コゼットの家族
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コゼット・ポンメルシー(旧姓:フォーシュルヴァン) 本編の主人公。1815年生まれ(婚前に作られた戸籍では、1815年6月18日生まれとなっている)。1833年にマリユスと結婚し、晴れてポンメルシー男爵夫人になる。養父はジャン・ヴァルジャン、実母はファンティーヌ。実父はフェリックス・トロミエス。ジャン=リュックとファンティーヌの母でもある。2人の子供には乳母をつけず、自分の手で子供たちを育てた。 弁護士としての仕事に思い悩むマリユスに「書く」ことをすすめ、養父ヴァルジャンから相続した60万フランで新聞を出すことを提案する。社交界では才女のひとりに数えられ、“リオネ”(雌獅子。時代の先端を行く女)と呼ばれる。マリユスがサント・ペラジー監獄に囚われているときは、面会に行ったときに受け取ったマリユスのメモをもとに記事を書く。女性がジャーナリズムに関わることを嫌うクレロンを嫌悪する。 1848年1月のある日、息子ジャン=リュックの件でアンリー4世中等学校に行った帰り道でのこと。ショーケースからパンを盗んだ少年《ムクドリ》ことガブリエルを見つけた彼女は、その姿に若き日の養父の姿を見出す。そして、囚われのムクドリに代わって盗んだパンを買い、彼を夫の新聞社で働かせるようになる。ムクドリが頼もしい存在になっていく一方で、実の息子ジャン=リュックの放蕩ぶりに夫ともども頭を痛めるようになっていく。 そんな日々を送っていた1851年11月末。リュクサンブール公園でジャン=リュックと舞台女優ニコレット・ローリオのカップルを見つけ、ショックを受けてしまう。というのも、リュクサンブール公園をマリユスと一緒に訪れたのは、ゼルマの脅迫を受けて、母が娼婦であること、宿屋『ワーテルローの軍曹』でテナルディエ一家に虐待されてきたことを包み隠さず話すためだった。だが、マリユスはジャン=リュックの件を自宅で片付けることにし、リュクサンブール公園で彼女の過去を全部受け入れてくれた。 1851年12月1日、ブーローニュでしばしの休息を取っていたが、そこへパリでクーデターが起きた事を知る。ひとりで行くというマリユスに同行し、バリケードで夫に付き添うことにする。しかし、目の前で悲劇を味わい、19年前、養父と一緒に逃亡しようとしていたイギリスへ、ファンティーヌとマダム・カレームを逃亡させる。自身は変装し、《代書屋のヒバリ》としてパリで人々のために手紙を書きながら生きていく一方で、皇帝ナポレオン3世を皮肉った作品を世に送り出す《ラ・リュミエール》として生きる。また、あるときはニコレット・ローリオの付き人《メア・キュルパ》、あるときはファンティーヌの母、あるときはマリユスの妻として波乱の時代を闇の中でひっそり生きていく。 養父ジャン・ヴァルジャンのように罪人として追われる日々を送る彼女だが、養父と同じく、人間としての自由と尊厳と愛を失うことなく生きていった。一時は死んだかと思われていた夫マリユスの生存を知ると、ムクドリや石工のグランクールの手を借りて彼を救出する。 最終的には夫マリユスと愛を深め合ったブーローニュの《ジェラールの宿》の手伝いをすることで落ち着く(マリユスはもちろん、ファンティーヌの家族と同居している)。 1867年3月に訪れた息子ジャン=リュックに「許してほしい」と懇願された彼女は、「時が経って思い出を乗り越えられれば」と告げる。 マリユス・ポンメルシー コゼットの夫。男爵。1810年生まれ。父はナポレオン1世に仕えた軍人ジョルジュ・ポンメルシー、母は今は亡きジルノルマン氏の次女(ファーストネーム不明)。ジャン=リュックとファンティーヌの父。祖父リュック=エスプリ・ジルノルマンと伯母アデレード・ジルノルマンに育てられる。 1832年6月の暴動でこめかみと肩を負傷、その傷のせいで眉が切れており、肩にも傷跡が残っている。