コゼットの家族とは? わかりやすく解説

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コゼットの家族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/06 04:51 UTC 版)

コゼット」の記事における「コゼットの家族」の解説

コゼット・ポンメルシー旧姓:フォーシュルヴァン) 本編の主人公1815年生まれ婚前作られ戸籍では、1815年6月18日生まれとなっている)。1833年にマリユスと結婚し晴れてポンメルシー男爵夫人になる。養父ジャン・ヴァルジャン実母ファンティーヌ実父はフェリックス・トロミエス。ジャン=リュックファンティーヌの母でもある。2人の子供に乳母をつけず、自分の手子供たち育てた弁護士としての仕事思い悩むマリユスに「書く」ことをすすめ、養父ヴァルジャンから相続した60フラン新聞を出すことを提案する社交界では才女のひとりに数えられ、“リオネ”(雌獅子時代先端を行く女)と呼ばれる。マリユスがサント・ペラジー監獄囚われているときは、面会行ったときに受け取ったマリユスのメモをもとに記事を書く。女性ジャーナリズム関わることを嫌うクレロンを嫌悪する1848年1月ある日息子ジャン=リュックの件でアンリー4世中等学校行った帰り道でのこと。ショーケースからパン盗んだ少年ムクドリ》ことガブリエル見つけた彼女は、その姿に若き日養父の姿を見出す。そして、囚われムクドリに代わって盗んだパンを買い、彼を夫の新聞社働かせるうになるムクドリ頼もし存在になっていく一方で実の息子ジャン=リュック放蕩ぶりに夫ともども頭を痛めるようになっていく。 そんな日々送っていた1851年11月末。リュクサンブール公園ジャン=リュック舞台女優ニコレット・ローリオカップルを見つけ、ショック受けてしまう。というのもリュクサンブール公園をマリユスと一緒に訪れたのは、ゼルマの脅迫受けて、母が娼婦であること、宿屋ワーテルロー軍曹』でテナルディエ一家虐待されてきたことを包み隠さず話すためだった。だが、マリユスはジャン=リュックの件を自宅片付けることにし、リュクサンブール公園で彼女の過去全部受け入れてくれた。 1851年12月1日ブーローニュでしばしの休息取っていたが、そこへパリクーデター起きた事を知る。ひとりで行くというマリユスに同行しバリケードで夫に付き添うことにする。しかし、目の前で悲劇味わい19年前、養父一緒に逃亡しようとしていたイギリスへファンティーヌマダム・カレーム逃亡させる自身変装し、《代書屋ヒバリ》としてパリ人々のために手紙書きながら生きていく一方で皇帝ナポレオン3世皮肉った作品世に送り出す《ラ・リュミエール》として生きるまた、あるときはニコレット・ローリオ付き人《メア・キュルパ》、あるときはファンティーヌの母、あるときはマリユスの妻として波乱の時代闇の中でひっそり生きていく。 養父ジャン・ヴァルジャンのように罪人として追われる日々を送る彼女だが、養父同じく人間としての自由と尊厳と愛を失うことなく生きていった。一時死んだかと思われていた夫マリユスの生存を知ると、ムクドリ石工のグランクールの手借りて彼を救出する最終的には夫マリユスと愛を深め合ったブーローニュの《ジェラールの宿》の手伝いをすることで落ち着く(マリユスはもちろん、ファンティーヌ家族同居している)。 1867年3月訪れた息子ジャン=リュックに「許してほしい」と懇願された彼女は、「時が経って思い出乗り越えられれば」と告げる。 マリユス・ポンメルシー コゼットの夫。男爵1810年生まれ。父はナポレオン1世仕えた軍人ジョルジュ・ポンメルシー、母は今は亡きジルノルマン氏の次女ファーストネーム不明)。