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ベトナム [Vietnam]
〔「越南」とも書く〕
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ベトナム
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ベトナム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/03 13:38 UTC 版)
- ベトナム社会主義共和国
- Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam
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(国旗) (国章) - 国の標語: Độc lập, tự do, hạnh phúc
(漢字: 独立、自由、幸福) - 国歌: 進軍歌

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公用語 ベトナム語 首都 ハノイ 最大の都市 ホーチミン市 通貨 ドン(VND)(₫ / Đồng; 銅) 時間帯 UTC (+7)(DST: なし) ISO 3166-1 VN / VNM ccTLD .vn 国際電話番号 84
ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称ベトナムは、東アジア・東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和制国家。国土は南北に長く、北に中華人民共和国と、西にラオス、カンボジアと国境を接し、東は南シナ海に面し、フィリピンと対する。首都はハノイ。
目次 |
国名
正式名称はベトナム語で "Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam"。略称は "Việt Nam" である。フランス語では "République socialiste du Viêt Nam"。漢字(チュニョ)では「共和社會主義越南」となる。
公式の英語表記は "Socialist Republic of Vietnam" 、略称は "Vietnam"、または "SRV"。
日本語表記は「ベトナム社会主義共和国」。通称は「ベトナム」、漢字では「越南」(えつなん)であり、越国と書くこともある。
歴史
詳細は「ベトナムの歴史」を参照
石器文化
今からおよそ30 - 40万年前の地層から人類の歯がハノイの北方タムハイのタムクエン洞窟(ランソン省)で発見されている。他の場所からも、例えばクアンイエンのド山(タインホア省)、スアンロク(ドンナイ省)から打製石器や剥片石器がたくさん発見されている。また、タムオム(ゲアン省)、ハンフム(イエンバイ省)、トゥンラン(ニンビン省)、ケオレン(ランソン省)などからも人類の足跡が発見されている[1]。
今からおよそ2 - 3万年前、現代人(現生人類)の祖先と言われている新人(ホモ・サピエンス)が現れた。彼らの遺跡は、グオム石窟(タイグエン省)、ソンビー(フート省)やライチャウ、ソンラ、バクザン、タインホア、ゲアンの各省にみられる。彼らの道具の主なものは石斧で、万能石器である[2]。
最終氷期が終わり、地球規模で温暖化が始まった約1万年前から4000年前の人類の遺物や洞窟が発見されている。ホアンビン、バクソン(ランソウン省)、クインバン(ゲアン省)、ハロン(クアンニン省)、バウチョー(クアンビン省)では、前段階よりも石器が改良され、多種の石材を使い様々な用途に使用できる石器が製作されるようになっていた。今までの打製石器1だけではなく刃を研磨した道具の短斧・右肩石斧などの磨製石器がつくられている。その他には、自然石の礫石器や動物の骨や歯を利用した骨角器が造られた。また、パクソン、クインバン、ハロンでは、土器を伴い、石製の鋤・鍬が見つかっている。これらの遺物から生活様式が発展したことがうかがえる。たとえば、土器の使用により、煮炊きでき、食物を保存できるようになり、生活が豊かになってきた。さらに鋤や鍬で森・土地を開墾し農業ができるようになったと推測できる。さらに動物の骨から道具を作っていることから犬や豚を飼って畜産を行っていたと考えられる。また、農業や畜産を行うことにより、一定の場所に住み着き、狩猟・採取・場所によっては漁撈が可能になっていたと考えられる[3]。