その氷のごとき正義感と生真面目な性格から、弁護士の仕事に矛盾を感じ、さらに暴動で自分を助けてくれたにも関わらず“罪人”という理由から敬遠してしまったジャン・ヴァルジャンのことや暴動で散った仲間のことを想い、軽いうつ状態になっているところを、コゼットに救われる。彼女の言葉に従い、新聞『ラ・リュミエール』紙を発行し始めた彼は、扇動罪で起訴されても監獄に収監されても懸命に記事を書いていく。状況が悪化すればするほど、彼の情熱は深まっていく。 やがて、二月革命の中心的存在となるが、6月の暴動で辛酸をなめ、ルイ・ナポレオンという希望を見つけるも、彼にまんまと利用されていたことに気づき怒りをあらわにする。 そして、『ラ・リュミエール』紙の廃刊を決めた矢先の1851年12月4日、プティ・カロー通りのバリケードでヴェルディエやパジョルら1832年6月の同志とともに立ち上がる。 彼はこの騒動で死んだかと思われていたが、実は生きており、ルイ・ナポレオンも収容されたというアムの城塞に収容されていた。暴動のときに受けた一発の銃弾と、軍医のひどい処置により、背中をまっすぐにして歩くことが出来なくなってしまった。さらに、監獄でのひどい生活がたたり、リウマチの症状の典型である関節炎を患っていることが多くなった。 彼の生存を知ったコゼットらによって救出された彼は、最初こそ体力を消耗し、死にかけていたが、コゼットが《メア・キュルパ》として働き始めた頃から栄養状態が改善され、元気になり始める。 1867年3月、逃亡先のブーローニュで執筆活動を続けていたところへジャン=リュックが現れる。以前、死の間際にあったジャン・ヴァルジャンがマリユスを許したように、「今までのことを許してほしい」という我が子を、彼は「自分のために」許した。 ジャン・ヴァルジャン コゼットの養父。1770年生まれ。1本のパンを盗んだ罪で19年も監獄暮らしをしなければならなかった囚人。人間不信に陥っていたとき、ミリエル司祭に助けられ、更生する。 コゼットの母ファンティーヌとの約束を果たすため、1823年のクリスマス、モンフェルメイユでコゼットを引き取る。すでにファンティーヌがこの世を去っていたため、彼女の養父となる。様々な事件に巻き込まれながらも、イラクサとなって薔薇であるコゼットを守り、彼女のために行動し続けてきた。 その正体をマリユスに暴露したことから、コゼットに逢う機会がどんどん減っていく。やがて、真実をテナルディエから教えられたマリユスによってコゼットと再会することができた。が、それは死の間際の出来事だった。 没後もコゼットの生き方に影響を与え続ける『聖人』。 リュック=エスプリ・ジルノルマン マリユスの祖父で、アデレードの父。1741年生まれの92歳。とてつもなく元気な好色家のブルジョワ。歯が32本残っているのを自慢にしており、女の召使いに見境なく手をつけるため、彼女たちにカモにされていた。子供が産まれるたびに彼女たちから「この子は旦那様の子供だ」と告げられると子供たちを自分の子として認知し、子供が13歳になるまで養育費を支払っていた。 絶対王政時代をこよなく愛する王党派で、ボナパルティズムに目覚めていたマリユスと反発しあっていた時期があった。しかし、1832年6月の暴動でマリユスが瀕死の重傷を負ってフィーユ・デュ・カルヴェール通りの自邸に戻ってきたのを契機に、改めて愛する孫への愛情に目覚めた彼はマリユスと和解。しかも、マリユスの恋人コゼットにひと目で惚れこみ、彼女が孤児で無一文の身の上であり、名門の家の出ではないにもかかわらず、2人の結婚を許してしまう。 好色家だけあって、恋愛に関しては非常に寛容。ポンメルシー夫妻の結婚披露宴でも愛について満足のいくまで語り明かした。 1835年、曾孫ジャン=リュックの誕生を見届けて永眠。饒舌な演説家らしくない静かな最期であった。 