ジャン=リュックファンティーヌの父。祖父リュック=エスプリ・ジルノルマン伯母アデレード・ジルノルマン育てられる1832年6月暴動こめかみと肩を負傷、その傷のせいで眉が切れており、肩にも傷跡残っている。その氷のごとき正義感生真面目性格から、弁護士仕事矛盾感じ、さらに暴動自分助けてくれたにも関わらず罪人”という理由から敬遠してしまったジャン・ヴァルジャンのことや暴動散った仲間のことを想い、軽いうつ状態になっているところをコゼット救われる。彼女の言葉従い新聞『ラ・リュミエール』紙を発行し始めた彼は、扇動罪で起訴されても監獄収監されても懸命に記事書いていく。状況悪化すればするほど、彼の情熱深まっていく。 やがて、二月革命中心的存在となるが、6月暴動辛酸をなめ、ルイ・ナポレオンという希望を見つけるも、彼にまんまと利用されていたことに気づき怒りをあらわにする。 そして、『ラ・リュミエール』紙の廃刊決めた矢先1851年12月4日、プティ・カロー通りバリケードでヴェルディエやパジョルら1832年6月同志とともに立ち上がる。 彼はこの騒動死んだかと思われていたが、実は生きており、ルイ・ナポレオン収容されたというアム城塞収容されていた。暴動のときに受けた一発銃弾と、軍医のひどい処置により、背中まっすぐにして歩くことが出来なくなってしまった。さらに、監獄でのひどい生活がたたり、リウマチ症状典型である関節炎患っていることが多くなった。 彼の生存知ったコゼットらによって救出された彼は、最初こそ体力消耗し死にかけていたが、コゼットが《メア・キュルパ》として働き始めた頃から栄養状態改善され元気になり始める。 1867年3月逃亡先のブーローニュ執筆活動続けていたところへジャン=リュック現れる以前、死の間際にあったジャン・ヴァルジャンがマリユスを許したように、「今までのことを許してほしい」という我が子を、彼は「自分のために許したジャン・ヴァルジャン コゼット養父1770年生まれ。1本のパン盗んだ罪で19年監獄暮らしをしなければならなかった囚人人間不信に陥っていたとき、ミリエル司祭助けられ更生するコゼットの母ファンティーヌとの約束を果たすため、1823年クリスマスモンフェルメイユコゼット引き取る。すでにファンティーヌこの世去っていたため、彼女の養父となる。様々な事件巻き込まれながらも、イラクサとなって薔薇であるコゼット守り、彼女のために行動し続けてきた。 その正体をマリユスに暴露したことから、コゼット逢う機会がどんどん減っていく。やがて、真実テナルディエから教えられたマリユスによってコゼット再会することができた。が、それは死の間際出来事だった。 没後コゼット生き方影響与え続ける『聖人』。 リュック=エスプリ・ジルノルマン マリユスの祖父で、アデレードの父。1741年生まれ92歳。とてつもなく元気な好色家ブルジョワ。歯が32残っているのを自慢にしており、女の召使い見境なく手をつけるため、彼女たちカモにされていた。子供産まれるたびに彼女たちから「この子旦那様の子供だ」と告げられる子供たち自分の子として認知し子供13歳になるまで養育費支払っていた。 絶対王政時代こよなく愛す王党派で、ボナパルティズム目覚めていたマリユスと反発しあっていた時期があった。しかし、1832年6月暴動でマリユスが瀕死の重傷負ってフィーユ・デュ・カルヴェール通り自邸戻ってきたのを契機に、改め愛する孫への愛情目覚めた彼はマリユスと和解。しかも、マリユスの恋人コゼットひと目惚れこみ、彼女が孤児無一文身の上であり、名門の家の出ではないにもかかわらず2人結婚許してしまう。 好色家だけあって恋愛に関しては非常に寛容。