ヒストリー
「ヒストリー」の意味・「ヒストリー」とは
「ヒストリー」とは、英語の""history""から来た言葉で、歴史や過去の出来事を意味する。また、コンピューターやインターネットの分野では、閲覧履歴や操作履歴を指すこともある。さらに、個人や組織の経歴や実績を表す場合もある。「ヒストリー」の語源
「ヒストリー」の語源は、英語の""history""であり、ラテン語の""historia""、さらに遡ると古代ギリシャ語の""ἱστορία""(historia)に由来する。古代ギリシャ語の""ἱστορία""は、「知る」「調査する」といった意味を持ち、歴史を記録・研究する行為に関連していた。「ヒストリー」に関連する用語・知識
「ヒストリーチャンネル」とは
「ヒストリーチャンネル」とは、歴史に関するドキュメンタリー番組を中心に放送する専門チャンネルである。世界各国で展開されており、日本でも放送されている。歴史や文化、科学技術など幅広いジャンルの番組が放送されている。「ヒストリー番組」とは
「ヒストリー番組」とは、歴史に関するテレビ番組やラジオ番組のことを指す。歴史ドキュメンタリーや時代劇、歴史を題材にしたクイズ番組などが含まれる。視聴者に歴史の知識や理解を深める機会を提供する。「ファミリーヒストリー」とは
「ファミリーヒストリー」とは、家族の歴史や家系を調査・記録することを指す。家族のルーツや先祖の生活を知ることで、自分自身のアイデンティティや家族のつながりを理解することができる。「ヒストリー」の使い方
「ヒストリー」は、歴史や過去の出来事を表す言葉として使われる。例えば、「日本のヒストリーを学ぶ」や「彼のヒストリーには謎が多い」といった具合に用いられる。「ヒストリー」を用いた例文
1. この美術館では、日本画のヒストリーをたどることができる。 2. 彼女は自分のファミリーヒストリーに興味を持ち、先祖のルーツを調べ始めた。 3. ウェブブラウザのヒストリーを確認することで、過去にアクセスしたページを見つけることができる。history
「history」とは、歴史・由来のことを意味する英語表現である。
「history」とは・「history」の意味
「history」とは、歴史や過去のことを意味する英単語である。意味によって、可算名詞と不可算名詞に分かれる。歴史書や経歴などを意味する時には可算名詞となり、歴史や変遷などを意味する時には不可算名詞となる。「history」の複数形
「history」の複数形は、「histories」である。ただし、「history」は意味によって可算名詞と不可算名詞の2種類に分かれるため、「histories」や「a history」とならずに、そのまま「history」と表現されることがある。経歴・由来などの意味の時には、可算名詞のため「a history」の複数形として「histories」が使われることがある。一方で、歴史・過去などの意味の時には不可算名詞となるため、複数形の「histories」が使用されることはあまりない。「history」の発音・読み方
「history」の発音記号は、「ˈhɪstərɪ」である。読み方としては「ヒストリィ」に近いが、カタカナで表記する場合は、「ヒストリー」となることがほとんどである。日本語の文章中でも、「私のヒストリー」のようにカタカナで表記して使用されることが多い言葉である。「history」の語源・由来
「history」の元となっているのは、古代ギリシャ語の「ἱστορία(現代ギリシア語ではιστορία) 」で、「historia(探求)」というギリシア語に由来している。そこから、フランス語の「histoire」やラテン語の「historia」となり、英語では「history」になった。探求を意味する単語から由来している通り、「history」は単純に歴史という言葉の表面的な意味だけのものではなく、「人間が探求して、そこから学んだことや知り得たこと」という深い部分の意味も有している単語である。似た単語の「story」も、同じく「historia(探求)」を語源とする。「story」は本来は「歴史物語」などの意味であったが、そこから「物語」の意味が強くなり、「history」とは異なる意味を持つ単語となった。
「history」を含む英熟語・英語表現
「our history」とは
「our history」は、私たちそれぞれの歴史という意味よりも、私たちが共に築き上げた1つの歴史という意味あいが強い表現である。私たちそれぞれの歴史を集めているものを表現をしたい時には、「our histories」とした方が意味が伝わりやすい。
「be history」とは
「be history」とは、歴史になるということであり、日本語で一般的に使われる表現でいえば「過去の人(もの)となる」という意味になる。
「counter-history」とは