ジャン=リュック・ジルノルマン・ポンメルシー 1834年5月2日、コゼットとマリユスの間に生まれた息子。ファンティーヌの兄。母親譲りの青い瞳と父親譲りの黒い髪を持つ美男子。子供時代は誰からも愛され、誰からも可愛がられる、愛想の良い少年だった。特に大伯母アデレードは彼を溺愛し、とことん甘やかした。それゆえ、気に入らないことがあるとかんしゃくを起こすようになってしまった。 少年時代は意志薄弱な『問題児』であった。ある振る舞いがきっかけで、全寮制だったアンリー4世中等学校を退学処分になってしまう。そこで、今度はヴィクトル・ユーゴーも通ったルイ・ル・グラン中等学校に通学生として入学するが、悪友アルセーヌ・ユヴェとの付き合いはやめられず、ニコレット・ローリオに出逢って恋に落ちる。 気質も思想も曾祖父ジルノルマン氏に似ているため、マリユスとコゼットを大いに悩ませることになる。特にクレロンへの信頼とルイ・ナポレオンへの傾倒ぶりはひどいものであり、同い年のムクドリに強い敵対心を抱いている。 やがて、その軽薄で幼稚な人間性と親に対して取った行動から、父の知り合いや父のライバルたちから嘲笑されるようになって肩身の狭い思いをしていくようになった彼は、トゥシャール夫人ことゼルマに“救われる”。しかし、それはゼルマの姦計だった。彼女の策略にはまった彼は、彼女の娘エポニーヌ=オルターンスと結婚。長女ルイーズをもうけるも、その結婚生活は決して愛に満ちたものと呼べるものではなく、ニコレットをはじめ、次々と愛人を作っていった。そんな生活を送るうちにどんどん堕落していく。 ゼルマの傀儡と化した彼は、自身がゼルマの手のひらの上で悪友や妻たちと踊らされている環境のなかで、どんどん疲弊していく。だが、ルイ・ナポレオンの権威の恩恵にさずかり、その日その日を楽しくおかしく暮らせる生活から足を洗えないがために、ゼルマに踊らされる生活から抜け出すことはできなかった。 「監獄に入れば死なずにすむ」……その言葉を信じて、父だけでなくムクドリや母でさえも警察(クレロン)に売ろうとしていた(両親には軽い処罰を望んでいたが、ムクドリは憎悪の対象であったので、しかるべき刑罰を望んでいた)。しかし、父には死なれ、妹の作戦でムクドリには逃げられた。さらに、愛していたニコレットには舞台裏で諭され、頼りにしていたクレロンを射殺したパジョルには脅され、結局、母を警察に渡すことはできなかった。 すべてを反省した彼は、1867年3月、ブーローニュで《ジェラールの宿》を手伝うコゼットに再会する。そこで実の娘(=次女)ヴァランティナにも出逢う。エポニーヌ=オルターンスらと別れ、独りになった彼はマリユスの許しを得る。そして、イギリスにいるであろうニコレットに会うためイギリスへ渡る。 ファンティーヌ・ポンメルシー 1836年、コゼットとマリユスの間に生まれた娘。ジャン=リュックの妹。本名:ファンティーヌ=マリ=ルイーズ・ポンメルシー。子供時代は兄に隠れて目立たない子だったが、その分観察眼が優れていた。茶色い瞳で世間を深く見つめ、何事にも意見を持っている少女であった。 少女時代を修道院で過ごしたコゼットの「宗教という名の砂糖漬けのボンボンにしたくないため」という表立った理由から(※実際はファンティーヌを手元に置いておきたいという理由から)、家庭教師のもとで自宅で勉強することになる。兄とは違ってあまりごねたりしない性格だが、一度だけ、「男みたいにラテン語や数学など勉強したくない」とごねたことがあった。しかし、両親の説得もあって男性と変わりない教育を受けるようになる。 最初はムクドリを《乞食》とか《泥棒》呼ばわりしてさげすんでいたが、付き合いが長くなってきたある夜、自宅にやって来たムクドリにラ・フォンテーヌの本『寓話詩』を貸した(この時、ムクドリの本名がガブリエル・ラスコーであることを知る)。それ以来、ムクドリに勉強を教えてゆき、この“年上の生徒”を愛するようになっていく。 