ポンメルシー夫妻結婚披露宴でも愛について満足のいくまで語り明かした1835年曾孫ジャン=リュック誕生見届けて永眠饒舌演説家らしくない静かな最期であったジャン=リュック・ジルノルマン・ポンメルシー 1834年5月2日コゼットとマリユスの間に生まれた息子ファンティーヌの兄。母親譲り青い瞳父親譲りの黒い髪を持つ美男子子供時代誰からも愛され誰からも可愛がられる愛想良い少年だった。特に大伯母アデレードは彼を溺愛しとことん甘やかしたそれゆえ気に入らないことがあるかんしゃくを起こすようになってしまった。 少年時代意志薄弱な『問題児であった。ある振る舞いきっかけで、全寮制だったアンリー4世中等学校退学処分になってしまう。そこで、今度ヴィクトル・ユーゴー通ったルイ・ル・グラン中等学校通学生として入学するが、悪友アルセーヌ・ユヴェとの付き合いはやめられず、ニコレット・ローリオ出逢って恋に落ちる気質思想曾祖父ジルノルマン氏に似ているため、マリユスとコゼット大い悩ませることになる。特にクレロンへの信頼ルイ・ナポレオンへの傾倒ぶりはひどいものであり、同い年ムクドリに強い敵対心抱いている。 やがて、その軽薄幼稚な人間性と親に対して取った行動から、父の知り合いや父のライバルたちから嘲笑されるようになって肩身の狭い思いをしていくようになった彼は、トゥシャール夫人ことゼルマに“救われる”。しかし、それはゼルマの姦計だった。彼女の策略はまった彼は、彼女の娘エポニーヌ=オルターンス結婚長女ルイーズをもうけるも、その結婚生活決して愛に満ちたものと呼べるものではなくニコレットをはじめ、次々と愛人作っていった。そんな生活を送るうちにどんどん堕落していく。 ゼルマの傀儡化した彼は、自身がゼルマの手のひらの上悪友や妻たちと踊らされている環境のなかで、どんどん疲弊していく。だが、ルイ・ナポレオン権威恩恵にさずかり、その日その日楽しくおかしく暮らせる生活から足を洗えないがために、ゼルマに踊らされる生活から抜け出すことはできなかった。 「監獄入れば死なずにすむ」……その言葉信じて、父だけでなくムクドリや母でさえも警察(クレロン)に売ろうとしていた(両親には軽い処罰望んでいたが、ムクドリ憎悪対象であったので、しかるべき刑罰望んでいた)。しかし、父には死なれ、妹の作戦ムクドリには逃げられた。さらに、愛していたニコレットには舞台裏で諭され、頼りにしていたクレロンを射殺したパジョルには脅され結局、母を警察に渡すことはできなかった。 すべてを反省した彼は、1867年3月ブーローニュで《ジェラールの宿》を手伝コゼット再会する。そこで実の娘(=次女ヴァランティナにも出逢うエポニーヌ=オルターンスらと別れ独りになった彼はマリユスの許しを得る。そして、イギリスにいるであろうニコレットに会うためイギリスへ渡る。 ファンティーヌ・ポンメルシー 1836年コゼットとマリユスの間に生まれた娘。ジャン=リュックの妹。本名ファンティーヌマリ=ルイーズ・ポンメルシー。子供時代は兄に隠れて目立たない子だったが、その分観察眼優れていた。茶色い瞳で世間深く見つめ、何事にも意見持っている少女であった少女時代修道院過ごしたコゼットの「宗教という名の砂糖漬けボンボンにしたくないため」という表立った理由から(※実際ファンティーヌ手元置いておきたいという理由から)、家庭教師のもとで自宅勉強することになる。兄とは違ってあまりごねたりしない性格だが、一度だけ、「男みたいにラテン語数学など勉強したくない」とごねたことがあった。しかし、両親説得もあって男性変わりない教育を受けるうになる最初ムクドリを《乞食》とか《泥棒呼ばわりしさげすんでいたが、付き合い長くなってきたある夜、自宅にやって来たムクドリラ・フォンテーヌの本『寓話詩』を貸した(この時、ムクドリ本名がガブリエル・ラスコーであることを知る)。