「counter-history」は、counter(反撃)する歴史という意味になるので、反歴史と訳される。人生に失敗した人や滅ぼされた側の人の歴史であり、そこから学ぶものが大きい歴史などの記述に使われることが多い。一方で、「history counter」は、履歴のカウント値という意味になる。
「HIStory(台湾ドラマ)」とは
「HIStory」は、2017年にスタートした台湾の人気BLドラマである。現在までに全4シリーズ8エピソードが公開されており、日本でもスタートした2017年に劇場公開されている。「HIStory」シリーズの第1弾は、「マイ・ヒーロー」「離れて、離さないで」「ボクの悪魔」の短編3話によるオムニバスで構成されている。最新作の第4シリーズは、日本では2021年に公開されて多くのファンを魅了した。中国では、ドラマや映画を放送するにあたって政府の検閲があり、その際に同性愛は不適切とみなされることがある。そのためBLドラマは、男性同士の同性愛ドラマとしてではなく、精神的なつながりの強い男性同士の友情のストーリーとしてドラマ化されることが多い。実際のところ、「HIStory3 圏套〜ラブ・トラップ」は、BLドラマではあるものの、サスペンス要素も豊富に含まれていて人気が高い作品である。
「history」の使い方・例文
歴史・"If Cleopatra's nose had been shorter, the history of the world would be different."
「もしもクレオパトラの鼻がもっと低かったら、世界の歴史は変わっていただろう。」
・"a history of France"「フランスの歴史」
過去
・"I'm history."「私の時代は終わった。」
・"You're history."「お前はもう終わりだ。」
履歴書
・"one's personal history"「履歴書」
History
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「Underground Government」の記事における「History」の解説
2001年からはじまるUnderground Government(以下UG)の正式なレーベルリリースの品番はUG#2からはじまっており、UG#1は存在しない。ちなみにUG#2はオムニバス7'レコードでのリリース(廃盤)。翌年2002年からブラジルUFOやBelly Button, No Peopleなどのリリースを続けていく。 2007年2月、UGで初めてアメリカよりShark PantsとDrinkers Purgatoryを招聘し来日ツアーを開催。同年3月にはThe BananasとThe Underground Railroad to Candylandを招聘し日本ツアーを開催。Recess Recordsの設立者でありThe Underground Railroad to CandylandのフロントマンであるTodd CongelliereがUGを取り巻く日本のバンド環境に感動しレーベル提携をオファー。その友誼を受け入れRecess Japanという名前をレーベル名の最後に付け加えることになる。翌年、2008年にThe Underground Railroad to Candylandの単独日本ツアー開催に際し、彼らの1stアルバム"Bird Roughs"の日本版(CD/DVD付)をリリースしたのがRecess Japanとしてのはじめのリリースとなる。 2012年8月、UGで初のGovernment Issueというインディーズバンドによるオムニバス形式の出版物を刊行。編集長はUG所属バンドのFfeeco Womanのフロントマン・オノD(オノデラノゾミ)と刊行物には記載されている。毎年一冊のペースで出版されている。 2015年にはThe DoodlesやThe Weddingsといったバンドなどがリリース予定されている。
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「クエスト・エアクラフト」の記事における「History」の解説
