評価・批判とは? わかりやすく解説

評価・批判

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アンドリュー・サリス」の記事における「評価・批判」の解説

サリス映画コラム戦闘的な姿勢晩年まで変わることがなく、そのために論敵数多かった。とくに『ニューヨーカー』誌の人気コラムニストだったポーリン・ケイルとは、生涯通じて論争繰り返した論争中心サリス提唱する作家主義」である。 1962年サリス作家主義論じたエッセイ発表したのち、ケイルはこれを全面的に斥ける論文発表したケイルによればサリス作家主義論は映画作品に「内的な意味」を求めすぎており、作品とは関係のない際限ない深読みおちいる危険がある。また映画というジャンルにおいては脚本家プロデューサーカメラマンなど多く人々共同作業として作品成立する以上、「映画監督」という一人個人にのみ作品芸術性依存していると考えるのは誤りである。サリスは再びこれに激しく反論しているが、ケイル洒脱な筆致幅広い読者人気集めていたため、どちらを支持するかで映画ファン立場二分され「サリス派/ポーリン派 Sarristes/Paulettes」なる言葉まで生まれている。 このほかサリス作家主義に対しては、『ニューヨーク』誌に寄稿する映画評論家ジョン・サイモン中心にサリス監督による人工的な構築物としての意味を強調しすぎるあまり、映画における物語役割不当に軽視しているといった批判が行われている。 またサリスの『アメリカ映画監督潮流 1929-1968』は現在にいたるまで米国の映画批評映画研究大きな影響力保ってきたが、そこに示されている評価が、単なるサリス個人好悪にもとづく独断にすぎないという批判もしばしばなされてきた。同書においてサリスサイレント期から1960年代まで映画監督150人ほどを列記し、「殿堂入り」「一発屋」「見る価値なし」などとグループ分けしているが、ここでサリスは後に巨匠目されるようになったビリー・ワイルダーも「才能不足」と酷評しスタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』は「一貫した物語をつづる能力欠如」「映画ではなくイベントにすぎない」などと切り捨てている。最晩年に到ってサリスワイルダーキューブリック高く評価する立場転じたことも、映画監督評価なるものに抜きがたいあいまいさ不確かさ見てとる「作家主義批判根拠与えている。 一方でサリス推し進めた作家主義は、当時庶民娯楽としての見られがちだった映画が、文学絵画同様の高い価値をもつ芸術作品だと考え見方米国社会広く普及させた。また作品あらわれ映像技法や、そこで表現される映像の意味監督視点から読み解こうとするサリスの手法が、印象批評に陥りがちだった当時の映画批評水準大きく引き上げその後米国における映画研究発展重要な道筋をつけたことも大きな功績である。