それ以来ムクドリ勉強教えてゆき、この“年上生徒”を愛するようになっていく。 しかし、15歳のとき、父が死去。母と兄をパリ残しマダム・カレーム一緒にイギリスへ逃亡することになってしまう。フランス語家庭教師料理人仕事をして生計立てルイ・ナポレオン取り入ろうとしている非現実的な兄を手紙非難する10年間の逃亡生活フランス流行コルセットペチコートからフープスカートへ変わってしまったが、尊敬にすら値しない夫妻の住む邸宅肩身の狭い思いしながら流行慣れ、どうにかついていく両親最初に出逢ったリュクサンブール公園ガブリエル再会した彼女は、彼に愛を告白する。 そして、兄の愛人であり母の雇い主でもあるニコレット計らいで、母と死んだはずの父と再会したのを契機に、アルジャントゥイユにあるニコレット別荘“ベネディクティーヌ・フォリー”の料理人「マダム・ペコー」として生きていくようになるムクドリ事実婚をしたのもこの頃である。 数年後ブーローニュ移住。マダム・ジェラールが亡くなったジェラールの宿》で料理切り盛りするうになるマダム・カレームの下で料理学んだこともあり、その腕は一流ムクドリとの間に息子一人いる。 テオ・ジルノルマン マリユスのまたいとこ。『レ・ミゼラブル』では《テオデュール》と呼ばれている。『ラ・リュミエール』紙の記者のひとり。元軍人愛想良い話し好きな男。 軍を辞めてからは懐古主義者になってしまい、やがて、ルイ・ナポレオンの息のかかった新聞社記者として引き抜かれるコゼット修道院時代同級生ソフィー結婚するアデレード・ジルノルマン ジルノルマン氏の長女で、マリユスの伯母ジャン=リュックファンティーヌにとっては大伯母にあたる女性原作では《ジルノルマン嬢》という名で登場敬虔なカトリック信徒で、胸と腰にロザリオをつけている。独身原作ではテオ溺愛していたが、こちらではジャン=リュックとことん溺愛する甘やかすだけ甘やかしたため、その育て方ジャン=リュック軽薄どうしようもない人間にしてしまう原因になる。 二月革命および6月暴動フランス第二帝政始まりによる家族離散停められなかった。混乱恐怖のなか、ひっそりと生きていたが、1853年10月他界マダム・カレーム ポンメルシー夫妻結婚披露宴以来、ポンメルシー家専属となっている女性シェフ本名ジャンヌ=ルイーズ・ポワラール。石工のような強靭な腕と尼僧のような繊細な指先動きを持つ、豊満な女性ファンティーヌとはともに食事をとる間柄で、非常に仲が良い当時フランス著名なシェフだったカレームのもとで下働きしており、皿洗いしながら持ち前の鋭い観察眼駆使してカレーム持てる技術をすべて学んでしまった。 最初口の悪い礼儀知らずムクドリを《泥棒呼ばわりし、あまり良く思っていなかったが、徐々に態度軟化させていく。そして、最初出逢いから3年経った1851年には、信頼できる存在として彼のことを見るようになるイギリスではファンティーヌの師として、彼女とともに料理人として活躍するうになるファンティーヌフランスへ帰ったが、自身イギリス残った模様ヴァランティナ ジャン=リュックニコレット・ローリオの間に生まれた娘であり、ポンメルシー夫妻孫娘でもある。名前は重労働のため、若くして過労死したニコレットの姉からとった。ブロンド灰色の瞳を持つ、母に生き写し美少女。幼いながらも、ブーローニュの《ジェラールの宿》で、経営者のムッシュー・ジェラールや祖母の手伝いをしている。その土地柄のおかげか、叔母逃亡生活賜物か、英語が話せる。 その美しさ愛らしさから、世間では「ブーローニュ女王さま」と呼ばれている。 父親ジャン=リュックであることを知らず、「父親天国にいる」と信じきっている。 [ 目次移動する | 先頭移動する ]