しかし、15歳のとき、父が死去。母と兄をパリに残し、マダム・カレームと一緒にイギリスへ逃亡することになってしまう。フランス語の家庭教師や料理人の仕事をして生計を立て、ルイ・ナポレオンに取り入ろうとしている非現実的な兄を手紙で非難する。10年間の逃亡生活でフランスの流行がコルセットとペチコートからフープスカートへ変わってしまったが、尊敬にすら値しない兄夫妻の住む邸宅で肩身の狭い思いをしながらも流行に慣れ、どうにかついていく。両親が最初に出逢ったリュクサンブール公園でガブリエルに再会した彼女は、彼に愛を告白する。 そして、兄の愛人であり母の雇い主でもあるニコレットの計らいで、母と死んだはずの父と再会したのを契機に、アルジャントゥイユにあるニコレットの別荘“ベネディクティーヌ・フォリー”の料理人「マダム・ペコー」として生きていくようになる。ムクドリと事実婚をしたのもこの頃である。 数年後、ブーローニュに移住。マダム・ジェラールが亡くなった《ジェラールの宿》で料理を切り盛りするようになる。マダム・カレームの下で料理を学んだこともあり、その腕は一流。ムクドリとの間に息子が一人いる。 テオ・ジルノルマン マリユスのまたいとこ。『レ・ミゼラブル』では《テオデュール》と呼ばれている。『ラ・リュミエール』紙の記者のひとり。元軍人。愛想の良い話し好きな男。 軍を辞めてからは懐古主義者になってしまい、やがて、ルイ・ナポレオンの息のかかった新聞社の記者として引き抜かれる。 コゼットの修道院時代の同級生ソフィーと結婚する。 アデレード・ジルノルマン ジルノルマン氏の長女で、マリユスの伯母。ジャン=リュックとファンティーヌにとっては大伯母にあたる女性。原作では《ジルノルマン嬢》という名で登場。敬虔なカトリック信徒で、胸と腰にロザリオをつけている。独身。 原作ではテオを溺愛していたが、こちらではジャン=リュックをとことん溺愛する。甘やかすだけ甘やかしたため、その育て方がジャン=リュックを軽薄でどうしようもない人間にしてしまう原因になる。 二月革命および6月の暴動、フランス第二帝政の始まりによる家族の離散を停められなかった。混乱と恐怖のなか、ひっそりと生きていたが、1853年10月に他界。 マダム・カレーム ポンメルシー夫妻の結婚披露宴以来、ポンメルシー家専属となっている女性シェフ。本名はジャンヌ=ルイーズ・ポワラール。石工のような強靭な腕と尼僧のような繊細な指先の動きを持つ、豊満な女性。ファンティーヌとはともに食事をとる間柄で、非常に仲が良い。 当時フランスの著名なシェフだったカレームのもとで下働きしており、皿洗いをしながら、持ち前の鋭い観察眼を駆使して、カレームの持てる技術をすべて学んでしまった。 最初は口の悪い礼儀知らずのムクドリを《泥棒》呼ばわりし、あまり良く思っていなかったが、徐々に態度を軟化させていく。そして、最初の出逢いから3年が経った1851年には、信頼できる存在として彼のことを見るようになる。 イギリスではファンティーヌの師として、彼女とともに料理人として活躍するようになる。ファンティーヌはフランスへ帰ったが、自身はイギリスに残った模様。 ヴァランティナ ジャン=リュックとニコレット・ローリオの間に生まれた娘であり、ポンメルシー夫妻の孫娘でもある。名前は重労働のため、若くして過労死したニコレットの姉からとった。ブロンドと灰色の瞳を持つ、母に生き写しの美少女。幼いながらも、ブーローニュの《ジェラールの宿》で、経営者のムッシュー・ジェラールや祖母の手伝いをしている。その土地柄のおかげか、叔母の逃亡生活の賜物か、英語が話せる。 その美しさと愛らしさから、世間では「ブーローニュの女王さま」と呼ばれている。 父親がジャン=リュックであることを知らず、「父親は天国にいる」と信じきっている。 [ 目次へ移動する | 先頭へ移動する ]