クエスト・エアクラフトの黎明期は、Tom HamiltonとDavid VoetmannがIdaho Air Groupを立ち上げた1998年に遡る。TomとDavidは、人道支援航空を通じて過酷な飛行環境に適した航空機開発の必要性を見て取った。必要な資金を調達した後、2001年に14名のスタッフでクエスト・エアクラフト社が立ち上げられた。2002年に27,000平方フィートの施設が竣工した後、ターボプロップ機クエスト コディアックの生産につながる最初の試作機の研究が開始された。 2004年にPaul SchallerがCEOとなり、2009年までに従業員数は340名になった。 軟調な経済情勢により、2010年に従業員数は155名に減じられたが、2011年には新たな資本注入と経営陣営の変化(Schallerは同社のコンサルティング部門に異動)が見られた。 2012年から2017年1月にかけて、エンブラエルやホンダ エアクラフトでの経験を持つSam HillがCEOを務めた。 2015年2月、日本のツネイシホールディングスの子会社、せとうちホールディングスに買収された。 2016年6月、本社を2,500㎡、主要施設を10,000㎡にそれぞれ拡張した。460㎡の研究開発倉庫も完成した。 2017年1月、Tag Aviation・ビーチクラフト・Landmark Aviationの経営を行ってきたRobert H. Wells がCEOに就任した。
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「KAZutoshi Taniuchi」の記事における「History」の解説
中学3年の時、尾崎豊『15の夜』を 聴き衝撃を受け、音楽の道を志す。 18歳、浪人生として上京し、スカウトがきっかけでダンスグループのヴォーカリストとして3年間活動。 全国ツアーや、渋谷O-EAST、クラブチッタ川崎などでのワンマンライブを経験し自身の音楽を追及するためシンガーソングライターへ。 俳優やグルメ番組のレポーターをこなしながら作り続けた小説と音楽が、本田美奈子.のプロデューサーである日本コロムビア、O氏の目にとまり 2004年、新堂冬樹著『ある愛の詩』サウンドトラックCDに井上鑑氏アレンジのオリジナル楽曲、『白紙の中の海』が収録される。 TV、新聞、ラジオ、有線等で話題の新人となるが諸事情によりプロモーションが打ち切られ未契約アーティストへ。 再起を誓い、すべての楽器を自らこなした渾身のデモCDがスタジオTake One武会長の手に渡る。 バンドと共にレコーディングがスタートするがアルバム制作中にスタジオの閉鎖が決定。 機材の撤収作業が進められる中、 亡き母に捧げるメモリアルCD、『Never too late』を一気に完成させ、2006年8月の命日にセルフリリ-ス。 創業30周年に及ぶ、記念すべきスタジオTake One最後のアーティストとなる。 2007年以降、地道なライブ活動を重ね、 2011年、楽曲制作、演奏、録音、エンジニアリングのすべてをセルフプロデュースした初のフルアルバム 『共存〈Co-Exist〉』(エンハンスドCD-Rとして短編小説をセット)を完成させ、“完全受注生産”スタイルにて自身のブログ等を通じ発売する。 また、音楽活動の傍ら20代後半からはブランド業界へ転身する。 エルメネジルド・ゼニア、ドルチェアンドガッパーナなどのラグジュアリーアパレルブランドを経て宝飾業界へ。 ティファニー銀座本店でドアマンをしたことがきっかけとなり2009~2015年、ブルガリ銀座タワー本店のドアマン、コンシェルジュ、VIPサロンを担当し、 海外の富豪や多くの著名人、芸能人をはじめとした延べ150万人をエスコートする。 ブルガリの世界観にインスパイアされ日々入り口に立ち続けながら、頭の中で作り続けた 『Special Gift EP from Heaven's Doorman』~ドアマンからのクリスマスプレゼント~を2013年冬にミニアルバムとして完成させる。 これまで同様にすべての録音と演奏を自ら手掛け各レコード会社に持ち込むも丸3年間全くオファーがない状態が続き、 落ち続けたオーディションも通算222個となり諦めかけたところに、音楽人生の転機が訪れる。 2015年からは、音楽プロデュースを開始。 クラシックとポップスのクロスオーバー、天使の歌声と称される歌手「カノン」と 書道家であり画家、また歌やダンスまでこなすアーティスト、書画家「夏生」とのコラボレーションをプロデュースする。 2016年10月には、スペインに30年暮らし、「徹子の部屋」、「another sky-アナザースカイ-」、「ららら クラシック - NHK」などにも出演しているピアニスト、 比石妃佐子(ひせきひさこ)の日本公演や、ライブアルバムのエグゼクティブプロデューサーを務める。 2016年11月 2007年にレコーディングスタジオで出会った 現 Asteroid Creative Production 代表 藤田氏からオファーをもらい小説との“セルフタイアップデビュー”という形で3年越しのクリスマスプレゼントが自らに返ってくる。 19年間という下積みを重ね満を持して、 2016年12月01日 『Special Gift EP from Heaven's Doorman』(5曲入りミニアルバム+短編小説・電子書籍)にて、ついにソロデビュー!! 世界配信がスタートした。(一部、配信事業者では『Heaven's Doorman(Special Edition)』と表記されてり短編小説は同封されておりません)