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評価・批判

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ニューエイジ」の記事における「評価・批判」の解説

ニューエイジ文化借用され商売道具として利用されアイデンティティ脅かされている非西洋先住民族側からは、文化の盗用スピリチュアリティ搾取濫用であり、身勝手に改造し本物のようにふるまうなど文化汚染しており、神聖な儀式盗んで冒涜しているという厳しい批判がある。ニューエイジ支持者は、「世界スピリチュアル文化今や公有財産であり、誰もが手に入れられるもの」であると反論している。 主要な批判として、ニューエイジ個人自己実現探究が、実際に真の意味での宗教文化生み出すことを妨げているという意見がある。 浅はかで、独善的で、無批判的鈍感現実逃避自己陶酔であり、ほとんどが紛い物治療のようなものの寄せ集めに過ぎない安っぽい偽物迷信霊的にキッチュ騙しやすい人々から金を巻き上げる手段にすぎないなどと批判されている。様々な研究者は、ニューエイジスピリチュアリティを、一種スピリチュアルナルシシズムまたは疑似神秘主義みなしており、ニューエイジ重要な支持者デイヴィッド・スパングラー(英語版)ですら、ニューエイジャーのナルシシズム世界からの逃避指摘している。内面フォーカスすることで政治的関心領域狭まっていく傾向があり、この背景権威主義危険性があると指摘されている。スパングラーは、「自分の完全な人生積極的に造り上げるのではなく新時代を待つことを口実にして、無力感無責任にひそかに身をゆだねること」をニューエイジ問題一つとして挙げている。宗教学者島薗進も、ニューエイジ新霊性運動は、世界悲劇満ちており自分はそれに対して無力だが、自分自身には何かをすることができるとして、社会対立差別構造から目を背け内向しがちであると指摘している。 またスパングラーは、「未来引き換え行われる過去からの疎外。ただ新しいからというだけの理由新奇なものを好むこと。…全体性との交わり引き換えにした、無差別性と識別欠如その結果限界意義理解し尊重することができないこと。…心的現象知恵混同チャネリングスピリチュアリティ混同ニューエイジ観点究極的な真理との混同」などの欠点列挙している。ただし彼は、こうした欠点一部のニューエイジャーにしか見られない述べている。 自己実現至上とし、ラディカル個人主義側面があるため、他者との関わり連帯が薄いが、孤独であって自己表現できない他者との関係でしか「わたし」成り立たない)ため、自己実現目指し個人主義を貫くほど自己実現妨げられるという矛盾がある。シャーリー・マクレーン後年の著作6冊は孤独寂しさトーンがあり、自己実現と自由のモラル徹底的に忠実であろうとすれば、「すごく孤独淋しく」あるしかないではないか、それは挑戦的自由な自立した人生代償として受け入れるべきものだと語られる。しかし、一人生きること成長つながらないのではという疑問もあるという。一人きりの暮らしは退屈であり、成長のためには生活の中にぶつかり合い受け入れ合う自分と違う相手成長チャンス与えてくれる誰かを持つことが必要で、その相手のいない自分は、結局望んだほど成長していないのではないか語っている。島薗は、ニューエイジある種寂寥感内向性は、豊かな先進国の、特に高学歴者の性格ライフスタイル反映思われる述べている。 ニューエイジ精神世界スピリチュアル自己啓発世界には、自分知りコントロールできれば何とかなる、なにかすばらしブレイクスルーがあるという期待感があり、麻薬のような魅力放ち人を惹き付けているが、表象文化研究者の加藤有希子は、この期待感がニューエイジその周辺キッチュにしている一つ要因であると述べている。 ニューエイジには「救い」の観念欠如見られ同胞愛や奉仕互助精神あまりない。ニューエイジャーは、運命法則把握でき個人によってコントロールできる考えるため、自立心富んでいるように見えるが、悪や不幸をリアリティをもって想像できない(しない)傾向があり、ストイックなまでの自立精神そのまま他者向けられ暗黙の裡に「あなたがそういう境遇にいるのは、あなた自身責任なのだ」、自業自得なのだというメッセージが発せられる加藤は、そのような倫理観は、弱者追い詰める残酷で心の狭い上からの押し付けであり、心構え変えるだけ現実変化みられるほど摩擦少な世界生きるエリート思考法であると述べている。失敗や不幸が全て自分気持ち帰せられるため、積極思考から出発したにもかかわらず、非常に自己嫌悪に陥りやすく、加藤そもそも自分コントロールする」という考えそのもの錯誤である可能性指摘している。自分知ってコントロールすることで現実コントロールできるという考えや「本当の私」への期待は、現在では社会全体広まり就活バイブル存在の『絶対内定』、文科省小学生配布する心のノート』などにも見られる宗教学者島薗進は、こうしたニューエイジ思想は、貧富の格差差別肯定利用される可能性がある指摘している。多く宗教同様の批判受けてきたが、神や仏といった超越的なものの前での人間の平等が説かれ同胞愛が鼓舞され場合差別批判可能性開かれ宗教差別批判運動率いることもあった。しかしニューエイジは、同胞愛、平等な人間の横の連帯という理念乏しいため、差別批判根拠はっきりしないポジティブであらねばならない思いネガティブ気持ちを持つことを心配し、常に気持ち修正し続けることは、強い義務感であり、バーバラ・エーレンライク英語版)は『ポジティブ病の国、アメリカ』(Bright-sided 、2009)で、ポジティブシンキングは、ある意味ではカルヴァン主義のような前時代的厳し精神修養になっている指摘している。 人間性回復運動エスリン研究所ニューエイジ重視された「自分自分変えられる」「自分自分作ることができる」という信念は、「自分はなんでもできる」という思考に、そして「望んだ結果は、必ず手に入る」という考え繋がり自己変革の手法が商売展開してビジネスマン向けの自己啓発セミナーが行われた。そして、化粧品連鎖販売取引行ったホリディマジックでの人材育成通して自己啓発ノウハウ自体ネズミ講商材ともなっており、これは日本にも上陸している。

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悪魔の飽食」の記事における「評価・批判」の解説

森村によれば森村本書刊行したことで右翼街宣車から罵声浴びせられたり、嫌がらせ電話や窓への投石をされた。 秦郁彦は、731部隊による細菌戦研究人体実験認めつつも、『悪魔の飽食』を「ノベル小説)とノンフィクションごちゃまぜになった」作品評した。秦によれば写真誤用事件社会的に注目されたことが奇しくも切っ掛けとなって歴史家の間でも731部隊関係資料発掘などが進み、「森村事件以後数年七三一部隊に関する学術的研究大幅に進展した」。斎藤美奈子は『悪魔の飽食』の731部隊についての記述を「カッパ・ノベルスという大衆的なメディアで放った意義大きかった」とする一方一部に「ドラマチックな表現」があり「演出過剰」のきらいがあるとする。中川八洋は「ノンフィクション作品ではなく、「プロパガンダ小説」であると批判した