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コゼット・ポンメルシー(旧姓:フォーシュルヴァン) 本編の主人公。1815年生まれ(婚前に作られた戸籍では、1815年6月18日生まれとなっている)。1833年にマリユスと結婚し、晴れてポンメルシー男爵夫人になる。養父はジャン・ヴァルジャン、実母はファンティーヌ。実父はフェリックス・トロミエス。ジャン=リュックとファンティーヌの母でもある。2人の子供には乳母をつけず、自分の手で子供たちを育てた。 弁護士としての仕事に思い悩むマリユスに「書く」ことをすすめ、養父ヴァルジャンから相続した60万フランで新聞を出すことを提案する。社交界では才女のひとりに数えられ、“リオネ”(雌獅子。時代の先端を行く女)と呼ばれる。マリユスがサント・ペラジー監獄に囚われているときは、面会に行ったときに受け取ったマリユスのメモをもとに記事を書く。女性がジャーナリズムに関わることを嫌うクレロンを嫌悪する。 1848年1月のある日、息子ジャン=リュックの件でアンリー4世中等学校に行った帰り道でのこと。ショーケースからパンを盗んだ少年《ムクドリ》ことガブリエルを見つけた彼女は、その姿に若き日の養父の姿を見出す。そして、囚われのムクドリに代わって盗んだパンを買い、彼を夫の新聞社で働かせるようになる。ムクドリが頼もしい存在になっていく一方で、実の息子ジャン=リュックの放蕩ぶりに夫ともども頭を痛めるようになっていく。 そんな日々を送っていた1851年11月末。リュクサンブール公園でジャン=リュックと舞台女優ニコレット・ローリオのカップルを見つけ、ショックを受けてしまう。というのも、リュクサンブール公園をマリユスと一緒に訪れたのは、ゼルマの脅迫を受けて、母が娼婦であること、宿屋『ワーテルローの軍曹』でテナルディエ一家に虐待されてきたことを包み隠さず話すためだった。だが、マリユスはジャン=リュックの件を自宅で片付けることにし、リュクサンブール公園で彼女の過去を全部受け入れてくれた。 1851年12月1日、ブーローニュでしばしの休息を取っていたが、そこへパリでクーデターが起きた事を知る。ひとりで行くというマリユスに同行し、バリケードで夫に付き添うことにする。しかし、目の前で悲劇を味わい、19年前、養父と一緒に逃亡しようとしていたイギリスへ、ファンティーヌとマダム・カレームを逃亡させる。自身は変装し、《代書屋のヒバリ》としてパリで人々のために手紙を書きながら生きていく一方で、皇帝ナポレオン3世を皮肉った作品を世に送り出す《ラ・リュミエール》として生きる。また、あるときはニコレット・ローリオの付き人《メア・キュルパ》、あるときはファンティーヌの母、あるときはマリユスの妻として波乱の時代を闇の中でひっそり生きていく。 養父ジャン・ヴァルジャンのように罪人として追われる日々を送る彼女だが、養父と同じく、人間としての自由と尊厳と愛を失うことなく生きていった。一時は死んだかと思われていた夫マリユスの生存を知ると、ムクドリや石工のグランクールの手を借りて彼を救出する。 最終的には夫マリユスと愛を深め合ったブーローニュの《ジェラールの宿》の手伝いをすることで落ち着く(マリユスはもちろん、ファンティーヌの家族と同居している)。 1867年3月に訪れた息子ジャン=リュックに「許してほしい」と懇願された彼女は、「時が経って思い出を乗り越えられれば」と告げる。 マリユス・ポンメルシー コゼットの夫。男爵。1810年生まれ。父はナポレオン1世に仕えた軍人ジョルジュ・ポンメルシー、母は今は亡きジルノルマン氏の次女(ファーストネーム不明)。ジャン=リュックとファンティーヌの父。祖父リュック=エスプリ・ジルノルマンと伯母アデレード・ジルノルマンに育てられる。 1832年6月の暴動でこめかみと肩を負傷、その傷のせいで眉が切れており、肩にも傷跡が残っている。