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コゼットの家族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 16:07 UTC 版)

コゼット (小説)」の記事における「コゼットの家族」の解説

コゼット・ポンメルシー旧姓:フォーシュルヴァン) 本編の主人公1815年生まれ婚前作られ戸籍では、1815年6月18日生まれとなっている)。1833年にマリユスと結婚し晴れてポンメルシー男爵夫人になる。養父ジャン・ヴァルジャン実母ファンティーヌ実父はフェリックス・トロミエス。ジャン=リュックファンティーヌの母でもある。2人の子供に乳母をつけず、自分の手子供たち育てた弁護士としての仕事思い悩むマリユスに「書く」ことをすすめ、養父ヴァルジャンから相続した60フラン新聞を出すことを提案する社交界では才女のひとりに数えられ、“リオネ”(雌獅子時代先端を行く女)と呼ばれる。マリユスがサント・ペラジー監獄囚われているときは、面会行ったときに受け取ったマリユスのメモをもとに記事を書く。女性ジャーナリズム関わることを嫌うクレロンを嫌悪する1848年1月ある日息子ジャン=リュックの件でアンリー4世中等学校行った帰り道でのこと。ショーケースからパン盗んだ少年ムクドリ》ことガブリエル見つけた彼女は、その姿に若き日養父の姿を見出す。そして、囚われムクドリに代わって盗んだパンを買い、彼を夫の新聞社働かせるうになるムクドリ頼もし存在になっていく一方で実の息子ジャン=リュック放蕩ぶりに夫ともども頭を痛めるようになっていく。 そんな日々送っていた1851年11月末。リュクサンブール公園ジャン=リュック舞台女優ニコレット・ローリオカップルを見つけ、ショック受けてしまう。というのもリュクサンブール公園をマリユスと一緒に訪れたのは、ゼルマの脅迫受けて、母が娼婦であること、宿屋ワーテルロー軍曹』でテナルディエ一家虐待されてきたことを包み隠さず話すためだった。だが、マリユスはジャン=リュックの件を自宅片付けることにし、リュクサンブール公園で彼女の過去全部受け入れてくれた。 1851年12月1日ブーローニュでしばしの休息取っていたが、そこへパリクーデター起きた事を知る。ひとりで行くというマリユスに同行しバリケードで夫に付き添うことにする。しかし、目の前で悲劇味わい19年前、養父一緒に逃亡しようとしていたイギリスへファンティーヌマダム・カレーム逃亡させる自身変装し、《代書屋ヒバリ》としてパリ人々のために手紙書きながら生きていく一方で皇帝ナポレオン3世皮肉った作品世に送り出す《ラ・リュミエール》として生きるまた、あるときはニコレット・ローリオ付き人《メア・キュルパ》、あるときはファンティーヌの母、あるときはマリユスの妻として波乱の時代闇の中でひっそり生きていく。 養父ジャン・ヴァルジャンのように罪人として追われる日々を送る彼女だが、養父同じく人間としての自由と尊厳と愛を失うことなく生きていった。一時死んだかと思われていた夫マリユスの生存を知ると、ムクドリ石工のグランクールの手借りて彼を救出する最終的には夫マリユスと愛を深め合ったブーローニュの《ジェラールの宿》の手伝いをすることで落ち着く(マリユスはもちろん、ファンティーヌ家族同居している)。 1867年3月訪れた息子ジャン=リュックに「許してほしい」と懇願された彼女は、「時が経って思い出乗り越えられれば」と告げる。 マリユス・ポンメルシー コゼットの夫。男爵1810年生まれ。父はナポレオン1世仕えた軍人ジョルジュ・ポンメルシー、母は今は亡きジルノルマン氏の次女ファーストネーム不明)。ジャン=リュックファンティーヌの父。