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新聞記者 (映画)」の記事における「評価・批判」の解説

肯定的評価 映画監督是枝裕和は、「これは、新聞記者という職業について映画ではない。人が、この時代に、保身超えて持つべき矜持についての映画だ」と絶賛するコメント寄せた否定的評価・批判 経営コンサルタントであり経済思想家である倉本圭造は、この映画が「左翼さんの内輪ウケ映画であると評している。映画では内閣情報調査室官僚ツイッター左翼攻撃する書き込みするところや「新し獣医学部設立」の目的生物兵器研究であるといった陰謀論的展開にリアリティがない一方で実力派俳優映画監督上質映像にしてしまったため、ストーリー自体の「ギャグなのか?」感が余計にチグハグ滑稽さを醸し出してしまっていると倉本述べている。なお、倉本は「右翼さんの内輪ウケ映画」があってもいいように、「左翼さんの内輪ウケ映画」があってもいいしながら日本左派影響力取り戻すにあたって百田尚樹氏の日本国紀」を嘲笑しておいて、自分たちがやってるのはコレってどうなん!?というのは、良識的な左派の人ならちゃんと問題だとわかっているはずと皮肉を述べている。

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ぽっちゃり」の記事における「評価・批判」の解説

肥満ありながら自信満ちた芸能人モデル活躍により肥満女性イメージ肯定的変換役立ったという意見がある。 欧米ファッション業界太め女性起用する動きは、若年層摂食障害原因ファッション業界にあるとの批判をかわすためのアリバイに過ぎないとの見方がある。 デザイナカール・ラガーフェルド2009年雑誌インタビューで「曲線美人は望まれていない」とファッション業界痩身モデル重視する考え支持したぽっちゃりした女性を「やわらかい」「優しい」「包容力がある」 「おっとりしている」「おおらか」などとする定型化された安易なキャラクター付け批判がある。また、そのイメージにふさわしい明るく可愛く振る舞う女性のみが受け入れられているだけであり、肥満への偏見は相変わらず残存したままであるとの指摘がある。 健康を重視する立場人々からは、言葉変えたところで肥満不健康象徴であることに変わりはないという批判がある。

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佐伯好郎」の記事における「評価・批判」の解説

佐伯宗教史研究比較宗教学マックス・ミュラーアーリアン学説の提唱者)の影響を受けたものであり、彼の景教東伝史研究は、英語の著書刊行されたことから日本国内のみならず国際的に高い評価獲得した。この結果佐伯その後長く景教研究国際的権威みなされることになった。 しかしその一方1908年論文太秦論ず」で発表された「秦氏ユダヤ人景教徒」説は、古代日本渡来人系有力氏族秦氏本拠地であった京都太秦地名遺跡など根拠しながらもほとんど語呂合わせ的なものであり、当時歴史学界ではほとんど相手にされなかった(現在も否定されている)。 彼の日ユ同祖論日本人ユダヤ人同祖論)を主張する人々からは、同祖論を学術的に根拠づけるものとして歓迎されたが、晩年弟子服部之総に「在来の、日本的矮小な開発計画では駄目だ。ユダヤ人の大資本導入してやろう。それにはユダヤ人注意日本向けさせる必要がある」と、同祖論が単なる功利的な企画」であることを語り服部仰天させた。

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韓国ドメインからの2ちゃんねるへのサイバーテロ事件」の記事における「評価・批判」の解説

中央日報 テロ当初は「日本陥落」というタイトルで、テロ煽る記事書いていたが、アメリカサーバー損害賠償請求ほのめかす声明発表してからは一転社説で、「日本ネチズンによるキム・ヨナへの誹謗中傷金メダル取れなかった悔しさからくる稚拙なもの」と非難し、それに対抗するのは同レベルだから「もうやめよう」と呼びかけた。 朝鮮日報 朝鮮日報2010年7月2日韓国メディア反日感情過度に刺激しているという指摘があると報じ今回事件メディア過剰反応原因だと指摘している。

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鶴見俊輔」の記事における「評価・批判」の解説

蓮實重彦上野昻志絓秀実らは座談で、鶴見左翼知識人にすりよりながら、いつも左翼ならないこと、また蓮實重彦は「動体視力」つまり映画文学を語る時の視力鶴見には決定的に欠けており、それゆえ鶴見文化評論ことごとく内容なものになっている批判している。また幸福会ヤマギシ会支持しヤマギシ被害者から抗議受けた伊藤隆鶴見いいだもも飯沼二郎並んで進歩派」と定義している。