青銅器文化
紀元前から北部ベトナムの紅河(ホンハー)流域一帯には東南アジア最古の青銅器文化として知られる東山(ドンソン)文化が広がり、原始的な部族国家群を形成していた。これがいわゆる古越人(後のベト族)である。また現在の中国、紹興一帯を支配した越の末裔が、民族のルーツとの説もある。秦の始皇帝以後、1000年にわたって中国王朝の郡県支配を受け、中国文化の影響が深く浸透したが、完全に中国化することはなかった。一方中部ベトナムではオーストロネシア語族系統の古チャム人(後のチャム族)がインド化されたチャンパ王国を形成していた。
2世紀頃から8世紀頃まで
越人王朝の形成
唐末五代の混乱で中国の支配が後退すると939年に最初の民族王朝呉朝が成立、以後越人の王朝「大越」が続く。大越は南のチャンパと抗争を繰り返したが、チャンパ領は14世紀に越都昇龍(タンロン)を2度攻略した制逢峨(チェーボンガー)の死後内紛で割拠状態に陥り、1471年以降大越黎朝(1428年 - 1788年)及びその諸侯である広南阮氏がこれらを各個撃破して南進し、広南阮氏は更に17世紀にカンボジア領であったメコン川流域まで併合して今日のベトナム領土が完成した。
11世紀前後
13世紀頃
フランス領インドシナ
- 1887年 - フランス領インドシナの成立(フランスによる植民地化)
- 1905年 ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠)が反仏独立の支援を求めて来日。
- 1940年 - 日本軍の北部仏印進駐
- 1941年 - タイ王国とフランス(ヴィシー政権)が交戦。日本政府による仲裁。直後に日米開戦、太平洋戦争勃発。
- 1944年 - 凶作に加え、米軍の空襲による南北間輸送途絶や、フランス・インドシナ植民地政府及び日本軍による食糧徴発などが重なり北部(トンキン)を中心に200万人以上(諸説あり)が餓死したとされる。
- 1945年3月11日 - 保大(バオ・ダイ)帝が日本の援助下でベトナム帝国の独立を宣言
南北分断時代
- 1945年8月15日 - 大日本帝国、ポツダム宣言を受諾した旨声明。世界中の日本軍に戦闘停止を命令。
- 1945年8月17日 - ベトナム独立同盟(ベトミン)がハノイを占拠(ベトナム八月革命)。
- 1945年9月2日 - ベトナム民主共和国の樹立を宣言、ホー・チ・ミンが初代国家主席に就任。同日、大日本帝国政府が降伏文書に調印し、第二次世界大戦が公式に終結した。
- 1946年11月 - ハイフォン(海防)でフランス軍と衝突
- 1946年 - 1954年 - フランスに対する独立戦争(第一次インドシナ戦争)
- 1949年 - フランスはサイゴンにバオダイを復位させ、ベトナム国として独立を認める。中国、ソ連は、ベトナム民主共和国を承認
- 1954年7月 - ディエンビエンフーの戦いでフランスは敗北、ジュネーヴ協定を結び、ベトナムから撤退、独立戦争終結。同時に、北緯17度線で国土がベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム国(南ベトナム)に分断される。10月、南ベトナムではアメリカを後ろ盾にゴ・ディン・ジェムが大統領に就任、国名をベトナム共和国にする
- 1960年12月 - 南ベトナム解放民族戦線結成。
- 1962年2月 - アメリカはサイゴンに援助軍司令部を作り、軍事介入、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が始まる。
- 1964年 - トンキン湾事件。以降、1973年まで米軍が戦争に直接介入。
- 1965年2月 - アメリカは北ベトナム爆撃を開始、本格的な戦争に突入。
- 1968年1月 - 南ベトナム全土で解放戦線・北ベトナムのテト攻勢、アメリカは大打撃を受ける
- 1969年1月 - 南北ベトナム、解放戦線、アメリカの4者によるパリ和平会談が始まる
- 6月 - 南ベトナムで、解放戦線は南ベトナム共和国革命臨時政府建設。ベトナム共和国と対峙。
- 1972年4月 - アメリカ・ニクソン政権は北爆を再開
- 1973年1月 - 南北ベトナム政府、臨時革命政府、アメリカの4者は、パリ和平協定に調印
- 1975年4月30日 -北ベトナムと解放戦線は春の大攻勢を行い、南ベトナムのズオン・バン・ミン大統領は全面降伏、サイゴンは陥落、ベトナム共和国崩壊。南ベトナム共和国の名の下に北ベトナムが実権を掌握。ベトナム戦争終結[3][4]。