その氷のごとき正義感と生真面目な性格から、弁護士の仕事に矛盾を感じ、さらに暴動で自分を助けてくれたにも関わらず“罪人”という理由から敬遠してしまったジャン・ヴァルジャンのことや暴動で散った仲間のことを想い、軽いうつ状態になっているところを、コゼットに救われる。彼女の言葉に従い、新聞『ラ・リュミエール』紙を発行し始めた彼は、扇動罪で起訴されても監獄に収監されても懸命に記事を書いていく。状況が悪化すればするほど、彼の情熱は深まっていく。 やがて、二月革命の中心的存在となるが、6月の暴動で辛酸をなめ、ルイ・ナポレオンという希望を見つけるも、彼にまんまと利用されていたことに気づき怒りをあらわにする。 そして、『ラ・リュミエール』紙の廃刊を決めた矢先の1851年12月4日、プティ・カロー通りのバリケードでヴェルディエやパジョルら1832年6月の同志とともに立ち上がる。 彼はこの騒動で死んだかと思われていたが、実は生きており、ルイ・ナポレオンも収容されたというアムの城塞に収容されていた。暴動のときに受けた一発の銃弾と、軍医のひどい処置により、背中をまっすぐにして歩くことが出来なくなってしまった。さらに、監獄でのひどい生活がたたり、リウマチの症状の典型である関節炎を患っていることが多くなった。 彼の生存を知ったコゼットらによって救出された彼は、最初こそ体力を消耗し、死にかけていたが、コゼットが《メア・キュルパ》として働き始めた頃から栄養状態が改善され、元気になり始める。 1867年3月、逃亡先のブーローニュで執筆活動を続けていたところへジャン=リュックが現れる。以前、死の間際にあったジャン・ヴァルジャンがマリユスを許したように、「今までのことを許してほしい」という我が子を、彼は「自分のために」許した。 ジャン・ヴァルジャン コゼットの養父。1770年生まれ。1本のパンを盗んだ罪で19年も監獄暮らしをしなければならなかった囚人。人間不信に陥っていたとき、ミリエル司祭に助けられ、更生する。 コゼットの母ファンティーヌとの約束を果たすため、1823年のクリスマス、モンフェルメイユでコゼットを引き取る。すでにファンティーヌがこの世を去っていたため、彼女の養父となる。様々な事件に巻き込まれながらも、イラクサとなって薔薇であるコゼットを守り、彼女のために行動し続けてきた。 その正体をマリユスに暴露したことから、コゼットに逢う機会がどんどん減っていく。やがて、真実をテナルディエから教えられたマリユスによってコゼットと再会することができた。が、それは死の間際の出来事だった。 没後もコゼットの生き方に影響を与え続ける『聖人』。 リュック=エスプリ・ジルノルマン マリユスの祖父で、アデレードの父。1741年生まれの92歳。とてつもなく元気な好色家のブルジョワ。歯が32本残っているのを自慢にしており、女の召使いに見境なく手をつけるため、彼女たちにカモにされていた。子供が産まれるたびに彼女たちから「この子は旦那様の子供だ」と告げられると子供たちを自分の子として認知し、子供が13歳になるまで養育費を支払っていた。 絶対王政時代をこよなく愛する王党派で、ボナパルティズムに目覚めていたマリユスと反発しあっていた時期があった。しかし、1832年6月の暴動でマリユスが瀕死の重傷を負ってフィーユ・デュ・カルヴェール通りの自邸に戻ってきたのを契機に、改めて愛する孫への愛情に目覚めた彼はマリユスと和解。しかも、マリユスの恋人コゼットにひと目で惚れこみ、彼女が孤児で無一文の身の上であり、名門の家の出ではないにもかかわらず、2人の結婚を許してしまう。 好色家だけあって、恋愛に関しては非常に寛容。ポンメルシー夫妻の結婚披露宴でも愛について満足のいくまで語り明かした。 1835年、曾孫ジャン=リュックの誕生を見届けて永眠。饒舌な演説家らしくない静かな最期であった。 ジャン=リュック・ジルノルマン・ポンメルシー 1834年5月2日、コゼットとマリユスの間に生まれた息子。