加するよう強要した。エヴェレットのマインド・ダイナミックスは評判になり、パトリックはこれに注目してマインド・ダイナミックスの出資者になった。ホリデイマジックの人材開発の技術はマインド・ダイナミックスに影響を与え、マインド・ダイナミックスは1970年代以降のルーツとなった。1970年にホリディマジックはマインド・ダイナミックスのプログラムを買収し、自社の人材開発に使ったが、1973年にホリディマジックは、無限連鎖講が問題になってアメリカで実質的に非合法化され、パトリックが飛行機事故で死亡し解散した。マインド・ダイナミックスのトレーナーたちは独立し、自己啓発セミナーを立ち上げている。 マインド・ダイナミックスのトレーナーだった元セールスマンのワーナー・エアハードは、アラン・ワッツの禅、心理療法宗教サイエントロジー、デール・カーネギーの話し方教室にも学んでおり、エサレン研究所で生み出された成果を利用し、ヒューマンポテンシャル運動をセルフヘルプ、積極思考(ポジティブ・シンキング、引き寄せの法則)、アメリカに昔からある個人的成功に関する思想や書籍等をつぎはぎしてアメリカナイズし、1971年にエアハード式セミナー・トレーニング(英語版)(略称:est、エスト)をはじめた。これ以前にエサレン研究所の面々には、ヒューマンポテンシャル運動の研究成果とニューソートの系譜の積極思考を混ぜる発想はなかったようである。エアハードの行為は、ヒューマンポテンシャル運動を悪い意味で変質させたと批判されることもあれば、大衆に広めたニューエイジの重要な指導者として評価されることもある。「わずか数百ドルと大量の罵詈雑言、および肉体的苦痛に耐える覚悟さえあれば、あなたの心の古い殻を打ち破り、物事に対する斬新な見方をお教えします。そのための変身の極意も提供します」と宣伝されたセミナーは一時期流行し、アメリカで代表的な自己啓発セミナーになった。オノ・ヨーコ、ジョン・デンバー、ヴァレリー・ハーパー(英語版)らはestを激賞したが、満足しない人も多かった。estはその厳しい内容から問題も多く、1980年代には多くの訴訟が起こされ、精神科医が American Journal of Psychiatry でestのテクニックを悪魔的なものだと批判したが、勢いは衰えなかった。estは1984年に改造され、比較的シンプルで哲学的で穏やかなセミナー「ザ・フォーラム(The Forum)」(ランドマーク・フォーラム、ブレイクスルーテクノロジー)に置き換えられ、全セッションがフォーラム・リーダーと参加者との対話形式になり、実習的要素はなくなった。こうした変更は、同時期に他の人間性回復運動の団体でも、エンカウンター様式からより洗練されたアプローチへの変化として見られ、告訴の危険性を抑えると共に、幅広く普及させたいといった営利的な要因があったと考えられている。 マインド・ダイナミックスのトレーナーだったボブ・ホワイト、ランディ・リーヴェル、シャーリーン・アフレモウ、ジョン・ハンレイは、1974年にライフスプリング(英語版)を設立した。ヒューマンポテンシャル運動・ニューエイジの拠点の一つだったエサレン研究所にいたことがある心理学者のジョン・エンライト(John Enright)は、彼らと共にライフスプリングのトレーニングを開発した。 自己啓発セミナーの発展には他に、ナポレオン・ヒルの自己啓発本『思考は現実化する (Think and Grow Rich)』、ゲシュタルト療法によって開発された体験的なエクササイズ、ナショナル・トレーニング・ラボラトリー(英語版)、ニューソート思想家のハーネル・F・チャールズ(英語版)などが影響している。 アメリカで開発された感受性訓練(センシティビティ・トレーニング、ST)は、立教大学・南山大学の研究グループによってキリスト教の伝道のための一手法、聖職者向けの研修として日本に導入された。大田俊寛は、「大筋として言えば、自己開発セミナーとは、プロテスタントの「迷走」の産物の一つ」であると述べている。導入にはもうひとつ、九州大学のルートがあったと言われる。STは民間教育ベンダーや民間教育施設が取り入れ、儲けのいい仕事になった。企業の人事には企業教育や人材開発の専門家はおらず、当時はインターネットもなく、STを行う業者と企業には圧倒的な情報格差があった。また、企業の人材開発講習に免許などなく、STを理解していなかったり倫理観に問題のある講師も少なくなかった。「海外発の手法ですけど、やってみませんか?」などの営業トークで、低品質なSTが日本企業で行われた。 企業向け日本流STは、社命によって研修で生きる価値を見つけさせるもので、「『いま、ここ』で企業とつながってる自分を再認識し、会社との一体感を至高体験として感じる」ものだった。60-70年代に企業向け日本流STが流行し、70年代には日本経済新聞の調査によると、1割の企業が管理職教育にSTを取り入れており、スパルタ社員研修として流行した。拡大によって講師の質は低下し、参加者をつるし上げたり、講師が参加者に自己開示が足りないと言って暴力を振るうなど問題が多発した。昭和43(1968)年にセミナー中に参加者が自殺しており、暴力による大怪我や受講後に心身疾患を発症する人が次々出たが、犠牲者が現れてからも下火になることなく、企業は研修を求め続け、時代が変わり企業戦士が必要なくなるまで続いた。低品質なSTと組織開発(OD)は混同されるようになり、日本で組織開発は低迷し、研究も行われなくなった。企業の企業戦士のニーズが衰えると、個人向けの自己啓発セミナーが入れ替わるように流行した。日本でSTが下火になったあと、事前に可否判断の情報を持ち得ず自己責任での受講となる個人向けセミナーとして通流した面が強いといわれる。マインド・ダイナミックスのトレーナーでライフスプリング(英語版)の設立に関わったロバート・ホワイトがセールスパーソン養成マニュアル販売会社を設立するために来日し、1977年にライフ・ダイナミックス(アーク・インターナショナル)を設立しており、日本では多くの自己啓発セミナーがこの系統である。 小池靖は、その実習内容や思想は、人間性心理学やヒューマンポテンシャル運動と密接な関係があると指摘している。人間性心理学は、「あなたがあなたの現実を作る」という現象学と「自分で自分の責任を引き受ける」という実存主義のアメリカ的表現とも言われる。フッサールの現象学の影響を受ける実存主義的心理療法は、孤独・不安・恐怖こそ人間の証と考え、今ここに生きていることだけに人間の意味を見出す、ある種虚無的な面があり、治療としては、個人に起こるすべての責任をその個人が担うという考え方になる。こうしたシンプルで厳しい人間観、性善説的で理想主義的な思想は、自己啓発セミナーに影響をあたえている。また、元百科事典セールスマンのエアハードが始めたestによって、ニューソート的な「思考は現実化する」という考えも取り込まれた。estは自己責任の強調でも知られているが、こうした人間像は、自分から動かなければ1銭にもならないセールスマンの現実、ホワイトカラーのセールスマンとしての体験に拠っていると指摘されている。連鎖販売取引(マルチ商法)からは勧誘の実践が持ち込まれている。 ニューソートの「心に念じたことは叶う」と現象学的な「あなたがあなたの現実を作る」は、相当に距離のある考え方だが、自己啓発セミナーでは融合し、自分を愛してその可能性を信じる姿勢を形作っている。なお、こうした自己の思いに注目を集中させる考え方は、現実の環境への働きかけを軽んじさせる場合があり、環境(体制)を変えたくないと思う権威の側が、カウンセラーを使って、体制維持に利用する可能性が指摘されている。
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