南北統一以後
- 1976年4月 - 南ベトナム消滅による南北統一。初の南北統一選挙を行う。
- 1976年7月2日 - ベトナム民主共和国をベトナム社会主義共和国に改名。
- 1976年12月 - ベトナム労働党第4回全国代表者大会をハノイで開き、旧名称であるベトナム共産党を再度採用した。
- 1978年12月 - カンボジア侵攻を開始(カンボジア・ベトナム戦争、第三次インドシナ戦争の始まり)。
- 1979年 - カンボジア侵攻を非難する中国がベトナムを攻撃し、中越戦争が開始される。世界各国は援助を停止し、ベトナムは孤立
- 1986年12月 - 第6回全国代表者大会以降、社会主義型市場経済を目指す、ドイモイ(刷新)政策を開始し、改革・開放路線に踏み出す
- 1988年3月14日、赤瓜礁が中国に占領される(赤瓜礁海戦)
- 1989年9月 - 国内経済が疲弊したベトナムは、カンボジアから完全撤兵
- 1992年 - 越中関係正常化
- 1993年2月 - ベトナムとフランスが和解。当時のフランス大統領はフランソワ・ミッテラン。
- 1995年7月 - クリントン・アメリカ大統領がベトナムとの外交関係樹立を発表。1995年8月5日、ベトナムとアメリカが和解。
- 7月 - 東南アジア諸国連合 (ASEAN) はベトナムの加盟(7番目の加盟国)を認める
- 10月 - 所有権や契約の考え方を盛り込んだ、初めての民法ができる
- 1996年1月 - ASEAN自由貿易地域 (AFTA) に参加する
- 1998年 - アジア太平洋経済協力 (APEC) 参加
- 2003年 - 日越投資協定締結
- 2007年1月11日 -世界貿易機関 (WTO) に正式加盟した。150番目の加盟国となった。
- 2007年10月16日 -国連総会で安全保障理事会の非常任理事国に初選出された。
政治
ベトナム共産党(ベトナム戦争中は「ベトナム労働党」)による事実上の一党独裁政治が行なわれている。名目的に存在した民主党、社会党は1980年代末に解散され、複数政党制から単独政党制に移行した。現在でも、しばしば政治の民主化を望む人々が逮捕されることがある。現在、ベトナム共産党とその衛星政党以外の政党の結成は一切禁止されている。
建国以来、一貫して集団指導による国家運営を行なっており、ホー・チ・ミン(初代ベトナム民主共和国主席兼ベトナム労働党主席)でさえも専制的な権力を有したことはない。ベトナム共産党の最高職である党中央委員会書記長、国家元首である国家主席、首相の3人を中心とした集団指導体制であり、現在の党書記長はグエン・フー・チョン、国家主席はグエン・ミン・チェットであり、首相はグエン・タン・ズンが務める。政府の運営は、極めて官僚的であり、ソビエト連邦や、国民党独裁下の中華民国に類似している。
ベトナムの国会は、2006年6月27日、チャン・ドゥック・ルオン国家主席の引退に伴い、新国家主席にベトナム共産党のグエン・ミン・チェット政治局員(ホーチミン市党委員会書記)を選出した。また、国会は引退するファン・ヴァン・カイ首相の後任にグエン・タン・ズン党政治局員を選出した。国会は、6月28日、新首相の提案に基づき8閣僚の交代人事を承認した。ダオ・ディン・ビン交通運輸相は同省傘下の疑獄事件で指導責任を問われ、事実上更迭された。
反政府組織は今なおベトナム共和国時代の対立を解消できておらず、1960年代に南ベトナムからの独立を企てた諸民族の抵抗組織フルロ (FULRO) 関係者はこれらの組織とは対立関係にあり、各組織の力を一つに集めることができるリーダーシップを有した指導者が存在しない。また、1975年のベトナム共和国消滅から30年以上経ち、世代ごとの反共主義に対する考え方の違いが鮮明になりつつあることから、最近では必ずしも亡命ベトナム人の間で反政府組織が支持されるとは限らなくなっている。
国会
「国会 (ベトナム)」および「en:Vietnamese parliamentary election, 2011」も参照
定員500名、任期5年。共産党の推薦の有無にかかわらず、全ての立候補者は党翼賛組織の「ベトナム祖国戦線」の審査で絞り込まれた「官製選挙」である[4][5]。
以下は2011年5月22日の国会議員選挙の結果[6][7]。
- 定員:500名
- 議席
- ベトナム祖国戦線(en):496名
- 共産党員:454名
- 非共産党員(事実上の共産党推薦):42名