祖父リュック=エスプリ・ジルノルマン伯母アデレード・ジルノルマン育てられる1832年6月暴動こめかみと肩を負傷、その傷のせいで眉が切れており、肩にも傷跡残っている。その氷のごとき正義感生真面目性格から、弁護士仕事矛盾感じ、さらに暴動自分助けてくれたにも関わらず罪人”という理由から敬遠してしまったジャン・ヴァルジャンのことや暴動散った仲間のことを想い、軽いうつ状態になっているところをコゼット救われる。彼女の言葉従い新聞『ラ・リュミエール』紙を発行し始めた彼は、扇動罪で起訴されても監獄収監されても懸命に記事書いていく。状況悪化すればするほど、彼の情熱深まっていく。 やがて、二月革命中心的存在となるが、6月暴動辛酸をなめ、ルイ・ナポレオンという希望を見つけるも、彼にまんまと利用されていたことに気づき怒りをあらわにする。 そして、『ラ・リュミエール』紙の廃刊決めた矢先1851年12月4日、プティ・カロー通りバリケードでヴェルディエやパジョルら1832年6月同志とともに立ち上がる。 彼はこの騒動死んだかと思われていたが、実は生きており、ルイ・ナポレオン収容されたというアム城塞収容されていた。暴動のときに受けた一発銃弾と、軍医のひどい処置により、背中まっすぐにして歩くことが出来なくなってしまった。さらに、監獄でのひどい生活がたたり、リウマチ症状典型である関節炎患っていることが多くなった。 彼の生存知ったコゼットらによって救出された彼は、最初こそ体力消耗し死にかけていたが、コゼットが《メア・キュルパ》として働き始めた頃から栄養状態改善され元気になり始める。 1867年3月逃亡先のブーローニュ執筆活動続けていたところへジャン=リュック現れる以前、死の間際にあったジャン・ヴァルジャンがマリユスを許したように、「今までのことを許してほしい」という我が子を、彼は「自分のために許したジャン・ヴァルジャン コゼット養父1770年生まれ。1本のパン盗んだ罪で19年監獄暮らしをしなければならなかった囚人人間不信に陥っていたとき、ミリエル司祭助けられ更生するコゼットの母ファンティーヌとの約束を果たすため、1823年クリスマスモンフェルメイユコゼット引き取る。すでにファンティーヌこの世去っていたため、彼女の養父となる。様々な事件巻き込まれながらも、イラクサとなって薔薇であるコゼット守り、彼女のために行動し続けてきた。 その正体をマリユスに暴露したことから、コゼット逢う機会がどんどん減っていく。やがて、真実テナルディエから教えられたマリユスによってコゼット再会することができた。が、それは死の間際出来事だった。 没後コゼット生き方影響与え続ける『聖人』。 リュック=エスプリ・ジルノルマン マリユスの祖父で、アデレードの父。1741年生まれ92歳。とてつもなく元気な好色家ブルジョワ。歯が32残っているのを自慢にしており、女の召使い見境なく手をつけるため、彼女たちカモにされていた。子供産まれるたびに彼女たちから「この子旦那様の子供だ」と告げられる子供たち自分の子として認知し子供13歳になるまで養育費支払っていた。 絶対王政時代こよなく愛す王党派で、ボナパルティズム目覚めていたマリユスと反発しあっていた時期があった。しかし、1832年6月暴動でマリユスが瀕死の重傷負ってフィーユ・デュ・カルヴェール通り自邸戻ってきたのを契機に、改め愛する孫への愛情目覚めた彼はマリユスと和解。しかも、マリユスの恋人コゼットひと目惚れこみ、彼女が孤児無一文身の上であり、名門の家の出ではないにもかかわらず2人結婚許してしまう。 好色家だけあって恋愛に関しては非常に寛容。