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ファシズム」の記事における「評価・批判」の解説

ファシズムの定義」も参照 ファシズムに対して第二次世界大戦の終結以降さまざまな理由から幅広い批評・批判なされている。ファシスト思想への批判以外にも、その本質や特徴更には整合性持った思想かどうか、について議論続いている。ある見解では、ファシズム現実思想では全く無い。この見解ではファシズムは、単に虚無的な暴力約束しただけの非合理的機会主義政策による体制であり、論理的または合理的な定義は持たず、その公式な思想各部分は単なる宣伝道具で、しばしば矛盾する第二次世界大戦以前 第二次世界大戦以前は、多く指導者ファシズムファシストリーダー敬意払ったウィンストン・チャーチルは、ムッソリーニ共産主義脅威からイタリア防衛するための強力な能力持っている主張し、また自由主義のための犠牲価値主張して1937年後半までイタリアファシスト体制支援したパン・アフリカ主義ナショナリストであるマーカス・ガーベイはかつて、彼は最初ファシストであると主張しムッソリーニアドルフ・ヒトラー下層階級起源生まれたという事実を尊敬する宣言したアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトは、第二次エチオピア戦争イタリアエチオピアへの侵略非難する前に、彼がムッソリーニ示して賞賛値する紳士連絡保っている」と言ったマハトマ・ガンディーは、ムッソリーニイタリアに平和の価値広め試みのため、1931年12月ムッソリーニ会いイタリア旅行した。ただしこれらの行動には外交的配慮儀礼的なものも含まれる。しかし、アメリカ対日協議会元になったニューズウィーク役員などによる公然たる支援形式的いえないものであった第二次世界大戦が始まると、彼らの多くファシズム批判的に扱うようになり、あるいは言及控えようになったこうした彼らの過去はしばし反対者からファシスト好意的であった批判される時の材料となる。 マルクス主義者による批判 マルクス主義者唯物史観階級闘争立場から、ファシズム資本主義者による専制だと非難する。それは保守主義的な反動作る試みであり、労働者階級には人気があるが、実際に労働者階級抑圧するとした。ファシズム支持基盤は、単に独占資本主義であったという説、国家民族全体熱狂であったとする説の他、大企業などの資本家階級でも労働者階級でもない保守的な中産階級であったとの説もある。 マルクス・レーニン主義者は、ファシズムを「全ブルジョアによる労働者階級対す政治的な攻撃」「大資本大地主家来」と批判したウラジーミル・レーニンは「ファシズム腐敗崩壊段階資本主義」と批判したゲオルギ・ディミトロフコミンテルン第七大会でイタリアファシスト政権を「金融資本の最も反動的な、最も排外的な要素によるテロリズム独裁」であると非難したマルクス・レーニン主義者達はウラジーミル・レーニンの論に従ってファシズムが「帝国主義」から生まれたのであるとした。レフ・トロツキーコミンテルンとは異なった見解として、「イタリアのファシズム運動広範な大衆自然発生的な運動」で、「ファシズム真の基盤は小ブルジョアジー」であるため、イタリアドイツでは大きな基盤があり、労働者階級が多いイギリスでは基盤小さいが今後予測できない、と分析したハンガリー共産主義者の Djula Sas1923年評論で、イタリアファシスト労働者階級組織解体し特定の地域では賃金大幅減少させ、相続戦争利益への税を廃止して、「国家的生産」の必要性強調した、と記したSas によれば、これらの行動ファシズム産業資本主義奉仕であったことを明白に示したマルクス主義者によるファシズム批判対す反論としては、マルクス主義者ファシズム解釈は、典型的に発展途上取り組み基礎としており、マルクス主義者ファシズム発展途上視点は、開発途上国ではファシズム出現しなかった理由説明欠落批判されている。また、大き相違を持つ複数運動を、単純にファシスト」と分類しているとの批判がある。この結果カストロ配下キューバや、ホー・チ・ミン配下ベトナムなどを含む複数共産主義体制は、そのような解釈で「ファシスト」と宣言し続けている。 第二次世界大戦後 心理学者エーリヒ・フロム著作自由からの逃走」で、ファシズムナチズム)を少数者による狂気恐怖支配とするのは間違いで、近代人間は自由を得て伝統的な権威束縛失った結果孤独無力恐怖となり、「自由からの逃走」として自ら権威求めファシズムや、更には多く民主国家においても強制的同一化発生した主張したハンナ・アーレント著作全体主義の起源」でファシズムスターリニズムは、いずれもジョルジュ・ソレル思想の影響を受け、その起源バブーフなどの「フランス全体主義」であるとして、ファシズムスターリニズムを「双生児的な全体主義」と呼んで批判した。この見解両者批判するリバタリアニズム立場からも主張されている。 経営学ピーター・ドラッカーファシズム特色として積極信条持たず他者攻撃否定すること、政治と社会基盤権力であることを否定すること、そしてファシズムへの参加提唱者によって行われる約束信じるのではなく信じないために行われるという三点をあげている。 反ファシズム 詳細は「反ファシズム」を参照 ファシズム対す批判者立場総合して反ファシズム呼ばれる戦後誕生したイタリア共和国において反ファシズム基本理念とされ、支配的なイデオロギーとなった1960年にはファシスト系のイタリア社会運動党大会開催抗議しジェノバイタリア共産党主導によるゼネスト暴動発生した。しかしイタリア社会運動その後穏健化し明確なファシズム復活危機減少している。セルジョ・ルッツァット(イタリア語版)は『反ファシズム危機』の中で「反ファシズム」が「ファシズム」の存在前提としており、明確なファシズム」が存在しない現状で「反ファシズム」が単なる偶像化してしまうのではないかという危機感表明した