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History
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/20 02:15 UTC 版)
4歳からピアノを始め、大学卒業後、演劇の世界に進み女優として数々の舞台・メディアに出演。 その後、ジャズシンガーに転身。都内のジャズクラブ・ライブハウスで多数のライブ活動を行う。またこの時期から同時にモデルとしても活動し、表現者として様々な顔を披露。 より自分らしい表現を求め、現在はシンガーソングライターとして都内を中心に、全国ツアーを展開中。 2011年1stアルバム「LOVE∞」、2014年全曲オリジナルフルアルバム「mySelf」を全国リリースし好評を得る、現在3rdアルバム作成中。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/09 08:04 UTC 版)
「The Coastguards」の記事における「History」の解説
2011年にMasashi "Marcy" Shimadaのサイドプロジェクトバンドとして始動。 2012年ヴォーカルHajime Takeiが加入し、ベーシストにYusuke Kano、Yasuhiro "Gori" Horisaki・Fumito Shiroganeがギタリストとして参加。Masashi "Marcy" Shimadaを中心に作曲を始めデモを収録。 2013年視聴サイトにてデモを期間限定公開。 2014年10月彼等の初の正式音源「The Dead End EP」を自身のレーベルPlastic Prideからリリース。 2014年11月に1stアルバム「I Refuse」をIKKI NOT DEADよりリリース。 アルバム「I Refuse」はレコーディングエンジニアにYusuke Watabeを迎え千葉県柏市の老舗スタジオSound Studio Mにてを2013年に録音。ミキシングとマスタリングはAttic StudioのDaihei Yamanaka (Cleave) が手掛けた。 2014年12月 ENTER SHIKARIのジャパンツアーに出演。 2015年「I Refuse」リリースツアー開始。 To Overflow Evidence・waterweed・Hopeless Raven・Givelife・BLINDSIDE・Only the Last Songなど、全国各地の数多くのハードコアバンドと共演。 2015年自主企画"CAMPFIRE2015"開催。NUMB・ENDZWECK・GIVE LIFE・FOR LIFE・BACKDATE NOVEMBERと共演。 2015年ボストンハードコアのレジェンドBANE(US)とDOWN TO NOTHING(US)の来日公演のツアーサポートで共演。 2015年SHIBUYA CRASH 2015出演。 2016年8月上旬再びスタジオに入り「The Coastguards / BLINDSIDE KCHC split」の2曲をDEVU RecordingsのDEVU (Hopeless dew) をレコーディング・ミキシングエンジニアに迎え録音。マスタリングはAttic StudioのDaihei Yamanaka (Cleave) が手掛けた。 2017年「The Coastguards / BLINDSIDE KCHC split」をTo Overflow Evidenceの運営するレーベルUNBROKEN RECORDSよりリリース。 2017年1stアルバム「I Refuse」Vietnam & ASIA Editionがベトナムの名門レーベルFirst and Last Recordsよりリリース。 2017年「KEEP AND WALK 10th Anniversary Compilation」に新曲"This Burning Season"で参加。 2017年First and Last Recordsの招聘によりBLINDSIDEとベトナムツアーを行い"SCHOOL OF MOSH FEST"に出演し、ローカルバンドや13steps(Korea)・Monument X(Thailand)など各国でハードコアシーンを象徴するバンドと共演する。 