歴史・性格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 09:54 UTC 版)
20世紀初頭、アメリカ合衆国において制度的に成立。当時アメリカでは、プラグマティズム的思想を背景にして、学問にも技術的・応用科学的な考え方が強く、教育社会学も社会問題解決の手段として教育を捉えたり、カリキュラム構成の客観的基礎を与えるための科学として自らを性格づける傾向があった。つまり教育社会学は「教育がいかにあるか」という事実判断ではなく、「教育がいかにあるべきか」という価値判断を重視し、科学的価値より実践的・規範的価値を重んじた。こうした初期の教育社会学は「教育的社会学(educational sociology)」と呼ばれる。 これに対して、第二次世界大戦後、ブルックオーヴァーなどが「教育の社会学」を主張し、教育社会学は客観的・実証的・没価値的な社会学の下位領域であるべきとされた。その結果、第二次世界大戦後、教育社会学は多くの国で順調に発展し、学問的市民権を得るとともに、教育実践および教育政策に対しても大きな発言力をもつに至った。つまり、戦後の教育社会学の最大の特徴は、応用科学から純粋科学へと脱皮し、価値判断に代わって事実分析に自らの使命を限定したことにある。そのため、タルコット・パーソンズ 、ロバート・キング・マートンに代表される「機能主義」をおもな理論枠組みとし、研究方法には実証的手法を用いることが多い。 しかし、1970年代に入ると、批判的なラディカル社会学などの影響により、イギリスにおいて教育社会学の新しい方向が示された。これが「新教育社会学」である。その主張によれば、機能主義は一方では社会の統合を前提とし、没価値性を強調するが、まさにそのために社会の現体制維持に奉仕している。さらに、主唱者ヤングによると、新教育社会学は合理性や科学のドグマに挑戦し、とくに知識の社会的組織の問題、すなわちある知識や基準がなにゆえに、またいかにして教育を支配するようになるかをこそ、問わねばならない。こうした潮流のなかで、バジル・バーンステインの言語コード論などが生まれることになった。 また、1980年代に入ると、教育社会学は、アメリカを中心とした精緻化された実証研究と、イギリスなどを中心とする微視的・解釈学的研究とに二極分化する傾向が見られるようになった。
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