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神道指令」の記事における「評価・批判」の解説

神社本庁指令により神道信仰が「不当に圧迫された」とした。 葦津珍彦神道指令に関する1960年昭和35年)の論文で、「重大な障害がない限り」("as long as there is no serious obstacle")占領軍は「被占領地信仰慣習干渉すべきでない」("should not intervene in the religious faith or customs of an occupied area")ということハーグ条約定められていたとして、日本占領軍による神道弾圧国際法からの逸脱だと批判した新田均武田秀章神道日本国家は本来「区別しがたいほどに密接している」ものであり、国家独立した歴史を持つキリスト教政教分離比べて神道政教分離非現実的であるとして、平成17年神道指令批判した島薗進菅孝行神道指令神社国家から切り離すことに主眼置いており、天皇皇室祭祀制約加えなかった点で不徹底であったとする。

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藤岡信勝」の記事における「評価・批判」の解説

歴史研究する際は、あくまでイデオロギーからは離れるべきで、一方悪玉他方善玉というレッテル貼りをする研究では真実見失うとしている[いつ?]。これについて井沢元彦はまさにその通りだと藤岡評価し藤原彰のように近現代史学者イデオロギー研究結果出してしまう人が多いと指摘している。一方で著書歴史人物シリーズ 高杉晋作に関して、「確証された史実のみで書き綴ると」「無味乾燥になってしまう」から「私は、許されるウソ書いてもよい、許されないウソはなるべく書かない、という方針執筆続けることにした。」と述べている。 米軍ニュースサイトWar History Onlineは、近年日本ナショナリスト運動は、第二次世界大戦中の日本歴史消毒しようとしている」と、藤岡信勝らの主張を「不吉な歴史修正主義者」として批判し、それを書き直すことは、歴史生きてきた人々侮辱することだと批判した東京大学教育学部9年同僚だった元学部長佐藤学は、藤岡1991年文部省在外研究員として渡米するにあたってアメリカ教室におけるナショナリズムを、文化人類学方法研究して1年学位論文を書く」と言っていたが、挫折して帰国した。「自虐的な日本人ということ語られるのはその頃からです。けれども、僕から見ると、彼のほうがよっぽど自虐的です。ロシアアメリカ陰謀説自分自身歴史日本の歴史重ねてしまっている。戦後の日本人の一部抱き続けた報復感(ルサンチマン)と屈辱感凝縮して表れていると思えてしかたがない」などと語っている。 二十数年来付き合いがあった教育学者板倉聖宣は、藤岡著書近現代史教育改革善玉・悪玉史観超えて』で「板倉氏が、湾岸戦争一時期イラクサダム・フセインアラブ解放旗手あるかのようにあつかう発言をされた。これは私には、まったく意外なことであったと書いた ことに対しそのような発言はしていない反論している。