The band was founded in 2011 under. It was supposed to be intended only as a side project to Masashi "Marcy" Shimada’s actual band kamomekamome. In 2011 came singer Hajime Takei to fill in and they recorded a first demo which contained few songs. Yusuke Kano was added as bassist while Yasuhiro "GORI" Horisaki and Fumito Shirogane joined the band as guitarist. In October 2014, The Coastguards released 7inch vinyl "The Dead End EP" and in November 2014, they released 1st album "I Refuse". Also they released new demo cassette tape "DEMO 2015" while a "I Refuse" release tour. The album "I Refuse" was recorded in 2013 in Sound Studio M in Kashiwa city, Chiba. The album was released on IKKI NOT DEAD. In 2015, they started 1st album release tour. and played with To Overflow Evidence, waterweed, NUMB, ENDZWECK, Givelife, BLINDSIDE, Only The Last Song and so many hardcore bands, as well as performances in so many places. In early August 2016, the band went into the studio again, and they recorded 2songs for "The Coastguards / BLINDSIDE KCHC split". Their split 7inch, which was released in 2017 was, in recorded by "DEVU recordings". The release was followed with a tour of the Vietnam along with BLINDSIDE. After this, their 1st album "I refuse" Vietnam and ASIA edition was released from First and Last record. The Coastguards still plan to tour.
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History
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 10:11 UTC 版)
「dj yogurt」の記事における「History」の解説
1996年にDJを開始。1998年には音楽製作ユニットUPSETSと、自身のレーベルUPSET RECORDINGSを始動。 2001年にUPSET RECORDINGSからCDでリリースした"SOUND OF SLEEP"は、自身がライフワークと呼ぶ「眠る時に聴きたい音楽」で、その後2003年には最初のYOGURTソロアルバムとして"SOUND OF SLEEP BY YOGURT FROM UPSETS"をリリース。 2002年には"SOUND OF SLEEP"とは違う方向性で制作したUPSETSの2NDアルバム"CRUISIN WITH"をUPSET RECORDINGSからリリース。民族音楽志向と電子音楽志向を同時に実現させようとした実験色の強い内容になっている。 2003年にはNUMBとHANUMANDのユニット虻の曲をUPSETSがリミックスしたVERSIONと、UPSETSの実験精神が濃厚に詰まった「SLIPPIN' SLIDIN'」を収録した12インチをUPSET RECORDINGSからリリース。「SLIPPIN' SLIDIN'」は早すぎたDUB STEPともいえる斬新な曲。2001年にUPSETSがリリースした1ST 12インチシングル"UNCONVENTIONAL EP"に続く2ndシングル。"SOUND OF SLEEP"以外のリリース作品はダンスフロアを揺るがすグルーヴの曲が多く、特にアナログでリリースしている作品は、2005年以後にリリースしたものに関してはダンスフロアで通用することを重要視していることが伝わってくる仕上がりになっている。 2005年にはKOYO(SAX)、ARATA(GUITAR)、HISASHI(DRUM)の三人組ジャムバンドZEROと共同制作したアルバム"GROOVE ON"をUPSETS FEAT ZERO名義でTRI-EIGHT PRODUCTIONからリリース。