- 独立系(非共産党員かつ共産党の推薦を受けない者):4名
- ベトナム祖国戦線(en):496名
- 投票率: 99.51%
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- ^ リエン(2008) 39-40頁
- ^ リエン(2008) 40頁
- ^ リエン(2008) 40-41頁
- ^ 自薦、非共産党候補が焦点 ベトナム国会選挙始まる - 47 NEWS
- ^ 「一党独裁支配の国であり、選挙は政治において重要な役割を果たしてはいない。国会議員選挙が5月に行われたが、候補者たちは、ベトナム共産党の翼賛団体「ベトナム祖国戦線」の入念なチェックを受けている。当選した500人のうち共産党員でない議員はわずか42人だった」(エコノミスト・インテリジェンス・ユニットのカントリー・レポートの、朝日新聞 新日曜版(GLOBE)による抄訳、2011年8月7日版、p5)
- ^ 非共産党員の比率低下:国会選挙の結果発表 - NNA ASIA
- ^ ベトナム:共産党以外は500議席中42人 国会議員選、毎日新聞、2011年6月4日
- ^ [1]
- ^ “ベトナム大統領夫妻を歓迎 宮中晩餐会”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2007年11月26日) 2010年4月12日閲覧。
- ^ “【皇室ウイークリー】(47)雅子さま、絵画展をご鑑賞 承子さまは早大ご入学”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2008年9月27日) 2010年4月22日閲覧。
- ^ “天皇陛下の新種ハゼ論文、ベトナムに寄贈”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2009年3月26日) 2010年4月12日閲覧。
- ^ “皇太子さまが「メコン舞踊」をご覧に”. MSN産経ニュース (産経新聞社). (2009年12月10日) 2010年4月12日閲覧。
- ^ ベトナム法整備支援(法務省法務総合研究所国際協力部)
- ^ 「特集 法整備支援の課題」法律時報時報2010年1月号(日本評論社)
- ^ http://www.moj.go.jp/housouken/houso_advertisement1.html
- ^ 小山内宏著「ヴェトナム戦争 このおそるべき真実」(ミリオンブックス)56頁以下によると、1944年末頃、アメリカの航空将校ショウ中尉は飛行機事故のためカオバン付近の山地へパラシュートで降下したが、これを知ったフランス軍が数百名の部隊を派遣して、日本軍とともにその地域を包囲し、飛行機と操縦士の捜索を始めた。しかしその包囲が完成する寸前にショウ少尉はベトミンにより救出され、ベトミン三個小隊の護衛とともに国境のベトミン基地まで脱出、そこからホー・チミンに付き添われながら昆明のアメリカ空軍司令部にたどりついたという。
- ^ 小山内宏著「ヴェトナム戦争 このおそるべき真実」(ミリオンブックス)57頁
- ^ [2]
- ^ インド海軍がベトナムに駐留か、武器も供与、中国をけん制 Searchina 2011/08/08
- ^ IMF
- ^ 国民経済計算
- ^ “ベトナムは第2の中国になれるか”. CNN.co.jp. (2010年6月12日) 2010年6月13日閲覧。
- ^ 地方行政は通常3段階に分かれている。60余りある省レベルの下に県レベル、その下に社レベルがある。坪井未来子「ベトナムの教育の現況」/ファン・ゴク・リエン監修、今井昭夫監訳他『ベトナムの歴史』〈世界の教科書シリーズ21〉明石書店 2008年 764頁
- ^ 坪井未来子「ベトナムの教育の現況」/ファン・ゴク・リエン監修、今井昭夫監訳他『ベトナムの歴史』〈世界の教科書シリーズ21〉明石書店 2008年 764頁
固有名詞の分類
- 2008年7月号:ベトナム環境ビジネス.jp
ベトナムに関連した本
- ベトナムのことがマンガで3時間でわかる本 (アスカビジネス) 福森 哲也 明日香出版社
- D21 地球の歩き方 ベトナム 2011~2012 ダイヤモンド社
- 旅の指さし会話帳11ベトナム[第二版] (ここ以外のどこかへ!―アジア) 池田 浩明 情報センター出版局
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