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神智学」の記事における「評価・批判」の解説

ブラヴァツキー最初著作ヴェールを剥がれたイシス』は、大学教授ジャーナリストからは見向きもされず、比較宗教学の祖でブラヴァツキー同様すべての宗教には一つの共通の基盤があると考え傾向のあったマックス・ミュラーからも、容赦ない批判受けた。しかし、生活にゆとりのある中産階級オカルティズム愛好者独学心霊研究家たちの心を動かし、千部印刷された本は数週間品切れになったブラヴァツキー精力的喧嘩好きな性格や、神秘演出するためのちょっとした手品思想彩る作り話演出され態度学問的精密さと「科学的資料重視され時代著作典拠センセーショナルに偽るといったやり方反発招いた神智学協会に始まる〈神智学〉を分析批判したルネ・ゲノンは、「〈神智学〉は東洋正当な思想代表するものでは全くない」と結論付けており、フレデリック・ルノワールもこれに賛同している(ただしルノワールは、ゲノンの批判中には仏教に関する誤った理解に基づく根拠のない批判や、公平ではない批判含まれていたことも同時に指摘している)。 ルノワールは、「仏教はそこでは、根本的に西洋的なわけてもキリスト教的な伝統刻印残したままの教義表現するための、一種口実でしかなかった」と述べ神智学協会主導した企てを「自身教義本体自身神話でっちあげるために仏教横取りする意図的な同化企てであると批判している。また、神智学〉の魅力は「流行異国趣味活用」「寛容ドグマなき宗教」「チベットオカルト的力」などにあり、 転生理論仏教由来ではなく西洋進歩主義投影であり、その教義ブリコラージュであるとし、〈神智学〉の内実西洋オカルティズム東洋宗教寄せ集めであると指摘した奇妙な歴史観進化解釈人類進化先頭に立つのは「アーリア民族で、オーストラリア・アフリカの原住民は「脳の狭い」人間名残アーリア人より遙かに劣るとするような人種差別的見解など評価下げているが、ニューエイジその周辺研究したセオドア・ローザクは、ブラヴァツキー思想には歴然としたあらゆる欠陥があり、批判山積みにされているが、彼女のオカルト諸派教え対す直感鋭く主題にふさわしいスケール仕事をし、その才能際立っていると評価している。 彼女のぶかっこうな形而上学的思弁評価できないにしても、その〈神智学〉は19世紀思想中で最も冒険的興味ある体系であり、少なくとも超越的パーソナリティに関する心理学トランスパーソナル心理学においては創始者見るべきであると述べている。一方大田俊寛は、〈神智学〉を一つ始まりとする、輪廻転生通した霊魂進化」という思想は、往々にして純然たる誇大妄想体系帰着してしまい、霊的なレベル根拠とする階級意識差別意識被害妄想昂進偽史膨張などの問題見られる指摘している。

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プレミアム・パスポート事業」の記事における「評価・批判」の解説

榊原智子によると、協賛店舗飲食店チェーン店長は「親子くつろげるというイメージ定着し女性高齢者にも客層広がった」と話したほか、他の自治体からは「少なお金実施できる子育て支援策」として注目され同様の事業20県以上で導入されたという。一方プレミアム・パスポート事業石川県庁モデルとしたフランスの「大家族カード(カルト・ファミーユ・ノンブルーズ)」が、子どもが3人以上いて出費多くなる家庭への「多子世帯支援」としているのに対して行政関係者の間で「多子世帯だけが対象でいいのか」という見方があるという。 横内孝によると、事業開始から2年足らず全国広がり、ある県の担当者は「ほとんどの自治体は今、財政的余裕がない。少な予算大きな効果期待できる」と指摘する一方で優待サービス導入をためらう自治体担当者は「協賛企業地域によって偏り、どこに住んでいるかによって、住民サービス利用する機会公平にならない恐れがあった」ともらしたという。 島村友紀によると、子育て家庭へのメリットだけでなく、大型店舗等に流れがちなファミリー層を地元商店街呼び戻し、その活性化にもつながることから、「子育て家庭地元店舗行政にとってメリットのある好事例」という。

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明治元訳聖書」の記事における「評価・批判」の解説

誰でもわかるやさしい文体という宣教師達の考え方と、格調の高い漢文風にしようという日本人補佐たちの意見重なり、独特の和漢混交体での翻訳となったその評価分かれるが、日本語書き言葉自体大きく揺れ動いていた時期でもあり、明治元訳その後日本語文章一つモデル示したとも評されている。特に旧約聖書詩篇については、その文体美しさから日本文学影響与えている。 協力者一人高橋五郎は、新約聖書は「支那訳」、旧約聖書は「英人英文聖書より翻訳し米人はカイル・デリチに等に本づき」訳したため一致欠き文体にも問題があるが、とにかく完成したことは評価している。これに対して松山高吉は、新約聖書ギリシア語原書からの翻訳であることと、旧約聖書翻訳における日本側委員向けられ批判弁明行った磯貝峯は1891年に『福音新報』に寄せた今日の日本聖書』という文書の中で、西洋では聖書文学書としてすぐれた翻訳なされているばかりでなく、その地方文学影響及ぼしていること、それに対して明治元訳」は直訳調で日本文と思えないものが多いとして速やかな改訳訴えている。 浅田栄治は専門家立場から、かなり詳細に誤訳拾い出している。間違いのない訳は旧約聖書では三分の一新約聖書では五分の一としている。しかも、誤訳箇所英訳聖書中国語訳聖書共通するとして原文から直接翻訳する必要を説いている。 上田敏は、一部翻訳高い評価与えている。近代化流れの中で浅薄な西洋文化があふれるとき、「精確厳密な研究」こそが大切であり、そのためには聖書精読が必要であると説いている。「明治元訳」は「筆路頗る雅健なり」と高い評価をしている。