ファンティーヌの兄。母親譲りの青い瞳と父親譲りの黒い髪を持つ美男子。子供時代は誰からも愛され、誰からも可愛がられる、愛想の良い少年だった。特に大伯母アデレードは彼を溺愛し、とことん甘やかした。それゆえ、気に入らないことがあるとかんしゃくを起こすようになってしまった。 少年時代は意志薄弱な『問題児』であった。ある振る舞いがきっかけで、全寮制だったアンリー4世中等学校を退学処分になってしまう。そこで、今度はヴィクトル・ユーゴーも通ったルイ・ル・グラン中等学校に通学生として入学するが、悪友アルセーヌ・ユヴェとの付き合いはやめられず、ニコレット・ローリオに出逢って恋に落ちる。 気質も思想も曾祖父ジルノルマン氏に似ているため、マリユスとコゼットを大いに悩ませることになる。特にクレロンへの信頼とルイ・ナポレオンへの傾倒ぶりはひどいものであり、同い年のムクドリに強い敵対心を抱いている。 やがて、その軽薄で幼稚な人間性と親に対して取った行動から、父の知り合いや父のライバルたちから嘲笑されるようになって肩身の狭い思いをしていくようになった彼は、トゥシャール夫人ことゼルマに“救われる”。しかし、それはゼルマの姦計だった。彼女の策略にはまった彼は、彼女の娘エポニーヌ=オルターンスと結婚。長女ルイーズをもうけるも、その結婚生活は決して愛に満ちたものと呼べるものではなく、ニコレットをはじめ、次々と愛人を作っていった。そんな生活を送るうちにどんどん堕落していく。 ゼルマの傀儡と化した彼は、自身がゼルマの手のひらの上で悪友や妻たちと踊らされている環境のなかで、どんどん疲弊していく。だが、ルイ・ナポレオンの権威の恩恵にさずかり、その日その日を楽しくおかしく暮らせる生活から足を洗えないがために、ゼルマに踊らされる生活から抜け出すことはできなかった。 「監獄に入れば死なずにすむ」……その言葉を信じて、父だけでなくムクドリや母でさえも警察(クレロン)に売ろうとしていた(両親には軽い処罰を望んでいたが、ムクドリは憎悪の対象であったので、しかるべき刑罰を望んでいた)。しかし、父には死なれ、妹の作戦でムクドリには逃げられた。さらに、愛していたニコレットには舞台裏で諭され、頼りにしていたクレロンを射殺したパジョルには脅され、結局、母を警察に渡すことはできなかった。 すべてを反省した彼は、1867年3月、ブーローニュで《ジェラールの宿》を手伝うコゼットに再会する。そこで実の娘(=次女)ヴァランティナにも出逢う。エポニーヌ=オルターンスらと別れ、独りになった彼はマリユスの許しを得る。そして、イギリスにいるであろうニコレットに会うためイギリスへ渡る。 ファンティーヌ・ポンメルシー 1836年、コゼットとマリユスの間に生まれた娘。ジャン=リュックの妹。本名:ファンティーヌ=マリ=ルイーズ・ポンメルシー。子供時代は兄に隠れて目立たない子だったが、その分観察眼が優れていた。茶色い瞳で世間を深く見つめ、何事にも意見を持っている少女であった。 少女時代を修道院で過ごしたコゼットの「宗教という名の砂糖漬けのボンボンにしたくないため」という表立った理由から(※実際はファンティーヌを手元に置いておきたいという理由から)、家庭教師のもとで自宅で勉強することになる。兄とは違ってあまりごねたりしない性格だが、一度だけ、「男みたいにラテン語や数学など勉強したくない」とごねたことがあった。しかし、両親の説得もあって男性と変わりない教育を受けるようになる。 最初はムクドリを《乞食》とか《泥棒》呼ばわりしてさげすんでいたが、付き合いが長くなってきたある夜、自宅にやって来たムクドリにラ・フォンテーヌの本『寓話詩』を貸した(この時、ムクドリの本名がガブリエル・ラスコーであることを知る)。それ以来、ムクドリに勉強を教えてゆき、この“年上の生徒”を愛するようになっていく。 しかし、15歳のとき、父が死去。