アンビエントユニットと誤解されがちなUPSETSのダンス志向を明確に打ち出した、アフロ~ジャズ~ロック~電子音楽が渾然一体となり絡み合うアルバムに仕上がっている。このアルバムがDJ UとDJ YOGURTが共同で制作した最後の作品になった。 アルバムからはアルバムリリース前の先行シングルとして"FAVORITE GROOVE C/W ETHNO"を12インチでリリース。続いてDJ KENSEIによる壮絶なEDITが施された傑作"ETHNO(DJ KENSEI RE-EDIT) "をA面に、B面には"GROOVE ON AND ON AND ON(DJ YOGURT EDIT) "を収録した12インチを1枚目の12インチと同様にTRI-EIGHT PRODUCTIONからリリース。このDJ KENSEIのRE-EDIT VERSIONはDJ光を始め、多くの日本人アンダーグラウンド系のDJ達にヘヴィープレイされ、DJ YOGURTの知名度が高まるきっかけになった。 その後2009年に"BLASTHEAD"のTETSUが"GROOVE ON&ON&ON"をREMIXしたVERSIONをA面に、SAIDRUMが"ETHNO"をREMIXしたVERSIONをB面に収録した3枚目の12インチをリリースして、"GROOVE ON"プロジェクトは終了した。 2007年には京都のジャムバンド NABOWAの楽曲"POLE POLE"をKOYASと共同でリミックス。この時が初めてのKOYASとの共同制作で、このNABOWAのREMIXを収録した12インチがすぐに完売となり、多数の人達から絶賛されたことで、"YOGURT&KOYAS"としての制作がこの後続くことになる。 2008年にLASTRUMからリリースされたシングル集"DJ YOGURT PRESENTS SINGLES&REMIXES 2005 TO 2008"からはYOGURTのダンスへの強いこだわりが感じられる曲が揃っている。 2009年には、JEBSKI & YOGURTの3枚目と4枚目の12インチシングルと初のアルバムを、曽我部恵一が主宰するROSE RECORDからリリース。 更に大阪の素晴らしいVJユニット"BETALAND"が"SOUND OF SLEEP"を聴きつつ制作した映像作品を収録したDVDと、"SOUND OF SLEEP BY YOGURT FROM UPSETS"収録曲の別ヴァージョンや、未発表曲、レア曲をまとめたCDが二枚組になっている"SOUND OF SLEEP WITH BETALAND"をMASTER OF LIFEとUPSET RECORDINGSの共同でリリース。 2010年3月にはKOYAS PRODUCTIONとのコラボで、KLF/CHILL OUTにオマージュを捧げたアンビエントアルバムをTHIRD EARからリリースした。 2010年10月にはYOGURTの主宰レーベルUPSET RECORDINGSからCD"SOUND OF SLEEP AND MEDITATION"をリリース。 "SOUND OF SLEEP"は2001年にYOGURTの当時のユニットUPSETSがリリースしたアンビエントアルバムのタイトルで、YOGURTがその後ライフワークとして取り組んでいる「眠りの為の音楽」「感覚が鋭敏な状態の時に神経を休ませる音楽」というコンセプトで制作した1枚目のアルバムで、その後"SOUND OF SLEEP"はYOGURTが2003年にソロアルバムとして2枚目のリリース。 2009年には大阪のVJユニットBETALANDの制作した映像とのコラボレーション作品"SOUND OF SLEEP WITH BETALAND"を3枚目の"SOUND OF SLEEP"としてリリース。 2010年にリリースした"SOUND OF SLEEP AND MEDITATION"は4枚目の"SOUND OF SLEEP"になる。2010年10月、"SOUND OF SLEEP AND MEDITATION"と同時期に、こちらは「週末のクラブの一番混み合う時間帯にダンスフロアを盛り上げるトラック」というコンセプトでYOGURT&KOYASが制作した12インチ"INTO THE PEAK C/W RIDE IT ON"をUPSET RECORDINGSからリリース。YOGURT&KOYASのテクノへの愛情が伝わる仕上がりの2曲を収録している。 2011年1月には関西の大所帯ビッグバンド奇妙礼太郎トラベルスイング楽団のヒット曲"機嫌なおしておくれよ"をYOGURT&KOYASがREMIXしたVERSIONと、オリジナルVERSIONを収録した12インチ"機嫌なおしておくれよREMIX"がUPSET RECORDINGSとSNEEKER BLUES RECORD、JET SETの共同リリースにより実現。 B面には奇妙礼太郎とマッカーサーアコンチのアチャコ、しゃかりきコロンブスのNHKらの不定形ユニットALPS! が2007年に制作した名曲"CALIFORNIA/カルフォルニア"を、YOGURTの依頼で奇妙礼太郎トラベルスイング楽団がカバーしたVERSIONと、YOGURT&KOYASがREMIXしたVERSIONを収録している。 2013年以後はKOYASとの活動を停止して共作も途絶え、その後の楽曲制作はその都度共作者を変えつつ、2016年以後はNUBO名義でも活動しているMOJAと楽曲制作をおこない、DJ YOGURT&MOJAの名義でリリースしている。