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評価・批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/03 11:01 UTC 版)

Oyezプロジェクト」の記事における「評価・批判」の解説

Oyezは1998年アメリカ法曹協会Silver Gavel Awards英語版)を受賞した。 Oyezは2006年国営メディアボイス・オブ・アメリカ (VOA) 上で今週ウェブサイト」として特集された。 2000年アメリカ合衆国大統領選挙フロリダ州得票数を巡る「ブッシュ対ゴア事件」では、Oyezの報じ方に疑問呈されことがある。Oyezはウェブサイト上で、9人の合衆国最高裁判事が7対2で「フロリダ州投票再計算すべきとのフロリダ州最高裁判決違憲」と報じた。しかし2007年ワシントン大学政治学教授Scott Lemieuxは、"OYEZ: NOT TRUSTWORTHY?" (Oyezは信頼できない?) と題した批評リベラル政治オンラインメディアThe American Prospect英語版)に投稿し、Oyezの「7対2」とした表記を「ウソ」だと指摘している。9名の合衆国最高裁判事のうち、スティーブン・ブライヤー判事デイヴィッド・スーター判事の2名はフロリダ州最高裁の判決に対して賛否両論であり、違憲7名にカウントすべきでないとLemieuxは主張している。"...Oyez, normally a valuable resource, is..." (Oyezは基本的に有益な情報源ではあるが...) とことわりを入れた上で、「7対2」でブッシュ支持との合衆国最高裁判決右派 (つまりブッシュ所属する保守系共和党支持者) によって繰り返し悪用されている点を問題指摘している。

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評価・批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 04:46 UTC 版)

エドガー・ケイシー」の記事における「評価・批判」の解説

1943年3月、トマス・サグルーによる、ケイシー最初伝記There is a River』が刊行された。リーディング記録分析し歴史観思想論じた本など、晩年から死後にかけてケイシーに関する著作複数出版され広く読まれ徐々に社会知られるようになった1950年にジナ・サーミナラが著したMany Mansions』(邦題転生秘密)は版を重ねロングセラーとなった1967年から68年にかけて本国で計8冊もの関連書籍出版されニューエイジ思想浸透大きく寄与した彼の情報源であるアカシックレコードは、求められる情報性質によって得手・不得手があるとされている。例えば、前世行為に基づく災難や病疫、聖書記者に聞かなければ理解できないこと質問者の個性長所治療健康に関す医学的な質問、といった属人的情報比較有用であったともいわれるが、一方石油はどこに埋蔵されているか、日本軍の侵攻予定、あるいは普遍的な真理瞑想人生への応用等の質問への回答有用とは言い難く具体性欠き抽象的な表現が多い。時々寄せられる予言が正確でなかった場合苦情への回答や、予言できないという説明として、個人行動依存するものや選択よるもの、あるいはビジョンの不足により予言できないものもあるとも述べている(257-27 22 Ans,311-11 24Ans 他)。 また、未来予言に関するものに限れば、当たっているものを探す方が難しくアトランティスの再浮上ピラミッド隠され文献発見日本海へ没入1958年から1998年の間に日本大部分沈没するといった予言が有名でありハラリエルという「警告」の天使語った特殊なとされる)といった予言の類は外れている。1998年イエス・キリスト再来し、その際巨大地震相次いで起こり地球地形一変するという予言外れている。 初期の頃のケッチャム医師やアーサー・ラマースらによって残された、神話的な治療形而上学的なリーディングや、十中八九当てた予知能力といった、一部神話化されたエピソード前面に出ることで、強い予知能力持っている印象与えている。しかし、実際に記録として残されているリーディング結果当たった予言があるかは不明である。記録によって検証される範囲では、少なくとも超常的なリーディング内容見いだすのは困難であり、一部ケイシー研究家占い師によって、神話伝承されている状況にある。 また瞑想だけで人格が高まるような表現や、「中世文明から抜け出たばかりの日本人は、西洋人見えるようなオーラを見ることができず、無理して視力酷使しているため、皆眼鏡をかけている」と揶揄するなど、人種差別的な発言もある。表象文化論研究する埼玉大学基盤教育研究センター准教授加藤有希子は、当時オーラ言説多く植民地主義的人種差別女性蔑視温床になっており、ケイシー場合も「社会的弱者に対して優位性示したいという、コロニアリズム特有の歪んだ欲望見て取れる」と指摘している。