母と兄をパリに残し、マダム・カレームと一緒にイギリスへ逃亡することになってしまう。フランス語の家庭教師や料理人の仕事をして生計を立て、ルイ・ナポレオンに取り入ろうとしている非現実的な兄を手紙で非難する。10年間の逃亡生活でフランスの流行がコルセットとペチコートからフープスカートへ変わってしまったが、尊敬にすら値しない兄夫妻の住む邸宅で肩身の狭い思いをしながらも流行に慣れ、どうにかついていく。両親が最初に出逢ったリュクサンブール公園でガブリエルに再会した彼女は、彼に愛を告白する。 そして、兄の愛人であり母の雇い主でもあるニコレットの計らいで、母と死んだはずの父と再会したのを契機に、アルジャントゥイユにあるニコレットの別荘“ベネディクティーヌ・フォリー”の料理人「マダム・ペコー」として生きていくようになる。ムクドリと事実婚をしたのもこの頃である。 数年後、ブーローニュに移住。マダム・ジェラールが亡くなった《ジェラールの宿》で料理を切り盛りするようになる。マダム・カレームの下で料理を学んだこともあり、その腕は一流。ムクドリとの間に息子が一人いる。 テオ・ジルノルマン マリユスのまたいとこ。『レ・ミゼラブル』では《テオデュール》と呼ばれている。『ラ・リュミエール』紙の記者のひとり。元軍人。愛想の良い話し好きな男。 軍を辞めてからは懐古主義者になってしまい、やがて、ルイ・ナポレオンの息のかかった新聞社の記者として引き抜かれる。 コゼットの修道院時代の同級生ソフィーと結婚する。 アデレード・ジルノルマン ジルノルマン氏の長女で、マリユスの伯母。ジャン=リュックとファンティーヌにとっては大伯母にあたる女性。原作では《ジルノルマン嬢》という名で登場。敬虔なカトリック信徒で、胸と腰にロザリオをつけている。独身。 原作ではテオを溺愛していたが、こちらではジャン=リュックをとことん溺愛する。甘やかすだけ甘やかしたため、その育て方がジャン=リュックを軽薄でどうしようもない人間にしてしまう原因になる。 二月革命および6月の暴動、フランス第二帝政の始まりによる家族の離散を停められなかった。混乱と恐怖のなか、ひっそりと生きていたが、1853年10月に他界。 マダム・カレーム ポンメルシー夫妻の結婚披露宴以来、ポンメルシー家専属となっている女性シェフ。本名はジャンヌ=ルイーズ・ポワラール。石工のような強靭な腕と尼僧のような繊細な指先の動きを持つ、豊満な女性。ファンティーヌとはともに食事をとる間柄で、非常に仲が良い。 当時フランスの著名なシェフだったカレームのもとで下働きしており、皿洗いをしながら、持ち前の鋭い観察眼を駆使して、カレームの持てる技術をすべて学んでしまった。 最初は口の悪い礼儀知らずのムクドリを《泥棒》呼ばわりし、あまり良く思っていなかったが、徐々に態度を軟化させていく。そして、最初の出逢いから3年が経った1851年には、信頼できる存在として彼のことを見るようになる。 イギリスではファンティーヌの師として、彼女とともに料理人として活躍するようになる。ファンティーヌはフランスへ帰ったが、自身はイギリスに残った模様。 ヴァランティナ ジャン=リュックとニコレット・ローリオの間に生まれた娘であり、ポンメルシー夫妻の孫娘でもある。名前は重労働のため、若くして過労死したニコレットの姉からとった。ブロンドと灰色の瞳を持つ、母に生き写しの美少女。幼いながらも、ブーローニュの《ジェラールの宿》で、経営者のムッシュー・ジェラールや祖母の手伝いをしている。その土地柄のおかげか、叔母の逃亡生活の賜物か、英語が話せる。 その美しさと愛らしさから、世間では「ブーローニュの女王さま」と呼ばれている。 父親がジャン=リュックであることを知らず、「父親は天国にいる」と信じきっている。 [先頭へ戻る]
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