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たかすぎ-しんさく 【高杉晋作】
防府歴史用語辞典 |
高杉晋作 (たかすぎしんさく)
近代日本人の肖像 |
高杉晋作 たかすぎ しんさく
山口生まれ。倒幕派の中心となった人物。父は萩藩士。藩校明倫館、松下村塾に学ぶ。安政5年(1858)に昌平黌に入学するが、6年(1859)藩命で帰国する。文久3年(1863)萩藩外国船攻撃の際、登用されて奇兵隊を結成し、外国勢と戦う。元治元年(1864)四国連合艦隊との講和において正使として活躍。第1次長州征討の後、藩論を討幕に転換し、慶応2年(1866)薩摩藩との間に薩長連合を締結。同年6月第2次長州征討で指揮をとり、各地で幕府軍を打ち破ったが、翌年馬関で病死した。
| キーワード | 政治家 |
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高杉晋作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/03 14:28 UTC 版)
高杉 晋作(たかすぎ しんさく、天保10年8月20日(1839年9月27日)- 慶應3年4月14日(1867年5月17日))は、日本の武士(長州藩藩士)。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。
諱は春風。通称は晋作、東一、和助。字は暢夫。号は初め楠樹、後に東行と改め、東行狂生、西海一狂生、東洋一狂生とも名乗った。他に些々などがある。変名を谷 潜蔵、谷 梅之助、備後屋助一郎、三谷和助、祝部太郎、宍戸刑馬、西浦松助など。のち、谷 潜蔵と改名。
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