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評価・批判

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もくもく会」の記事における「評価・批判」の解説

日本維新の会浦野靖人は、日本受動喫煙防止法案がもくもく会抵抗によって阻まれている実情を、国会の中で再三に渡り言及している。2016年3月18日厚生労働委員会において、受動喫煙防止法案が進まない原因一つとしてもくもく会存在挙げ、「その団体が割と権力持っておりまして、なかなか前に進まないというのが現状」「もう多分進まないんじゃないかと思っているぐらい抵抗激しい」との現状語った2017年3月8日内閣委員会において、厚生労働省検討している原則屋内禁煙健康増進法改正案について、「これからもくもく会皆さん抵抗まだまだあるとは思いますけれども、この法案、必ず出していただきたい」と主張した2018年6月15日厚生労働委員会において、前年厚生労働省検討していた原則屋内禁煙健康増進法改正案が提出できなかった原因について、「国会内には、もくもく議連という、たばこを吸う方々強力な抵抗勢力がある」「その関係もあって、去年、実はこの法案前に進まなかったんじゃないか」との考え示した宇都宮市議会議員鎌倉三郎は、2017年3月7日定例会において、たばこの吸え居酒屋国政論じているもくもく会模範例に挙げ、「喫煙者ファースト」の立場からの受動喫煙対策嘆願した

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アースダイバー (書籍)」の記事における「評価・批判」の解説

関東圏中心に反響呼びNHK総合テレビ番組ブラタモリ』(2008年 - 2012年)、書籍東京スリバチ地形散歩』などの歴史の古層を探る散歩や、地形ブーム端緒になった地質学者羽鳥謙三は、普及書としては異色であると述べ熟練ライターである中沢は「雑な知識やたらめったら料理している」が、「地形というもの見直してみる手掛かりになる」と評している。 自然科学的厳密な著作はないため、学者からは批判少なくない多摩美術大学中沢ゼミ首都大学東京大学院「インダストリアルアートプロジェクト演習と共に本書コンセプトGoogle Earth使って再解釈するコンテンツ「アースダイバーマップbis」 を作成した渡邉英徳は、本書を「小説」「楽しい読み物」と受け止めているため、「学術的視点からの批判については(意味はわかったとしても)不可解に感じてしまう」と述べている。建築家河野裕は「アカデミックな論文公的資料じゃないし、エンターテイメント性までとがめちゃったらつまらない」「ある程度フィクション性を前提に(了解の上で)楽しんでる人のほうが多いだろう」と述べ、「読物」としては面白いと評価している。一方まじめな研究論文として受け止めている人も少なくない受け手側にも問題があるという指摘もある。東京大学海洋教育センターとの共同で、アースダイバーを基にした教育プログラム開発し高校生対象フィールドワーク実施している。その際には地理学者茅根創が学術的な面を補完している。 地理学者小口高は、本書地形ブーム貢献した点を評価しつつ、「地学常識からは考えられない場所にまで縄文の海が入っ」ており、大きな誤りであると述べ、「しかし本の中では、縄文の海の分布地学成果用いて復元したように記述し(p13~15)、地学書を参考文献掲載一方で海の分布フィクションという表明はない」 と指摘している。中沢緑の党環境重視だが、そうであるなら「自然科学正し知識踏まえるべきだが、この点に懸念がある。」と述べている。 慶應義塾大学石川初は、「アースダイビングという「譬え話」でわかった気になるにはあまりに勿体ないほどに、これまで地理学地形学地質学考古学蓄積してきた知見エキサイティングだし奥が深い」、また「地理学地形学成果とその応用としての都市観」という議論ひとつとしてアースダイバー普及による誤解」を、学術的観点からあらため洗い直す必要がある述べている。この本の個人的に残念な点として、中沢既往研究へのリスペクトがあまり感じられない点を挙げている。

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評価・批判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 08:32 UTC 版)

エルンスト・ヘッケル」の記事における「評価・批判」の解説

19世紀中ごろ進化論科学台頭象徴する出来事だったが、宗教政治巻き込む社会問題となり、危険思想ともなった進化論支持したヘッケル生前から誤解中傷を受けることが少なくなかった今日でも優生学源流にあるとして批判されもするが、他方生物学者として再評価されてもいる。

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