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「アイザック・ウォルトンのコテージ」の記事における「History」の解説
ウォルトンは1593年にスタッフォードで生まれた。ロンドンで事業を営んだ後、1650年代に、このコテージを含むシャローフォードのいくつかの不動産を取得した。コテージは、ミースと呼ばれる川(ソウ川の支流) の近くにあり、そこでの釣りは彼がこの地に惹かれた理由の一つと考えられている。1683年に亡くなると、彼はスタッフォードの貧しい人々の利益のために財産を遺贈した。周辺はまだ田舎であるが、1837年にグランドジャンクション鉄道が谷を抜けて、コテージとミース川の間を隔てるような形で建設された。農場とコテージは廃墟となったが、1920年に物件が売りに出されるまで人がここに住み続けていた。地元のスタッフォードの商売人たちは、有名な作家に捧げられた小さな博物館を設立するためにアイザック・ウォルトン・コテージトラストを立ち上げた。彼らはこの用地を購入するために£50を調達し、コテージを修理するために£500を調達した。スタッフォード卿、エドワード・フィッツハーベルトは1924年4月30日、この博物館の開館の式典を執り行った。1927年に蒸気機関車からの火花が飛び火して火災を引き起こし、わらぶき屋根が破壊され、博物館は1年間閉鎖された。1938年にはまた別の火災が発生し、1939年にコテージは瓦屋根にリニューアルされて再開した。建物は1952年に歴史的建造物のリストに加えられた。 トラストは1965年に解散し、建物はスタッフォード自治区議会に引き継がれた。1990年代に、茅葺き屋根が復元された。博物館の1階には、ウォルトンの生涯、彼の著作、イザークウォルトンコテージの物語をカバーする案内板があり、時代遅れになっている。2階には、釣り関連のアイテムのコレクションが展示されている。最も古いものは18世紀半ばのもので、部屋は彼の生活と彼の著作『釣魚大全』の展示がある。
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「wrong city」の記事における「History」の解説
2012年 wrong city結成。 2013年 12月 1st mini album "Life as a Ghost"をリリース。 2014年 1月 Life as a Ghost Tourを行う。 8月 1st full album "Induction Of Otherside"をリリース。 12月 コンピレーションアルバム"REDLINE RIOT!!"へ参加 2015年 1月 REDLINE RIOT Tourへ参加。全7公演を行った。 "Reset nor Replay tour 2015"を行う。 2017年 1月 ユニバーサルミュージックより3rd mini album Breath for someoneをリリース。 2月12日〜4月2日 wrong city presents Breath for someone TOUR 2017を行う
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「Dressedundressed」の記事における「HISTORY」の解説
2009年 DRESSEDUNDRESSED(ドレスドアンドレスド)を設立。 2012年 Mercedes-Benz Fashion Week TOKYOにてコレクションデビュー。 2013年 London Fashion Week 会期中に開催されたインターナショナル•ウールマーク•プライズのファイナリスト、 世界の6ブランドの1つに選出され、カプセルコレクションを発表。DRESSEDUNDRESSED(ドレスドアンドレスド) は VOGUE Italia 編集長 Franca SOZZANI 推薦によるスペシャルエントリーによるもの。インターナショナル・ウールマーク・プライズは1953 年に創設、当時無名だったイヴサンローランとカールラガーフェルドを発掘したコンテストをよみがえらせるもの。 2013年 第5回 DHLデザインアワードを受賞。
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