ポンメルシー夫妻結婚披露宴でも愛について満足のいくまで語り明かした1835年曾孫ジャン=リュック誕生見届けて永眠饒舌演説家らしくない静かな最期であったジャン=リュック・ジルノルマン・ポンメルシー 1834年5月2日コゼットとマリユスの間に生まれた息子ファンティーヌの兄。母親譲り青い瞳父親譲りの黒い髪を持つ美男子子供時代誰からも愛され誰からも可愛がられる愛想良い少年だった。特に大伯母アデレードは彼を溺愛しとことん甘やかしたそれゆえ気に入らないことがあるかんしゃくを起こすようになってしまった。 少年時代意志薄弱な『問題児であった。ある振る舞いきっかけで、全寮制だったアンリー4世中等学校退学処分になってしまう。そこで、今度ヴィクトル・ユーゴー通ったルイ・ル・グラン中等学校通学生として入学するが、悪友アルセーヌ・ユヴェとの付き合いはやめられず、ニコレット・ローリオ出逢って恋に落ちる気質思想曾祖父ジルノルマン氏に似ているため、マリユスとコゼット大い悩ませることになる。特にクレロンへの信頼ルイ・ナポレオンへの傾倒ぶりはひどいものであり、同い年ムクドリに強い敵対心抱いている。 やがて、その軽薄幼稚な人間性と親に対して取った行動から、父の知り合いや父のライバルたちから嘲笑されるようになって肩身の狭い思いをしていくようになった彼は、トゥシャール夫人ことゼルマに“救われる”。しかし、それはゼルマの姦計だった。彼女の策略はまった彼は、彼女の娘エポニーヌ=オルターンス結婚長女ルイーズをもうけるも、その結婚生活決して愛に満ちたものと呼べるものではなくニコレットをはじめ、次々と愛人作っていった。そんな生活を送るうちにどんどん堕落していく。 ゼルマの傀儡化した彼は、自身がゼルマの手のひらの上悪友や妻たちと踊らされている環境のなかで、どんどん疲弊していく。だが、ルイ・ナポレオン権威恩恵にさずかり、その日その日楽しくおかしく暮らせる生活から足を洗えないがために、ゼルマに踊らされる生活から抜け出すことはできなかった。 「監獄入れば死なずにすむ」……その言葉信じて、父だけでなくムクドリや母でさえも警察(クレロン)に売ろうとしていた(両親には軽い処罰望んでいたが、ムクドリ憎悪対象であったので、しかるべき刑罰望んでいた)。しかし、父には死なれ、妹の作戦ムクドリには逃げられた。さらに、愛していたニコレットには舞台裏で諭され、頼りにしていたクレロンを射殺したパジョルには脅され結局、母を警察に渡すことはできなかった。 すべてを反省した彼は、1867年3月ブーローニュで《ジェラールの宿》を手伝コゼット再会する。そこで実の娘(=次女ヴァランティナにも出逢うエポニーヌ=オルターンスらと別れ独りになった彼はマリユスの許しを得る。そして、イギリスにいるであろうニコレットに会うためイギリスへ渡る。 ファンティーヌ・ポンメルシー 1836年コゼットとマリユスの間に生まれた娘。ジャン=リュックの妹。本名ファンティーヌマリ=ルイーズ・ポンメルシー。子供時代は兄に隠れて目立たない子だったが、その分観察眼優れていた。茶色い瞳で世間深く見つめ、何事にも意見持っている少女であった少女時代修道院過ごしたコゼットの「宗教という名の砂糖漬けボンボンにしたくないため」という表立った理由から(※実際ファンティーヌ手元置いておきたいという理由から)、家庭教師のもとで自宅勉強することになる。兄とは違ってあまりごねたりしない性格だが、一度だけ、「男みたいにラテン語数学など勉強したくない」とごねたことがあった。しかし、両親説得もあって男性変わりない教育を受けるうになる最初ムクドリを《乞食》とか《泥棒呼ばわりしさげすんでいたが、付き合い長くなってきたある夜、自宅にやって来たムクドリラ・フォンテーヌの本『寓話詩』を貸した(この時、ムクドリ本名がガブリエル・ラスコーであることを知る)。それ以来ムクドリ勉強教えてゆき、この“年上生徒”を愛するようになっていく。 しかし、15歳のとき、父が死去。母と兄をパリ残しマダム・カレーム一緒にイギリスへ逃亡することになってしまう。フランス語家庭教師料理人仕事をして生計立てルイ・ナポレオン取り入ろうとしている非現実的な兄を手紙非難する10年間の逃亡生活フランス流行コルセットペチコートからフープスカートへ変わってしまったが、尊敬にすら値しない夫妻の住む邸宅肩身の狭い思いしながら流行慣れ、どうにかついていく両親最初に出逢ったリュクサンブール公園ガブリエル再会した彼女は、彼に愛を告白する。 そして、兄の愛人であり母の雇い主でもあるニコレット計らいで、母と死んだはずの父と再会したのを契機に、アルジャントゥイユにあるニコレット別荘“ベネディクティーヌ・フォリー”の料理人「マダム・ペコー」として生きていくようになるムクドリ事実婚をしたのもこの頃である。 数年後ブーローニュ移住。マダム・ジェラールが亡くなったジェラールの宿》で料理切り盛りするうになるマダム・カレームの下で料理学んだこともあり、その腕は一流ムクドリとの間に息子一人いる。 テオ・ジルノルマン マリユスのまたいとこ。『レ・ミゼラブル』では《テオデュール》と呼ばれている。『ラ・リュミエール』紙の記者のひとり。元軍人愛想良い話し好きな男。 軍を辞めてからは懐古主義者になってしまい、やがて、ルイ・ナポレオンの息のかかった新聞社記者として引き抜かれるコゼット修道院時代同級生ソフィー結婚するアデレード・ジルノルマン ジルノルマン氏の長女で、マリユスの伯母ジャン=リュックファンティーヌにとっては大伯母にあたる女性原作では《ジルノルマン嬢》という名で登場敬虔なカトリック信徒で、胸と腰にロザリオをつけている。独身原作ではテオ溺愛していたが、こちらではジャン=リュックとことん溺愛する甘やかすだけ甘やかしたため、その育て方ジャン=リュック軽薄どうしようもない人間にしてしまう原因になる。 二月革命および6月暴動フランス第二帝政始まりによる家族離散停められなかった。混乱恐怖のなか、ひっそりと生きていたが、1853年10月他界マダム・カレーム ポンメルシー夫妻結婚披露宴以来、ポンメルシー家専属となっている女性シェフ本名ジャンヌ=ルイーズ・ポワラール。石工のような強靭な腕と尼僧のような繊細な指先動きを持つ、豊満な女性ファンティーヌとはともに食事をとる間柄で、非常に仲が良い当時フランス著名なシェフだったカレームのもとで下働きしており、皿洗いしながら持ち前の鋭い観察眼駆使してカレーム持てる技術をすべて学んでしまった。 最初口の悪い礼儀知らずムクドリを《泥棒呼ばわりし、あまり良く思っていなかったが、徐々に態度軟化させていく。そして、最初出逢いから3年経った1851年には、信頼できる存在として彼のことを見るようになるイギリスではファンティーヌの師として、彼女とともに料理人として活躍するうになるファンティーヌフランスへ帰ったが、自身イギリス残った模様ヴァランティナ ジャン=リュックニコレット・ローリオの間に生まれた娘であり、ポンメルシー夫妻孫娘でもある。名前は重労働のため、若くして過労死したニコレットの姉からとった。ブロンド灰色の瞳を持つ、母に生き写し美少女。幼いながらも、ブーローニュの《ジェラールの宿》で、経営者のムッシュー・ジェラールや祖母の手伝いをしている。その土地柄のおかげか、叔母逃亡生活賜物か、英語が話せる。 その美しさ愛らしさから、世間では「ブーローニュ女王さま」と呼ばれている。 父親ジャン=リュックであることを知らず、「父親天国にいる」と信じきっている。 [先頭へ戻る]

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